ネット上の仮想空間「メタバース」で、現実の自分とは違う人生を生きる。そのメタバースが何個もあって、いろいろな人生を経験できるとしたら、それは「マルチバース」の世界といえるのかもしれないネット上の仮想空間「メタバース」で、現実の自分とは違う人生を生きる。そのメタバースが何個もあって、いろいろな人生を経験できるとしたら、それは「マルチバース」の世界といえるのかもしれない

われわれが生きる宇宙のほかにも、たくさんの違う宇宙があり、そこには自分とそっくりな人間が住んでいるかもしれない。そんな「マルチバース」はSFの世界だけの話なのだろうか。理論物理学の研究者とITジャーナリストに最新情報を聞いた!

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■自分が大谷選手のように活躍している世界はある?

米アカデミー賞で、異例の7冠を獲得した映画『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(エブエブ)』は、自分と同じ人間が別の世界でも生きているというマルチバース(多元宇宙)を扱った作品だ。

こうした世界はSFだけのことかと思っていたら、実際にマルチバースは存在するというのだ。宇宙論に詳しい米カリフォルニア大学バークレー校の野村泰紀教授(理論物理学)に聞いた。

――今、僕たちが住んでいる宇宙だけでなく、ほかにもいろいろな宇宙(マルチバース)があるのですか?

野村 はい。そう考えないと説明がつかない現象がいくつか見つかっています。私たちが生きている宇宙は、うまく出来すぎているんです。例えば物質を構成する素粒子は17種類ありますが、その質量が少し変わるだけで、惑星もない人間もいない、ほとんど何もない宇宙ができてしまうんです。

では、私たちの生きている宇宙がどのくらいの確率でできているかというと、0.000000......と0が120個ついた後に1がくるくらいの低い確率です。誰かがこうなるように質量を合わせたんじゃないかというくらい奇跡的な配分です。

では、これをどう考えるかというと、実はいろいろな宇宙が泡のようにポコポコと無数にできていて、その中のひとつがたまたま都合のいいパラメーターの値をとって、それが私たちの生きている宇宙だったということ。それで、銀河も惑星も人間もできたと考えるとしっくりきます。

ですから、宇宙にはいろいろなバージョンがあるはずなんです。例えば、私たちの生きている宇宙と物理法則がまったく違って、光が存在しなかったり、別の素粒子でできている宇宙もあると思います。

そして、いわゆるパラレルワールドといわれる世界、例えば自分が違う相手と結婚していたり、違う仕事についていたりという宇宙も私はあると思っています。

とても低い確率で私たちの宇宙はできていますが、さまざまな宇宙がどんどん生まれているので、私たちと同じような宇宙もたくさん生まれているはずです。そして、その中には、私たちの宇宙とほとんど同じだけれども、例えば歴史だけが少し違う宇宙もあるはずなんです。

――じゃあ、そのパラレルワールドでは、自分がメジャーリーグの大谷翔平選手みたいに活躍している世界もある?

野村 あるんじゃないですか。でも、野球がすごくうまいだけでなく、顔も少し違っていたり、歴史が違うので記憶も違っていたりする。それをどこまで自分だと考えるかです。

――パラレルワールドがあるって、なんかすごいですね。

野村 例えば、こんな量子力学の実験があります。電子をひとつポーンと飛ばして、その先にあるふたつの穴のどちらを通るか調べるというものです。

穴の先にはスクリーンがあって、そこでどちらの穴を通ったか観測するのです。すると、電子はひとつの粒子なので、どちらかひとつの穴しか通らないはずなのですが、どちらの穴も通ったと解釈せざるをえないパターンがスクリーンに生じるのです。

これは、ひとつの粒子が途中でふたつに分かれて、ひとつはパラレルワールドの宇宙に行き、それがこちらの宇宙に干渉してパターンをつくっているのだと考えます。

――じゃあ、SFのようにそのパラレルワールドの自分に会うこともできますか?

野村 それは、たぶんできません。電子がパラレルワールドに干渉する確率が1%程度だとすると、ふたつの粒子でできている水素原子の場合は1%×1%で0.01%の確率でしか干渉しないんです。

ですから、たくさんの粒子でできている人間がパラレルワールドで干渉する確率はかなり低いと思います。そこは、SFと科学の違いなのかもしれませんね。

■ITの世界ではすでにマルチバースがある?

実は、このマルチバースという言葉は、宇宙だけでなく最近はITの世界でも使い始められている。ITジャーナリストの三上 洋氏に聞いた。

――ITの世界にもマルチバースはあるんですか?

三上 マルチバースは「多元宇宙」という意味ですが、それはインターネットの世界でメタバース(仮想空間)が、たくさんできていることとよく似ています。

例えば、世界で一番普及している『VRチャット』というメタバースのプラットフォームは、アバターという自分の仮想の姿を作って、そこでコミュニケーションを取ります。

また、ゲーム内でライブが行なわれるくらい注目されている『フォートナイト』というメタバースもあります。ゲーム『あつまれ どうぶつの森』も一種のメタバースといえるでしょう。

こうしたメタバースが、インターネット上にバラバラに泡のように存在しているため、これをマルチバースと呼ぶことができます。

そして、多元宇宙のマルチバースと違う点は、例えばVRチャットで使っているアバターを変換してほかのメタバースでも使えたり、共通の暗号資産を使うネットの世界では唯一無二であるNFTアートを、違うメタバース間で取引するといったことができるかもしれないということです。

そして、それが新しいビジネスになるかもしれないともいわれています。マルチバースという言葉が今後、ITの世界でも新しいキーワードとして注目される可能性は高いと思います。

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『エブエブ』で話題になったマルチバースは、SFの世界でも宇宙論の世界でも、ITの世界でも注目されていた。今後、マルチバースが流行語になる未来が来るかもしれない。いや、別の世界ではすでにそうなっているかもしれない。