ゴリラ研究の権威・山極寿一氏と、シジュウカラの文法を研究する鈴木俊貴氏の対談本『動物たちは何をしゃべっているのか?』(8月4日発売)より、まえがきを特別に全文公開!
□まえがき
本書は鳥になった研究者とゴリラになった研究者が、言語の進化と未来について語り合った記録である。
鳥になった研究者とは、このまえがきを担当する私(鈴木俊貴)のことだ。シジュウカラという野鳥を対象に、鳴き声の意味や役割について、17年以上かけて調べてきた。
長いと年に8カ月もの間、長野県の森にこもり、日の出から日没までシジュウカラを観察する。彼らの鳴き声を録音し、その意味を確かめるため、さまざまな分析や実験を行っていくのである。
そうした生活を続けるなかで、シジュウカラが何を考え、どのように世界を見ているのか、想像できるようになっていた。今では空を飛ぶタカも地を這うヘビもシジュウカラに教えてもらう。鳴き声を聞くだけで、瞬時に意味が飛び込んでくるのである。
ゴリラになった研究者とは、対談相手の山極寿一さん。ご存知の方も多いだろうが、京都大学の元総長で、ゴリラ研究の世界的な権威である。
山極さんは20代の頃からゴリラの群れに加わり、長い歳月をかけて彼らの行動や暮らし、社会の成り立ちを研究してきた。
すでに出版されている多くの書籍からも自明なように、アフリカの熱帯雨林で人間よりも体の大きなゴリラを研究することは、決して簡単なことではない。日本のように安全で便利な暮らしが保障されるわけではないし、異国の文化や風習にも馴染む必要が出てくる。
そして最も大切なのは、ゴリラとの距離感だろう。ゴリラの群れに密着し、近くで観察するためには、彼らが何を考えているのか察する力が肝要だ。同時に、ゴリラ側にも研究者が危険な存在ではないことを理解してもらう必要がある。これは、シジュウカラの研究とは大きく異なる点だろう。
それにもかかわらず、私は山極さんに対してシンパシーを感じていた。この対談が実現するまでお会いする機会はなかったが、山極さんの著書はいくつも読んでいた。そのなかで、対象動物になりきって彼らの世界を知ろうとするその姿勢が、驚くほどに自分と似ていると感じていたのだ。
この印象が正しかったと確信したのは、山極先生の最終講義(退職講演)。2020年9月25日にオンラインで開催されたが、京都大学の総長を務めてきたにもかかわらず、大学運営のことに関しては一切触れず、ゴリラのことだけを終始語り続けた姿が印象的だった。
ゴリラの世界を知り、ゴリラになった山極さんだからこそ、人間社会に伝えたいことが山ほどあるに違いない。私もシジュウカラを研究し、彼らの豊かな世界を知り得たからこそ、見えてきたことがたくさんある。
2022年9月12日。私は京都市北区の山中にある総合地球環境学研究所を訪ねた。山極さんは京都大学を退職後、本研究所で所長を務めている。
少々緊張気味に所長室に入り、山極さんに挨拶をしたところ、「いつもテレビで拝見しています」とにこやかに声をかけていただいた。そして、私の研究内容をスラスラと説明し始めたかと思うと、「鳥に文法があるなんて、すごい発見だ!」と褒めてくださった。
私自身、シジュウカラの研究を進めるうちに言語の進化に興味を持ち、類人猿の鳴き声の研究にも注視していたが、山極さんも同様に、言語の起源に興味を持ち、シジュウカラの研究を知っていたのだ。
シジュウカラとゴリラという姿形のまったく異なる動物を研究する2人であるが、実は「言語」というキーワードでつながっていたのである。
対談は、シジュウカラの世界とゴリラの世界を共有することから始まった。
シジュウカラの鳴き声にも単語や文法が存在すること、ゴリラを含む類人猿には、人間の言語の起源をひもとくヒントが隠されていることなど、対談は大いに盛り上がった。自分の好きなシジュウカラのことを夢中で話しているうちに、私の緊張はすっかりほぐれ、研究で気付いたことや新たな学問の可能性などを熱く語っていた。
言語は骨格などと異なり化石に残るものではない。それゆえ、進化の道筋を解き明かすのは簡単なことではないが、私たちに近い動物である類人猿をよく知る山極さんの言語進化論には「なるほどなぁ」と納得する部分が多々あった。
2022年12月16日。本書のための最後の対談を終え、ふと気付いたことがある。
それは、身分も年齢も研究のキャリアも大きく離れた山極さんが、終始一貫して、私と対等に議論してくれていたことだ。これは、山極さんが私の考えを尊重した上で、ご自身の主張を伝えてくださったからだろう。
ゴリラも相手に勝とうとしない社会関係を築くという。対等な関係性を大切に接してくださる山極さんは、まさにゴリラのような人なのだ。ひょっとしたら山極さんもおしゃべりな私のことをシジュウカラのような人だと思っていたのかもしれない。
当初は動物たちの言葉をテーマに対談する予定だったが、話はどんどん展開し、現代社会の問題や目指すべき未来像にまで議論は及んだ。動物研究の最先端をご紹介するだけでなく、鳥やゴリラの立場から言語をキーワードに人間社会を俯瞰するユニークな本に仕上がっていると思う。
本書が、言語とは何なのか、人間とはどのような動物なのか、そして真の豊かさとはどのようなことなのかを考えるきっかけになれば幸いである。
★『動物たちは何をしゃべっているのか?』の中身を週プレNEWSにて一部公開中!
●山極寿一(やまぎわ・じゅいち)
総合地球環境学研究所所長。京都大学元総長。日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学院理学研究科教授などを経て現職。鹿児島県屋久島で野生ニホンザル、アフリカ各地でゴリラの行動や生態をもとに初期人類の生活を復元し、人類に特有な社会特徴の由来を探っている。『ゴリラからの警告』(毎日文庫)など著書多数
公式ホームページ
●鈴木俊貴(すずき・としたか)
東京大学先端科学技術研究センター准教授。日本動物行動学会賞、日本生態学会宮地賞、文部科学大臣表彰若手科学者賞など受賞歴多数。シジュウカラ科に属する鳥類の行動研究を専門とし、特に鳴き声の意味や文法構造の解明を目指している。2023年4月に東京大学にて世界初の動物言語学分野を創設
公式Twitter【@toshitaka_szk】