佐藤喬さとう・たかし
フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。
昨年8月に発売し、今もなお版を重ね続けている『動物たちは何をしゃべっているのか?』(集英社刊、鈴木俊貴、山極寿一著)。その刊行を記念して、昨年11月に大阪の隆祥館書店で両著者によるトークイベントが行なわれた。
同書は動物のコミュニケーション行動を調べるべく、その調査対象であるゴリラやシジュウカラとともに暮らした研究者による対談である。その一方で、ふたりがいかにして調査対象と距離を縮めるかについては、あまり紙幅が割かれていない。
近づくとすぐ飛び去ってしまう小鳥にいかに接近するのか? 自身よりも何倍も体の大きいゴリラの群れにいかにしてなじむのか? マネできそうでマネできない、極限のテクニックをご紹介!
鈴木俊貴(以下鈴木) 僕が研究している小鳥のシジュウカラは東京にもたくさんいるんですが、不思議と東京の人には知られていないんですよね。
僕はこの春から東大に籍を移したので東京に引っ越してきたんですが、こっちの人は「鳥」というとスズメ、ハト、カラス、あとはツバメくらいしか意識していなかったりする。
山極(やまぎわ)寿一(以下山極) 私が研究してきたゴリラとは違い、現代日本人にとってもまったく珍しくないですね。
鈴木 そうなんです。でも、僕ら人間がシジュウカラを見ていなくても、あっちは人をよく見ていますから、近づくのは大変です。
シジュウカラはとても小さいですから、少なくとも15mくらいまで近づかないとよく観察できないんですが、いきなり巣箱に不用意に近づいても「ピーツピ!」と鳴かれてしまうんですね。
山極 本でも解説していただきましたが、「警戒しろ!」という意味の鳴き声ですね。
鈴木 ええ。だから僕は2、3日かけて少しずつ巣箱への距離を縮めるんです。でもシジュウカラは個人を識別して覚えているので、巣箱に近づいている期間に下手なことをすると「怪しいヤツ」だと認識されていい関係が築けません。
しかも、シジュウカラは個人を識別しているだけじゃなくて、僕らの目線まで見ているんですよ。
山極 つまり、人間が何を見ているかを、見ている。
鈴木 ええ。僕の目の前のエサ台にヒマワリの種を置いてシジュウカラの様子を観察していると、僕が彼らを見ている間は警戒してエサ台に近寄らないんですね。
でも、僕がエサ台から目をそらすと、「今だ!」という感じで種をついばむんです。
山極 それはすごい。視線を理解するのはかなり高度なことです。
鈴木 そう、シジュウカラには白目がないのに、人間の白目と黒目の違いから目線を理解しているんです。
鈴木 山極先生は、ゴリラに近づくまでにどのくらい時間をかけるんですか?
山極 五年くらいかな。
鈴木 五年!
山極 まず、ゴリラはシジュウカラと違い、人間を知りません。そんなゴリラが住む森に私たちが近づくと、ゴリラが先に僕ら人間を発見して、逃げます。そのときの距離は100mくらいはあるので、僕らはゴリラを見ることができません。気配だけ。それが最初です。
鈴木 最初はゴリラの姿を見ることさえできないんですね。
山極 でも、ゴリラは地上性の生き物ですから、地面に足跡を残すわけです。だから私たちは足跡を頼りにゴリラを追うんですが、当然、彼らは先に気づいて逃げる。それを延々と繰り返しているうちに、やがてゴリラのほうがしびれを切らして警告してくるんですね。胸を叩いたり、突進してきて目の前で急ブレーキをかけたりして。
ここからが重要なんです。そうやってゴリラが追い払おうとしても、逃げてはいけないんです。200㎏を超えるゴリラに脅されると普通の人間は逃げるんですが、逃げない。するとね、まずその群れの子どもが興味を持ってくれるんですよ。「お父ちゃんに脅されても逃げない、このヘンなサルはなんだろう」という感じで。
それでわれわれ研究者は、ゴリラの鳴き声を出したり、ゴリラの子どもがやるように小枝を口にくわえたりして、子どもたちのほうと仲良くなっていくんです。
鈴木 その間、親のゴリラはどうしているんですか?
山極 こっちをじっと見ています。それで私たちが下手な真似をすると、今度は本気で攻撃してきます。だから私も冷や冷やしながら、少しずつ距離を詰めていくんですね。その土地のゴリラの鳴き声を覚えて、クセも真似してとね。
すると「こいつはマナーを知っているようだから、ここにいさせてやってもいいか」となる。それに五年くらいはかかります。
鈴木 すごいなあ。襲われたことはないんですか?
山極 ありますよ。押し倒されたり、脚と頭を咬まれたりね。でも、怖がって逃げるとお尻を噛まれるんですが、私はお尻をやられたことはないんです。それは誇りだな。
あと、一度そうやって怒られてから仲直りすると、親しくなれるんですよ。人間でも、一度ケンカすると仲良くなったりするでしょう? あれと似ていて、一度怒られるのが親しくなるための極意なんだ(笑)。相手の「身体性」みたいなものがわかると、共感できるようになるんだね。
鈴木 身体というと、言葉はジェスチャーから始まったのではないか、という研究がありますね。人間の赤ちゃんと、類人猿であるボノボやチンパンジーの赤ん坊を観察すると、言葉よりも先にジェスチャーが発達するというんです。
それだけではなく、人間の子どもとボノボやチンパンジーのジェスチャーは共通しているという研究もあります。人間の子どもにそういう霊長類のジェスチャーを見せると、意味が通じるんですね。
山極 「個体発生は系統発生を繰り返す」、つまり、生物の個体が生まれて育っていく様子は進化のプロセスを模倣していると言われますが、言語についても同じことが言えるかもしれませんね。
例えば、私たちの大脳新皮質のかなりの領域を、手を司る部分が覆っています。つまり人間にとっての手はそれほど重要だったということなんだけれど、それも手を使ったジェスチャーが言葉よりも前に存在したことを示しているんじゃないかと思います。われわれに近い類人猿を研究すると、私たち人間が過去に置いてきた言語以前のジェスチャーの痕跡が見つかるかもしれません。
鈴木 実際、チンパンジーもジェスチャーを使うみたいですね。足の裏を見せたら「背中に乗れ」という意味になるとか。
山極 ああ、それはありますね。面白いことに、類人猿のジェスチャーには地域差があるんです。2018年にゴリラのジェスチャーを5つの場所で調べたんですが、使われるジェスチャーの種類や頻度はずいぶん違いましたね。
鈴木 動物のジェスチャーには文化のような側面があるということですよね。言葉も文化ですが、僕は山極さんと本を作ってから、ジェスチャーも広義の「言葉」に含めるべきじゃないかと思うようになったんです。
だって、文化があるということは、ジェスチャーの使い方やその意味が、ゴリラからゴリラへと学習によって伝わっていくプロセスがあるということですよね。それってまさに僕たちが音声や文字とその意味を文化的に引き継いでいくことと似ていると思うんです。
人間の言葉を狭く定義する言語学者も多いですが、進化の観点から考えると、表出されたものよりも、それを生み出す力に着目すべきだと思うんです。
鈴木 そもそも、僕ら人間だって他の動物と同じように、ジェスチャーを言葉として使っていますよね。例えば、人差し指で何か特定のモノを指すと「あれを見て」という意味になります。
人間を特別視せずに動物たちと同じ土俵で考えることで、人間固有のものと、他の動物にも共通するものに気づけると思うんです。
山極 それは本当にその通りで、他の動物たちの間に人間を位置づけることで、私たちは自分たちのことを見つめなおすことができるんです。
本でも話したけれど、ゴリラやチンパンジーや人間は、本来はジェスチャーなどの視覚コミュニケーションを重視する動物です。視覚が情報伝達の手段として使いやすい環境で進化してきたからですね。ゴリラを見ていても、あくまでジェスチャーが主で、声はあくまで補完的な役割です。
つまり、もともと人間が使っていたのは「見える言葉」だった。でも鳥は違って、空を三次元に自由に飛び回るから、声の方がコミュニケーション手段として適している。だから「聞こえる言葉」である鳴き声が進化したんでしょう。
ところがわれわれ人間は音声言語を手に入れたことによって、ちょっとだけ鳥に近づいたんだな。「聞こえる言葉」を使うようになった。現代人は「見える言葉」を忘れて「聞こえる言葉」が普通だと思っているけれど、実はそれは比較的最近になって手に入れたものなんです。
鈴木 そうですね。音声言語だけが言語じゃない。
山極 でも、人間は鳥のように自由に飛び回れませんから、やっぱり視覚から逃れることはできませんよね。そこで人間は再び、ただし別の形で「見える言葉」を作り出した。それが文字じゃないか。
鈴木 なるほど!
山極 しかしね、私は人間が文字を作り出したのは失敗だったんじゃないかと思う。
確かに文字によって得たものも大きいけれど、文字は、人間が本来使っていた「見える言葉」が持っている豊かな情報を切り捨ててしまうからね。
鈴木 まあ、山極さんと僕は文字によって本を作ったのであまり悪口も言えませんが(笑)、おっしゃる通りだと思います。
文字には、時間や空間の制約を超えられるという強みがあるけれど、経験や感情を共有する力は強くありません。ヒトだけでも数十万年の歴史があって、その間ずっとジェスチャーや歌などの「言葉」を使ってきたのに、せいぜい5000年くらいの歴史しかない文字がそれらに取って代わるのは難しいですよ。
例えば、ゴリラも人も、共感を手に入れるためには行動の同期が大切ですよね。ダンスや歌とか。互いに共感することで子育てや狩りをうまく遂行するんです。
山極 われわれの前に生きていたネアンデルタール人は音楽的な声を使ってコミュニケーションを取っていたんじゃないかという説もありますね。歯列の形や、脳で感情を司る後頭部が大きかったりすることが根拠です。
鈴木 3億年前に僕らヒトと分岐した鳥たちも、人類とは別のルートで共感の力を進化させているかもしれない。実は僕は今、シジュウカラのジェスチャーの研究をしているんです。どうやら、シジュウカラもジェスチャーを使っているらしいんです。
山極 改めて思いましたが、鈴木さんや私は動物の研究者であると同時に、動物哲学者でもあるんだな。人間は人間だけを特別視しがちですが、動物を見ていると、どうやら違うらしいということがわかってくるから。人間もまた動物です。
鈴木 僕たちだって歌ったり踊ったりして共感しますしね。
山極 恋人同士のコミュニケーションだって、文字だけじゃどうにもなりません。いくら「愛している」と言ったり書いたりしてもダメで、それよりも寄り添って肩を抱いたほうがいい。ゴリラと暮らすとそれがよくわかるんです。私たちが思っている以上に、「言葉」は多様で豊かなんですよ。
★『動物たちは何をしゃべっているのか?』の中身を週プレNEWSにて一部公開中!
●山極寿一(やまぎわ・じゅいち)
1952年生まれ、東京都出身。霊長類学者。総合地球環境学研究所所長。京都大学前総長。アフリカ各地のゴリラなどを研究対象とし、人類に特有な社会のルーツを探っている 公式ホームページ
●鈴木俊貴(すずき・としたか)
1983年生まれ、東京都出身。動物言語学者。東京大学先端科学技術研究センター准教授。シジュウカラ科の鳥類研究を専門とし、特に鳴き声の意味や文法構造の解明を目指している 公式Twitter【@toshitaka_szk】
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フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。