佐藤喬さとう・たかし
フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。
脳とAIを接続する。そんなSFみたいな技術は実はすでに利用可能になっている。では、この技術が発展するとどんなことが実現するのか!?
AIに意識を持たせようと取り組む神経科学者・金井良太氏と、自身の意識を機械にアップロードすることを目指す東大准教授・渡辺正峰氏に、未来の展望を大胆に予測してもらった!
Xにテスラ、オープンAIにスペースX......。世界を動かす企業の数多くに関わってきた、アメリカの実業家イーロン・マスク氏。その彼が実は脳にも興味を持ち、莫大(ばくだい)な資金をつぎ込んでいることを知る人は多くないだろう。
同氏は2016年に、脳科学スタートアップのニューラリンクを共同創業。以降、高名な脳科学者を何人も雇い、脳活動によってPCや機械を操る「BMI」(ブレイン・マシン・インターフェース)の研究に邁進(まいしん)している。
今年5月には同社がデバイスを人の脳に埋め込む臨床試験の承認をFDA(米国食品医薬品局)から取得したことがニュースになった。「脳で直接機械を操る」というとSFチックだが、もう実現は視野に入っているのだ。
ではBMI技術が進展すると、どんなことが起こるのか? 神経科学者で「意識を持つAI」など先進的なAI開発を目指す株式会社アラヤの代表取締役・金井良太氏は「人間の能力がさまざまな形で拡張される」と言う。
BMIの応用例としては、視覚や聴覚を失った人が、カメラやマイクと脳をつなげて感覚を回復したケースや、脳波を読み取って人工音声に変える試みがすでにあるのだ。
「今年5月には、頭の表面に取りつけた脳波計を介してメールアプリを操作し、手を動かさずに返信メールを作る実験に弊社の研究チームが成功しました。発話中の脳波データを取得してAIに学習・解析させています」
とすると、キーボードがいらなくなる日は近い?
「確かに成功したのですが、この実験はBMIとChatGPTを組み合わせたのがミソです。脳波でメールを打つというと頭の中で『A、B、C......』と文字を打つことを想像するかもしれませんが、われわれが利用した技術ではそこまでの精度は出ず、いくつかの選択肢からひとつを選ぶくらいが限界です。
だから、生成AIに返信メールを複数作ってもらって、脳波を基に適切な文面を選ぶ手法を採りました」
なるほど。精度が出せなかったのはなぜ?
「今のBMIは2種類あります。頭の中に電極を入れる侵襲(体に負荷を与える方法)のものと、私たちの実験のように頭の外からアプローチする非侵襲のものですね。私たちは非侵襲のBMIを使ったのですが、このふたつの差はとても大きいんです。
非侵襲だと分厚い頭蓋骨のせいで脳から読み取れる情報の量がすごく減ってしまうし、ノイズも大きくなってしまうので。だから非侵襲BMIで脳を観察しても、その人が想像していることはぼんやりとしかわからないのです」
一方、冒頭で紹介したニューラリンクのBMIは侵襲型だ。リスクはあるが将来性のある侵襲型BMIの臨床試験が承認されたため、業界で話題になったのだ。
「それからもうひとつ、侵襲と非侵襲の間に『少しだけ侵襲する』BMIの手法があって、それが脳の太い血管にカテーテルで電極を入れるやり方です。これならば開頭手術なしで頭蓋骨の中にアプローチできますから、実現の可能性は大きいでしょう。
われわれが取り組む内閣府のムーンショットのプロジェクトでもこの技術に取り組んでいます。実際、シンクロンというアメリカの会社は脳の静脈内に電極を送り込むことで、脳活動によるXへのポスト(投稿)に成功しています」
侵襲型BMIならば、すでに驚くような技術が実現している。例えばロボットアームの操作だ。
「米国のネイサン・コープランドさんという方は、脊髄損傷によって手足が動かなくなってしまったのですが、脳に電極を入れる侵襲型BMIによって、念じるだけでロボットアームを自由に操作できる上、モノに触った感覚も得られます。
本人に聞くとそれほど複雑な刺激ではないらしいですが、感覚があるおかげでロボットアームを操作しやすいということでした」
ということは、われわれも侵襲型BMIを利用すれば、脳だけで自動車やスマホを扱えるようになるということ?
「確かに侵襲型BMIだと扱える情報量ははるかに大きくなるのですが、なんといっても開頭手術が必要ですから医学的なリスクが大きいんです。健常者が手を使わずに機械を動かせるからといって、そのために開頭手術までする人がどれだけいるか。病原菌の感染リスクもありますし、医学的、法的、倫理的な壁はとても厚いのが現状です。
ネイサンさんもリスクを承知しつつ、『科学のため』という強い信念を持って電極を入れたようです。あと、BMI技術が登場する日本のSFアニメ『攻殻機動隊』が好きで、そういう技術に関心があるとも言っていましたね。
いずれにせよ、ハンディキャップがある方でも、相当の覚悟がなければ侵襲型BMIは難しいということ。一般人が気軽に侵襲型BMIを試せるようになるのはまだ先ではないでしょうか」
SFアニメで描かれるような未来はまだまだ遠いようだが、どこかに突破口はない?
「デバイスを埋め込んだ後に頭にふたをして感染リスクを減らすやり方ならアリかもしれません。とはいえ、その場合はデバイスのサイズを脳に収まるように小さくすることと、外部への無線通信技術や給電技術が必要になります。熱を抑えることも必須ですね」
ではもしBMIが一般化したら、どんな使い道が考えられる?
「記憶をつかさどる部位である海馬を刺激して、記憶力を高めるといった使い方ができると需要はありそうですね」
ただし、実現にはコストの壁も大きいという。
「現状の技術だと個人への実装には数億円はかかるでしょうから、サービス提供側がビジネスとして成り立たせられるかは微妙ですね。ニーズがあるのはやはりハンディを抱えた方を助ける分野ではないでしょうか。例えば先ほどの記憶力アップにしても、健常者ではなく認知症の方を助ける目的ならもっと現実的だと思います」
ところで金井氏によると、現状のBMIには別の難しさもあるのだという。脳の情報を電極などで読み取って機械を動かすことはある程度可能だが、逆に、脳に対して情報を書き込むことが極めて困難なのだ。
神経科学を専門とする東京大学准教授の渡辺正峰(まさたか)氏も、同じ難しさを指摘する。
「脳への情報を書き込む際には、脳に入れた電極から神経細胞(ニューロン)に電流を流します。それによって、例えば顔を見たときに発火する『顔ニューロン』を活動させられれば、脳は『顔が見えている』と感じるわけです。
しかし現在の技術では特定のニューロンだけを狙って活動させることができず、遠くのニューロンまでをも活性化させてしまう。すると、『顔ニューロン』を狙って電流を流しても、隣の『手ニューロン』はおろか、どこの馬の骨だかわからない別のニューロンも同時に活性化させてしまい、まともに情報を書き込むことができないんです」
だが渡辺氏は、その問題を解決するアイデアを持っている。注目したのは、左右の脳半球をつなぐ脳梁(のうりょう)神経線維の束だ。
「人間の脳は左右の半球に分かれています。それぞれに約100億個のニューロンがあるのですが、そのうち左右それぞれ1億個のニューロンは反対側の脳と神経線維でつながっているんですね。
私はこの、左右の脳半球をつなげる神経線維の束に特殊な電極を入れ、情報を読み書きしようと考えています。10年くらい先の技術で、一本一本のすべてに対して独立に読み書きができるようになるはずです」
では、そんな技術が実現したとして、どういった応用が考えられる?
「例えば、自分が考えている内容を他人に送る、なんてことも可能ですね。そうすれば、メールやLINEいらずの世界になるかもしれません」
脳に挿した電極がより多くの情報を扱えるようになれば、こんなことも可能になる。
「念じるだけでネットにアクセスすることができそうです。私が考えているような特殊なBMIがあれば、ネット上の画像情報を脳に書き込む、つまり目ではなく脳で『見る』こともできるようになるでしょう。それから、もっと情報量が多い動画や音楽なんかも脳で楽しむようなこともできるかもしれません」
渡辺氏が考えているような高度なBMIが実現すると、極めて興味深いことが起こる。脳と脳とを直接つなげることで、従来は伝えることが難しかった言葉にならない感覚を一瞬で共有できるのだ。
「家族や大切な人と一緒にたき火を囲んだときのなんとも言えない落ち着く感覚や、同僚と一緒に難しい仕事をやり遂げたときの達成感は言葉にすることが難しいですが、そのような経験を他人と分かち合えると共感が生まれ、結びつきが強くなりますよね。
といっても、なかなかそんな経験はできません。しかしBMIによって脳同士をつなげると、そのような強烈な『共感そのもの』を送り合うことができますから、人と人との結びつきを強くすることが期待できます。
NTTコミュニケーション科学基礎研究所で触覚の研究をしている渡邊淳司さんは、仮想現実技術によって遠くの人と手をつなぐ感覚を得ることを『バーチャルハンドシェイク』と呼び、それによって世界平和を実現したいと言っています。
そのアイデアを拝借するなら、脳同士がBMIによって直接的に触れ合うわけですから、お祭りやライブを一緒に体験したような強い共感が即座に生まれるでしょう」
BMIによる明るい未来が描ける一方で、渡辺氏は社会にマイナスの影響を及ぼすリスクも懸念している。
「将来的にBMIが一般化しても、健常者向けは保険も適用されずに極めて高価なものになるでしょうから、利用できる層とできない層とに分かれる可能性が高い。資本主義社会でビジネスとしてBMIを扱う以上、そうなるだろうと言わざるをえません。
でも、私はそういう未来を望んでいません。せっかく他人と共感する技術が確立しても、それが格差を生むのでは本末転倒です。だからもし私が考えているBMIを実現させるなら、なんとか価格を下げたいですね。せめて中古車1台分くらいまでは」
では、一般人でもなんとか手が届くくらいの価格のBMIによって渡辺氏が最終的に成し遂げたいことは?
「それは、機械への意識の移植による不老不死の実現です。意識を宿す脳は、仕組みとしては少し手の込んだ電気回路に過ぎません。であれば、脳の回路を機械上で再現すれば、そこにも意識が宿るはず。多くの神経科学者はそう考えています」
すごい発想! でも、機械への移植なんてホントにできるの?
「神経線維でつながる左脳と右脳は実は別々の存在で、病気などで両者を切り離された人では左脳と右脳にそれぞれ異なる意識が宿ることが知られています。
でも、通常の脳では左脳と右脳は一体化して『ひとつの自分』という統合された意識を生んでいますよね。それと同じように、脳と、脳を代替する機械をBMIでつなげ、両者の間で意識を統合し、記憶を転送します。
その時点で、肉体と脳が滅んでも、意識は死を経験することなくシームレスに機械の中で生き続けることになる。人は望む限りにおいて永遠に生き続けられる世界が到来するんです」
渡辺氏は「実現には20年くらいかかりそうだが、できれば10年以内にめどをつけたい」と語る。BMIによって永遠の生命さえ実現するかもしれない。だが、それがバラ色になるかディストピアになるかは、結局のところ人間にかかっているのだ。
●渡辺正峰(わたなべ・まさたか)
東京大学大学院工学系研究科准教授。専門は神経科学。意識を機械にアップロードすることを目指している。著書に『脳の意識 機械の意識』(中公新書)など
●金井良太(かない・りょうた)
神経科学者。株式会社アラヤ代表取締役。AIに意識を持たせる「人工意識」の実装に取り組んでいる。著書に『AIに意識は生まれるか』(イースト・プレス)など
フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。