「特に印象的だったのは、アメリカの大麻の教育。急成長する業界の人材を育て、学生を集めるために新たなコースを新設したのです」と語る五十嵐杏南氏「特に印象的だったのは、アメリカの大麻の教育。急成長する業界の人材を育て、学生を集めるために新たなコースを新設したのです」と語る五十嵐杏南氏

サーファーのパフォーマンスを上げる研究。腕利きの職人を生み出すための、時計作りの教育。実際に忍者が身につけていたスキルの研究......etc.。

われわれの常識では計り知れない不思議で奇妙な研究や教育の数々に着目し、その最前線に迫った一冊が、『世界のヘンな研究 世界のトンデモ学問19選』(中央公論新社)だ。アメリカで暮らし、サイエンスライターとして世界各国の研究に注目してきた、著者の五十嵐杏南(いからし・あんな)氏を直撃した。

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――五十嵐さんは以前にもイグノーベル賞を題材とした『ヘンな科学』(総合法令出版)を書き、話題を集めました。こうしたユニークな研究に着目したきっかけはなんだったのでしょう?

五十嵐 企画の発端は、普段科学に触れない方にも面白く読んでもらえるものを書きたいという思いでした。科学というのは知識の伝達ばかり重視すると、どうしても押しつけがましくなってしまいがち。

その点、イグノーベル賞という切り口からアプローチするのはハードルが低く、実際に好評をいただくことができました。今回はそれを学問にアレンジして、科学に限らずより多彩な研究を取り上げることで、親しみやすい読書体験を提供できればと考えました。

――つまり、世間に対する科学との距離感に対し、もどかしさを感じていた?

五十嵐 私自身、小学校時代をアメリカで過ごしていたため、幼い頃からエンターテインメントとして科学に触れてきた経緯があります。アメリカでは子供向けの科学書が充実していて、テレビでもアニメと絡めて面白おかしく科学を取り上げた番組が多いんです。

それに比べて日本では、科学は教育の範疇(はんちゅう)という印象が強く、特に高校生以降は文系・理系に明確に分かれてしまいますよね。でも、自らそうした壁をつくってしまうのがもったいなく思えて、少しでも親しみやすい形で科学に触れられるコンテンツが作れないかと考えました。

――本書では、テーマパークやカジノ、温泉など、全19の"トンデモ学問"にスポットを当てています。特に印象深いのは?

五十嵐 アメリカの北ミシガン州立大学が提供している大麻の専攻ですね。ミシガン州では2008年に大麻の医療向け使用が、18年に嗜好用の使用が認められたのですが、急成長する大麻業界の人材を育成すべく、17年から授業が開講されました。具体的には大麻の成分分析や、あるいは植物から目的物質を抽出する方法などを学びます。

実はアメリカでも各大学が学生集めに苦労していて、いかに時勢に即した学びの環境を提供できるかが大きなテーマとなっています。そこで北ミシガン州立大学がよそに先駆けて大麻というトレンディなテーマで専攻を設立したことは、いかにも世相を象徴しているかのようでインパクトがありましたね。

――アメリカの大学も日本同様、工夫して学生を集めてるんですね。

五十嵐 ええ。アメリカはもともとジョブ型雇用が中心なので、ニッチな知識を備えた即戦力の人材が求められるんです。だから学生時代から特殊な経験を積んでいるほうが有利で、それがこうした土壌に通じているのだと思います。

――ユニークな学問の取材を通して、長らく科学に触れてきた五十嵐さんにとっても新鮮な発見や驚きがあったのでは?

五十嵐 そうですね。例えばインドの伝統医学であるアーユルヴェーダは、5000年も前に生まれたものでありながら、現代の医学が後追い的にその有用性を認めていることに驚かされました。温故知新というべきなのか、昔の人の知恵とその積み重ねが、時に科学に匹敵する事実は見逃せないと思います。

――一方で本書の中には、現代科学の常識に研究が阻まれるケースも見られました。

五十嵐 日本の温泉研究が最たるものですよね。温泉が体にいいという医学的根拠を求めようにも温泉地ごとに成分が違うし、そもそも薬ですぐに痛みが引くなら誰しもそのほうがいいわけです。

また、せっかく温泉地に来たのに「普通のお湯に入ってください」と言われても、協力してくれる被験者はなかなかいませんし、実験にかかる費用もバカになりません。対照実験をしづらいことから、医療の研究界でもあまり注目されていないようです。

――それでも頑張る研究者たちの姿が印象的でした。これまでの著書で取り上げた研究の数々は、人類や社会に将来どのような影響を及ぼすでしょうか?

五十嵐 『ヘンな科学』の執筆を通して強く感じられたのは、これらの研究は人の純粋な好奇心を肯定してくれるものだということです。ニーズや実用性のない研究に対して風当たりが強いのが今の社会ですが、ただ好奇心に突き動かされて研究に没頭していたところ、思わぬ成果が得られたパターンも多々ありますから。

また、グローバル化は社会にとって必要なことだともてはやされてきましたが、その半面、世界が個性を失い、どこも似たような環境になってしまうのは残念だと個人的には感じていました。その点、今作で取り上げたような特色ある学問は地域性やお国柄を発揮する、またとない分野だと思います。

――こうした学問の研究者たちは、やはり個性派ぞろいなのでしょうか?

五十嵐 それが、そうでもなかったのが逆に印象深いです。日常的に接していればまた別なのかもしれませんが、少なくとも取材時には皆さん非常に真面目でフレンドリーな方ばかりでした。

ただ、もともとは別の研究を行なっていたのが、ひょんなことから関心の方向性が変わり、珍しい学問の世界に身を置くようになった人が多かったですね。キャリアパスは必ずしも真っすぐでなくてもいいんだと、勇気づけられる思いです。

――この本を書く上で心がけていたことはなんでしょう。

五十嵐 科学というのは政治経済のニュースなどと違って、身近に感じないものがたくさんあります。だからこそ、面白くなければ読んでもらえませんから、少々専門的なことでもとにかくわかりやすく噛み砕くことは常に意識していました。

ただ、私が日本語と英語しか使えないこともあって、英語圏の研究に偏ってしまったことは少し心残りです。今後機会があれば、スペイン語圏など、より対象範囲を広げてヘンな研究をリサーチできればと思っています。

●五十嵐杏南(いからし・あんな)
1991年生まれ、愛知県出身。日英両言語でものを書くサイエンスライター。カナダのトロント大学で進化生態学と心理学を専攻。同大学卒業後、イギリスのインペリアル・カレッジ・ロンドンに進学し、サイエンスコミュニケーションの修士号を取得。その後、京都大学の広報官を務め、2016年11月からフリーに。2019年9月、一般社団法人知識流動システム研究所フェロー就任。現在は、科学誌やオンラインメディアを中心に記事を執筆している

■『世界のヘンな研究 世界のトンデモ学問19選』
中央公論新社 1760円(税込)
よい芝生を作るための研究、テーマパークの空間デザイン学、おいしいワインを造るための科学......。世界には、思いもよらない学問がいっぱいある! 本書は、サイエンスライターとして世界各地の科学ニュースに触れる著者による、オモシロ学問のガイドだ。いずれも地域と密接に結びついているのが特徴で、最終章では日本の研究として忍者・忍術学(三重)や温泉研究(大分)、富士山研究(山梨)なども登場する

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