つい最近まで、動物は複雑な思考ができないと考えられ、研究もほとんどされてこなかった。ところが近年、動物の認知やコミュニケーションに関する研究が進むと、驚くべきことが分かってきた。

動物たちは何を考え、どんなおしゃべりをしているのか? ゴリラになりたくて群れの中で過ごした霊長類学者にして京大前総長の山極壽一と、シジュウカラの言葉を解明した気鋭の研究者・鈴木俊貴が、最新の知見を語り合う。

書籍『動物たちは何をしゃべっているのか?』からの抜粋の後編です。前編中編も合わせてご覧ください

■言葉は環境への適応によって生まれた

山極 動物たちの言葉は、どうして生まれたと思いますか?

鈴木 環境への適応(*1)だと思います。

(*1【適応】進化生物学で用いられる「適応」は日常的な意味とは異なり、「ある生物が生存能力や繁殖能力を向上させる性質を得ること」を指すことが多い)

適応とは、平たく言うと、言葉を使える個体のほうが使えない個体よりもよりうまく生存し、たくさん子どもを残せたということです。その結果、言葉に関係する遺伝子がその集団内で広がっていった。

逆に言うと、ある動物がどういった言葉をどれだけ持てるのかは、住む環境に左右されると思うんです。言葉を使うことが有利にならない環境に住む動物なら、言葉の遺伝子は広がらないですから。

山極 なるほどね。

鈴木 僕が主に研究しているのはシジュウカラですが、実は、鳥ならなんでもシジュウカラのように鳴き声を使い分けられるわけではないんですね。

たとえば......カラス。

カラスは九官鳥やモズといった鳴き真似が得意な鳥の仲間なので、本当は色々な声を出せるはずなんです。実際僕も、東京の駅でカラスが電車の出す音の真似をしているのを見たことがあって。

山極 電車の?

鈴木 ええ。実家の最寄り駅で電車を待っていたら、どこからか小さく「ガッタン、ゴットン」という音がするんです。「あれ? 電車はまだ来てないよな」と思ってみたら、線路の上にいるカラスが電車の音を真似て鳴いてるんですよ。それを聞いた人間がぎょっとするのを見て楽しんでいるんです(笑)

山極 カラスの遊びですね。

鈴木 それほど器用なカラスなんですが、鳴き声は6種類くらいしかないと言われています。種によって差はありますが。

山極 意外と少ないんだ。

鈴木 というのも、カラスは基本的に開けた、見通しのいい環境に住みますから、互いが目で見えるんですね。すると視覚的なディスプレイ(*2)でコミュニケーションがとれるから、鳴き声はあまり必要としないんじゃないかな。

(*2【ディスプレイ】動物行動学の用語。動物が求愛や威嚇のために、自分の体の一部位を強調したり、あるいは大きく見せる姿勢や動作をすること)

実際、ワタリガラスはくちばしを人間の指みたいに使って、対象を指し示すことが知られています。彼らは言葉よりも身振りで十分に意思疎通できるような環境に住んでいるから、あまり言葉を発達させないということですね。

山極 なるほど。

鈴木 ですが、シジュウカラは鬱蒼(うっそう)とした見通しの悪い森に住む鳥ですから、視覚だけのコミュニケーションでは不十分。

だから鳴き声を、言葉を発達させたんじゃないかと思うんです。ヘビが来たとかエサがあるとか、自分の周囲で起きていることを、音声を使って詳細に伝えないといけないですから。

山極 環境への適応としてコミュニケーション手段が進化するのは、霊長類も同じです。

たとえば、さっき言ったようにサバンナモンキーも、天敵がヘビか、ヒョウか、ワシかによって異なる鳴き声を出しますが、これもまったく襲い方が異なる天敵がいるという環境に適応した結果ですよね。そこまでは、シジュウカラもサバンナモンキーも同じ。

鈴木 ええ、そうですね。

山極 だけれど、違いもあります。というのも、シジュウカラは空を飛べますが、サバンナモンキーは飛べないから。

シジュウカラは敵の種類を伝えるだけでなく「集まれ」といった指示までするようですが、サバンナモンキーはしない。シジュウカラのように自由自在に動けるわけではないからです。

鈴木 そうなんですね。たしかに、鳥の場合、飛ぶ方向を示すために出す声もありますからね。

山極 だから、サバンナモンキーにとっての鳴き声は気付きを与えるだけにとどまっているんじゃないかなと思いますね。いずれにしても、環境への適応として動物のコミュニケーション手段は進化してきたわけです。

鈴木 サバンナモンキーは天敵によって違う声を出すということですが、シジュウカラほど明瞭に鳴き分けているわけではないですからね。ヘビに対する声をヒョウに出すこともあったりします。つまり、仲間に気付いてもらえれば、明確に鳴き分けなくても良いということですね。

■シジュウカラの言葉の起源とは?

山極 鈴木さんの研究ですごいと思う点は他にもあって、これまでの鳥類の音声研究は主に求愛の文脈にフォーカスされていたんですね。鳴き声に限らず、ダンスやディスプレイも含めて。

ですが鈴木さんは、求愛以外について研究し、シジュウカラが鳴き声によって複雑なメッセージを伝えていることを明らかにした。

鈴木 ありがとうございます。たしかに僕は、求愛以外の文脈での音声のやりとりについて主に研究してきましたし、それがユニークな結果に結びついたと思っています。

ただ、僕は、求愛についての音声とそれ以外の音声は、関係しながら進化してきた可能性もあると思うんです。

山極 なるほど。

鈴木 そして、少なくともシジュウカラについて言うと、意味を持つ鳴き声、つまり言語の起源は、生存に直結する重大な情報のカテゴリー化だとにらんでいます。

山極 カテゴリー化?

鈴木 ええ。彼らにとっては、「トビ」とか「オオタカ」といったカテゴリーを表現する鳴き声を持つことが大事だったんだと思う。

僕ら人間にとっては、トビもオオタカも同じ「猛禽類」に見えてしまうかもしれませんが、シジュウカラにとっては大きな違いがあるんですよ。オオタカはシジュウカラを襲うけれど、トビは襲わないから。

ヒトとシジュウカラでは世界の見え方はまったく違うはず。たとえば、ヒトにとってはオオタカとトビの違いはわかりにくいが、シジュウカラにとってその違いは死活問題だ。こうした生存に関する重要な情報をカテゴリー化することが言語の起源かもしれない。 ヒトとシジュウカラでは世界の見え方はまったく違うはず。たとえば、ヒトにとってはオオタカとトビの違いはわかりにくいが、シジュウカラにとってその違いは死活問題だ。こうした生存に関する重要な情報をカテゴリー化することが言語の起源かもしれない。

山極 トビは襲わないんですね。

鈴木 ええ、そうです。トビの体が大きすぎて、うまくシジュウカラなどの小鳥を狩れないんだと思います。一方、オオタカやハイタカ、ツミなんかの猛禽類は小鳥もよく襲います。だから、オオタカとトビをカテゴリー分けする必要が生じて、鳴き声↔対象という対応関係が生まれる。

でも、カテゴリー分けされていたにしても、当初の鳴き声はオオタカへの単なる恐怖の叫び声だったかもしれない。感情を超えた意味はまだなかったと思うんです。

ツミは「雀鷹」と漢字で書くことからもわかるように、〝日本最小のタカ〟とも呼ばれる。全長は30㎝弱と、ハトほどの大きさしかない。 ツミは「雀鷹」と漢字で書くことからもわかるように、〝日本最小のタカ〟とも呼ばれる。全長は30㎝弱と、ハトほどの大きさしかない。

山極 なるほど。

鈴木 しかし、そのうち、鳴き声に意味が付け加えられていったのではないでしょうか。

たとえば、オオタカに対応する鳴き声を聞いた個体が茂みの中にいたならば、上空を警戒していればまず大丈夫。でも、開けた場所にいたなら、直ちに身を隠さないと襲われてしまいますよね。

このように、聞いたのが同じ鳴き声でも、状況に応じて違う行動をとれる個体のほうが生存上、有利なわけです。ですから、そういう個体の遺伝子が増えていくにつれ、鳴き声に、感情表現にとどまらない意味が加わっていったんじゃないかと思っています。

つまり、「ヒヒヒ」はタカを示す声であると理解でき、状況によって柔軟に適切な行動をとれる個体が生き残った。そして、意味を持つ鳴き声がシジュウカラの言葉に進化したというシナリオです。

■シジュウカラは言葉のイメージを持っているのか?

山極 たしかに。

ただ、鳴き声の意味については色々な議論がありますよね。先ほどサバンナモンキーが天敵によって異なる鳴き声を使い分ける話をしたけれど、それぞれの鳴き声がどういう意味を持つのかは厳密にはわかっていません。

鈴木 そうなんですよ。

最近の研究では、サバンナモンキーの警戒の鳴き声は、特定の天敵にだけ発されるわけではないことがわかっています。たとえば、他個体とのケンカの際にも、ヒョウやタカを警戒するときと同じような声を使ってしまう。つまり、聞き手のサルは、音声だけで迫り来る天敵の種類までを知ることはできないんです。

山極 そうなんですね。となると、人間の言葉とサバンナモンキーの警戒声は厳密にいうと違いますね。私たちは言葉によって明確にものを示すことができますから。

それと、人間にとっての単語はシンボルです。どういうことかというと、単語の音と指し示すものとの関係は、完全に恣意的(*3)なわけです。

(*3【恣意的】言語が指し示すものと、それを表す記号の間に必然的な結びつきがないさま。言語学者ソシュールが提唱した)

鈴木 恣意的、ですか。

山極 我々人間の言葉は恣意的です。

ここに緑茶があるけれど、この緑色の飲み物と「リョクチャ」という音の結びつきには必然性はない。別に「ティー」と呼んでもいいし、実際、そう呼んでいる集団もいます。ただ、私たちの集団には「リョクチャ=この飲み物」という恣意的なルールがある。それがシンボルということの意味です。

でも、サバンナモンキーにとっての鳴き声がシンボルになっているか、つまり恣意性を持っているかについては意見が分かれています。

鈴木 ですね。

サバンナモンキーはヒョウが出ると「ギャッギャッ」と鳴くみたいですが、その鳴き声がヒョウを意味しているのか、あるいは、単なる恐怖心を表現しているにすぎないのか。もし後者ならシンボルとはいえない。

山極 そうそう。状況から独立した意味を持ってはおらず、状況に依存した音なのかもしれない。

鈴木 ところが、シジュウカラの鳴き声は単なる感情ではないんです。つまり、彼らは鳴き声をシンボルとして使っている。僕は実験でそのことを確かめました。

山極 それはすごい。どんな実験ですか?

鈴木 まず、実験の準備として、シジュウカラがどういう天敵に対してどういう鳴き声を出すかを調べました。ヘビやタカ、モズといった天敵の?製を巣箱やエサ台のそばに置いて、それを見たシジュウカラの鳴き声を録音するんです。

すると、やはり特定の天敵に対してしか出さない鳴き声があることがわかりました。たとえばヘビに対しては「ジャージャー」と鳴きます。

次に、録音したその鳴き声をシジュウカラに聞こえるようにスピーカーから聞かせてみると、やっぱり彼らはヘビがいそうな地面を見まわしたり、茂みを確認しに行ったりするんです。

つまり、「ジャージャー」という鳴き声と、ヘビという対象が対応していることは確からしいんですね。

山極 問題は、その鳴き声がヘビのシンボルか、つまり鳴き声を聞いたシジュウカラが、ヘビをイメージしているかどうかですね。

シジュウカラが鳴いている様子。右にその音声を分析したサウンドスペクトログラムを示した。上は「ヒヒヒ」(タカだ!)で、上空を警戒している。一方、下の「ジャージャー」(ヘビだ!)では地面を探している。 シジュウカラが鳴いている様子。右にその音声を分析したサウンドスペクトログラムを示した。上は「ヒヒヒ」(タカだ!)で、上空を警戒している。一方、下の「ジャージャー」(ヘビだ!)では地面を探している。

鈴木 そうです。

僕たち人間は「ヘビ」という音を聞くと、にょろにょろしたあの生き物を想像しますけれど、シジュウカラの脳内でも同じようにイメージが想起されているのかどうか。これは単に鳴き声を聞かせるだけではわかりません。たとえば「ジャージャー」は、「地面や茂みに注意せよ」という指示にすぎないかもしれない。

そこで僕が考えたのが、見間違えを利用した認知実験です。

山極 見間違え?

鈴木 ええ。僕たち人間には、シンボルをきっかけとして見間違えが起こることがありますよね。

いい例が心霊写真で、ただの影でも「これ、人の顔じゃない?」と言われると、急に顔に見えてきて怖くなってしまう。ホモ・サピエンスの顔のシンボルである「ヒトノカオ」という音が、視覚的なイメージを呼びおこすからですよね。

シジュウカラにも同じ現象が起こるならば、彼らは鳴き声をシンボルとして捉えていると言っていい。そう考えて僕は、20cmほどの木の枝を用意しました。

といってもただの枝です。ヘビに似ているわけじゃないので、通常ならシジュウカラがヘビに見間違えるわけはありません。

山極 心霊写真の例えでいう影と同じですね。何も言われなければただの影でしかない。

鈴木 はい。でも、その枝にひもを付けて木の幹沿いに引き上げながら先ほどの「ジャージャー」を聞かせると、シジュウカラはほぼ確実にヘビと見間違えるんですよ! 枝を確認しに行ってしまうんです。

鈴木さんが行った実験は、見間違えを利用したもの。ヘビを警戒する音を聞かせながらヘビほどのサイズの枝を引き上げると、シジュウカラは必ず枝を確認しに行く(=ヘビと見間違える)という。特定の音がヘビのイメージを想起させることを示した。 鈴木さんが行った実験は、見間違えを利用したもの。ヘビを警戒する音を聞かせながらヘビほどのサイズの枝を引き上げると、シジュウカラは必ず枝を確認しに行く(=ヘビと見間違える)という。特定の音がヘビのイメージを想起させることを示した。

山極 なるほど、面白い。ただ、単に枝の動きに反応しているだけという可能性はないですか?

鈴木 そう思って、同じように枝を見せながら、別の音声を聞かせる実験もしてみました。モズやフクロウに対して発する鳴き声や仲間を呼ぶための「ヂヂヂヂ」という鳴き声などです。

すると、シジュウカラは枝に反応しないんですよ。「ジャージャー」と一緒に見せたときはあんなにびっくりして飛んできたのに。

つまり、「ジャージャー」という音声がヘビの視覚的イメージを呼び起こしているらしいんです。人間にとっての「ヘビ」という言葉のように。それはつまり、シジュウカラにとっての「ジャージャー」はヘビのシンボルだということです。

山極 素晴らしい。シジュウカラも視覚的なイメージを持っているんですね。

鈴木 はい。小鳥も結構人間に似ていて、視覚と聴覚に頼って世界を認識しているからだと思います。

■言葉と感情

山極 サルも私たち人間も、基本的に視覚優位の世界にいますから、言葉などのシンボルを聞くとまず映像や画像を思い浮かべます。

ただ、厳密にはシンボルと映像は一対一対応ではないんですね。たとえば、一言に「カップ」と言っても、一種類だけではない。取っ手があるもの、ないもの。赤いカップ、白いカップ......たくさんのカップがあります。

にもかかわらず、それらをすべて「カップ」で総称しているのが人間の言葉です。言い換えると、言葉によって現実の複雑さを切り捨てている。それにはポジティブな面も、ネガティブな面もあります。

しかしシジュウカラの言葉は、もっと豊かではないですか? 先ほどの「ジャージャー」にしても、「ヘビ」以外の意味も含んではいませんか。

鈴木 まさにそうです! シジュウカラの「ジャージャー」は、単にヘビを意味しているだけではないんです。ヘビが近づいてきているとかの切羽詰まった状況では「ジャジャージャジャジャ」という感じの、より注意をひく声に変わるんですね。

要するに、人間の言葉にすると「危険だ!」とか「ヤバい!」と言った意味も持てるのがシジュウカラの「ジャージャー」です。

山極 本当は、人間の言葉も同じなんです。のんびりと「雨だ」と言ったときと、「雨だ!」と叫んだときとでは、まったく緊迫度が違いますよね。

しかし、こうやって活字になると、せいぜい「!」をつけるくらいしかできない。

鈴木 そういえば、ミーアキャットを対象に、こういう研究をしている人がいましたよ。チューリッヒ大学の先生で。

ミーアキャットにヘビや猛禽類といった天敵を見せて、その鳴き声を記録するんですが、同じ天敵でも距離によって鳴き声が変わるらしいんです。つまり、感情の要素が含まれているということです。

したがって、ミーアキャットの場合も「シンボルとしての鳴き声」と「感情の表れとしての鳴き声」が分かれておらず、連続しているという主張でした。

アフリカ南部に棲息するミーアキャット。「キャット」とつくが、実際はマングースの仲間。 アフリカ南部に棲息するミーアキャット。「キャット」とつくが、実際はマングースの仲間。

■リズムと共感

山極 人間の言葉にも同じことが言えると思います。というのも、しゃべるときには感情と密接な関係にあるピッチとトーンがとても重要だからね。ピッチは音の高低、トーンは音色。

一番わかりやすい例は、大人が赤ん坊に話しかける言葉ですね。インファント・ダイレクテッド・スピーチ(*4)と言うんですが、「まあ、可愛いわねえ」と、ピッチもトーンも変化するでしょ? 「よしよし」みたいに、繰り返しも多用されて、感情が表れている。

(*4【インファント・ダイレクテッド・スピーチ】乳児へ語りかけるときにする、成人に対する話しかけとは明らかに異なる話し方。声が高くなったりイントネーションが誇張される)

要は、人間の言葉も、感情などの複雑な情報を含むことができるんです。いわば音楽的な言葉です。

鈴木 たしかに、そうかもしれません。

山極 そして、赤ん坊に向けたインファント・ダイレクテッド・スピーチは、ペットに向けるペット・ダイレクテッド・スピーチと同じだという話もあります。たしかによく似ていますよね。相手が言葉を理解しないという共通点もある。

鈴木 似ていますね。

どちらも繰り返しが多用されるのが特徴ですが、同じリズムでの繰り返しを共有することは、心理学的には共感を高める行為なんですよね。人間の場合なら、一緒に歌を歌うことがそうですね。

山極 あとは、スポーツの応援もそうだね。サッカーのワールドカップなんかで自国チームが勝つと、みんなで同時にわーっとやるでしょう? あれも同調です。

鈴木 動物も同調するんですよね。たとえばタンチョウは求愛のときに、鳴き声やダンスを同調させたりします。

タンチョウは旧千円札に描かれていたツル。北海道東部に生息。「丹頂」とは頭のてっぺんが赤いことを指す。 タンチョウは旧千円札に描かれていたツル。北海道東部に生息。「丹頂」とは頭のてっぺんが赤いことを指す。

山極 私は、こういう音楽的な言葉が人間の言語の起源なんじゃないかと推測しています。まあ、その話は後ほど詳しくやりましょう。

■文法も適応によって生まれた

山極 ところで、ここまでの鈴木さんのお話は、主に単語レベルの話ですよね。文ではなく。

鈴木 はい、単語の話です。こうして意味を持つ単語が生まれた後に、それらを特定のルールに基づいて組み合わせて、より複雑な意味を伝える能力が進化したんだと僕は思っています。少なくとも、シジュウカラは単語を組み合わせて文章を作れますから。

単語だけでは伝えられる情報に限界がありますよね。たとえば、シジュウカラには「集まれ」という鳴き声がありますけど、それだけだとエサがあるから仲間を集めているのか、それとも天敵が来たから身を守ろうとしているのかわからない。

開けた場所で暮らす動物なら視覚から情報を得られるので「集まれ」だけで十分だったかもしれませんが、シジュウカラは見通しの悪い森に住んでいるから、視覚をあまり使えない。そこで単語どうしを組み合わせて、文法を発達させたんじゃないかと思うんです。

山極 なるほど。求愛のときに発するさえずりも音声が組み合わさっていますよね?

鈴木 そうです。「ホーホケキョ」というのはウグイスのさえずり。これも「ホー」「ホ」「ケ」「キョ」の組み合わせです。しかし、それぞれの要素に特別な意味はなく、単語にはなっていない。さえずりの組み合わせは文法ではないんです。

一方、シジュウカラは意味を持つ鳴き声、つまり地鳴き(*5)を組み合わせて複雑なメッセージを作ることができる。さえずりとは独立して、文法が進化したんだと思っています。

(*5【地鳴き】鳥類学では、求愛の際に発する音声をさえずりと呼び、それ以外の声はひとくくりに地鳴きと称される)

山極 というと、さえずりと地鳴きはまったく非連続ということ?

鈴木 そうとも言い切れない部分もあって。たとえば、シジュウカラの求愛のさえずりは「ツツピーツツピー」というフレーズですけど、その「ツ」の音は地鳴きのほうでも使われていたりするんですよ。

山極 そうなんですね。

鈴木 今までの鳥の鳴き声の研究だと、「さえずり」「地鳴き」などに分けることが多かったんですが、実は共通する要素もあって、関係しながら進化してきたと思っています。

さえずりについては、野外だけでなく実験室内でも多くの研究者が研究を進めてきましたが、地鳴きについては非常に少ない。僕はそこを研究したいんです。

山極 なるほど。

動物のコミュニケーションには、その種がどのように世界を捉えているか、どのように行動しているか、ひいてはその種がどういう動物かがよく表れています。私たち人間の言語も例外ではありません。

山極壽一(やまぎわ・じゅいち)
総合地球環境学研究所所長。京都大学元総長。日本モンキーセンター・リサーチフェロー、京都大学霊長類研究所助手、同大学院理学研究科教授などを経て現職。『ゴリラからの警告』(毎日文庫)など著書多数
公式ホームページ

鈴木俊貴(すずき・としたか)
東京大学先端科学技術研究センター准教授。シジュウカラ科に属する鳥類の行動研究を専門とし、特に鳴き声の意味や文法構造の解明を目指している。鳥や虫、獣の言葉を解明する「動物言語学」の創設を提唱
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