2022年度から高校で必履修科目となった「情報Ⅰ」。同科目では、プログラミングに始まり、コンピューターの仕組みや情報社会の諸問題まで扱っているという。

そんな時代に、「ITはよくわからない」なんて、もう言えない!? 彼らに負けないために、社会人が身につけておくべきITの教養とは!

■日本の教育の遅れを取り戻すための科目

最近の教育現場では、情報教育の改革が進んでいる。授業もひとり1台ずつ配布されたタブレット端末を使って行なうのがメジャーだ。黒板にチョークという授業風景で育った世代には、隔世の感があるだろう。

さらに、2022年度から高校で必修化された新科目「情報Ⅰ」では、プログラミング学習に始まり、コンピューターの仕組みや情報社会の諸問題についてまで学ぶことが定められている。

「今どきの高校生は大変だな~」などと思うかもしれないが、人ごとではない。なぜなら、「情報Ⅰ」が導入された背景には、社会やビジネスの変化があるというのだ。

では、情報Ⅰとはどのような教科なのだろうか。IT関連のコンサルティングや企業研修を行なう株式会社NextInt(ネクストイント)の中山心太(しんた)代表に話を聞いた。

「情報Ⅰという科目には、現代教育が取りこぼしたものがすべて詰め込まれているといえます。まず、現代社会における情報と生活は、切っても切れない関係にあります。それにもかかわらず、長い間教育現場では情報技術についてちゃんと教えられてきませんでした。

これは私見ですが、現代日本の学校教育のカリキュラムは基本的に変えられない状況なのだと思います。しかし、情報環境の変化によって、教育カリキュラムと現代生活の間に大きなギャップが生じてしまった。そのギャップを埋めるための知識が、情報Ⅰに詰め込まれているのだと思います」

情報Ⅰの教科書はフルカラーで図解が充実しているものが多い。写真は2024年度の教科書『情報Ⅰ』(日本文教出版) 情報Ⅰの教科書はフルカラーで図解が充実しているものが多い。写真は2024年度の教科書『情報Ⅰ』(日本文教出版)

なるほど、情報Ⅰは日本の教育の遅れを取り戻すべく導入されたともいえるわけだ。では、実際の内容はどういったものなのだろうか?

「科目の内容については、試作問題の構成と配点を見るのがわかりやすいでしょう。25年1月実施の大学入学共通テストから『情報』が追加されるので、その試作問題が公開されました。私も解いてみたのですが、そのあまりの難しさに驚きました。

著書でも紹介したのですが、『待ち行列理論』と呼ばれる応用数学を使った問題もありました。私がこれを勉強したのは大学院でした。試作問題は、この待ち行列理論を数学的に解かせるのではなく、コンピューターシミュレーションで解かせるものでした。

これをひと言で言うなら、教科書の丸暗記ではなく、学んだことの実践が求められているわけです。勉強ができることは当たり前で、その上で課題解決能力がある者だけが高得点を取れる、という問題でした。ちなみに私は100点満点中90点でした。

これではあまりに難しすぎるので、実際の試験はもう少し難度が下がるでしょう。しかし、知識よりも実践を重視する傾向は変わらないでしょうね」

■人ごとではない、ビジネス環境の激変

ITや数学に苦手意識のある者にとっては頭の痛くなりそうな内容だ。しかし、中山氏は「情報を学ばなければ、現代のビジネスは成立しない」と語る。情報Ⅰの必修化に見られるように、社会で生き抜く力としてITが重要視されるようになった背景には、どのようなビジネス環境の変化があるのだろうか。

「日本企業においては、高度経済成長期にうまく回っていたシステムが機能しなくなってきたというのがすべてですね。

これまでは一括採用した大卒新人を人事異動によって動かすことで、企業がアジリティ(環境変化に対応する機敏性)を獲得して、うまくやってきました。これは、世の中が未成熟であったがために成立した手法だといえます。

『頭の良い大卒を人事異動させれば、半年ないし3ヵ月程度で最先端にキャッチアップして問題解決できていた』というわけです。しかし、社会が成熟してきた結果、今は人事異動で新しい部署に来た人が最先端にキャッチアップするまでに5~10年かかるようになってしまいました。社員を人事異動で動かしても、問題が解決しなくなってきたのです。

ここで同時に、『ソフトウエア』という概念が入ってきました。一般的に、ソフトウエアの専門家は20~30年のキャリアがあります。そのような専門家と相談したり、あるいは自分たちでソフトウエアを開発したりできなければ、問題が解決しない段階になってきたのです。 

これまでの日本企業では、発注したソフトウエアに問題が見つかった場合、それを解決しようとしても、すでに当時のIT担当者が人事異動でいなくなったりしていました。これでは、良いITシステムは構築されません。

人事異動によって社員を成長させていくやり方は、専門知識の蓄積が必要となるITのあり方と非常に相性が悪いのです。社会の成熟によって専門家が必要になってきたのに、日本企業では専門家を常勤させることが一般化していなかったんです。

近年ようやく、ジョブ型の専門職採用をして、人事異動を抑える風潮が出来上がってきました」

株式会社NextIntの中山心太代表 株式会社NextIntの中山心太代表

情報環境の変化は、社会で働くわれわれにこそ、ダイレクトに影響してきているわけだ。しかし、昨今のビジネスシーンでは「パソコンのことは苦手だから」とIT機器の取り扱いを若手社員に任せきりにしてしまう社員も少なくない。今後、ITを使いこなせない社員はどうなってしまうのだろうか。

「厳しい言い方ですが、ITスキルのない既存社員の昇進は止まるでしょうね。日本企業は社員を解雇しない代わりに、職位(年齢)に応じた給与体系を維持し、強い人事異動権を持っていました。

今後はジョブ型採用で人事異動をしない代わりに、給料の上と下の振れ幅がものすごく大きくなるかもしれません。特に、情報Ⅰを身につけた高校生が大卒で入社してくる29年以降は、現役世代にとっては怖いでしょうね。

学校教育でITをやってきた新人社員と戦わないといけませんから。今の情報教育のカリキュラムの内容を知って、自分と29年以降の新人社員がちゃんとビジネスで戦えるのか、自分には何が足りないのか意識することが大切です。

これに加えて、現在の教育現場では確率・統計の比重が増えていることにも注目すべきでしょう。コンピューターが普及したことで、今や誰でも統計を行なえるようになりました。もちろん職種にもよりますが、基本的に『確率・統計ができなければマネジャーにはなれない』といっていいでしょう。

物事が確率的に発生するという理解がないまま、ビジネスをするのは危険なことである、という認識が一般的になったのです。変動があることを前提とした在庫管理や、受注発注の予測など、確率・統計を基にした考え方へとビジネスのあり方そのものが変わってきたのです。

『ガッツでホームランを出せばいい』という時代から、『高確率で安定した成績を出せる』ことが重視されるようになったわけです。数学教育でも確率・統計が重要視されるようになったのは、このためです」

■大人の「情報Ⅰ」、ITパスポート

それでは、情報教育を受けてこなかった世代はどうすればいいのだろうか。高校生に負けじと、情報Ⅰを新たに勉強するのもひとつの手か?

「情報Ⅰは、教科書が非常にわかりやすくできていて、とても参考になります。ただ、社会人には試験がないので、ちゃんと学習できたことが証明できないという問題があります。代わりに、『ITパスポート』を取ることをオススメします。

情報Ⅰの必修化に合わせて、ITパスポートの内容も拡張されました。また、情報技術だけでなく経営戦略やマネジメントといった内容も含まれているので、社会人なら取っておいて損はありません」

ITパスポートとは、経済産業省認定の「情報処理技術者試験」のエントリーレベル。ITエンジニアだけでなく幅広い層にITの正しい知識が必要であるという認識から、2009年4月に新設された ITパスポートとは、経済産業省認定の「情報処理技術者試験」のエントリーレベル。ITエンジニアだけでなく幅広い層にITの正しい知識が必要であるという認識から、2009年4月に新設された

ITパスポートとは、ITに関する基礎的知識を証明する国家資格だ。最近ではこれの取得を全社員に義務づけている会社も多くなってきている。中山氏いわく、ビジネスにおけるITスキルとは「あれば評価される」技能から「ないと仕事ができない」技能になってきているという。

「企業におけるITといえば、真っ先に思い浮かぶのは『ITを開発する/開発を依頼する人』ですよね。でも、残りの全員も『ITシステムを使う人』です。どのような仕事であれ、ITと無関係である人なんて現代社会ではいません。

ITパスポートの試験では、経営戦略などの『ストラテジ系』とITシステム管理などの『マネジメント系』、技術に関する『テクノロジ系』の3分野から出題されます。全体の3分の2にあたるストラテジ系とマネジメント系は、文系であっても、仕事をしている人なら当たり前に解ける内容です。

これらの知識は、大きな金額を動かす仕事では絶対に必要なものです。実際の難度は高くないけれども、知らなければ会社でうまく仕事をすることができないし、外部との折衝もままならないでしょう。

また、テクノロジー系に関しても、専門的な内容ではありません。ITパスポートは、基本的には『ITシステムを使えるようにする』ためのものです。つまり、ソフトウエアなどのITシステムを構築する専門家ではなく、ITを使うユーザーになるための知識なのです」

■「共通言語」としてのIT知識

これからのビジネスでは「ITが苦手」なんて、もう言えないわけだ。とはいえ、「プログラミング」などと言われると、どうしても及び腰になってしまう人もいる。

「教科書を見ればわかりますが、教育現場ではとても簡単なプログラミングしかやっていません。そもそもプログラミングとは、非常に幅が広いものです。

例えば、『プログラミングスキル』には、問題を分割する能力とか、問題を解決する能力も含まれます。問題を分解していって、コンピューターが実行可能な最小限の単位まで変換すること。これが究極的なプログラミングの能力です。

プログラミングは『何かを組み合わせて、ものすごいものを作り上げていくこと』と考えられがちですが、これは逆です。プログラマーの考え方としては、『大きな問題をどう小さく分割するか』なんですね。これは、世の中のすべての問題解決に当てはまることだと思います。

実際に、プログラミングの考え方が身につけば、良いマニュアルが書けるようになります。物事を人に伝えるための抜け漏れがない文章を書くことができるようになるからです。このように、プログラミングスキルは、ホワイトカラーがやっている仕事すべてに通じることであると私は思っています」

中山氏が昨年10月に上梓した『高校生だけじゃもったいない 仕事に役立つ新・必修科目 情報Ⅰ』(PHP研究所)。DXやITパスポートなど、現代の社会人に求められる知識が詰まった一冊 中山氏が昨年10月に上梓した『高校生だけじゃもったいない 仕事に役立つ新・必修科目 情報Ⅰ』(PHP研究所)。DXやITパスポートなど、現代の社会人に求められる知識が詰まった一冊

ITの考え方自体が仕事に役立つと聞けば、重い腰も上げやすくなりそうだ。最後に、これからITを学びたいビジネスパーソンに必要な気構えを聞いてみた。

「『わからないから教えてください』が言えたら、それだけで強い。専門家に相談できたら、それで100点なんです。

例えば、子供が病気になったらお医者さんに連れていきますよね。子供が病気になったからといって、自分で医療を勉強して、治療をするのはばかげたことです。物事に対して疑問を持ち、そして専門家に相談する。

そのためには、最低限の『共通言語』が必要になります。それを身につけるための知識が情報Ⅰであり、ITパスポートです。共通言語を持った『良き素人である』ことが、よりいっそう重要になっていくと思います」

●中山心太(なかやま・しんた)
株式会社NextInt代表。電気通信大学大学院博士前期課程修了後、NTT情報流通プラットフォーム研究所(当時)にて情報セキュリティやビッグデータの研究開発に携わる。その後、統計分析、機械学習によるウェブサービスやソーシャルゲーム、ECサービスのデータ分析、基盤開発、アーキテクチャ設計などに従事。2017年に株式会社NextIntを創業。機械学習に関するコンサルティング、企業研修などを行なう。情報処理学会会員