シンギュラー パータベーションズ・代表取締役CEO、梶田真実氏 シンギュラー パータベーションズ・代表取締役CEO、梶田真実氏

テクノロジーの力で犯罪の発生を事前に予測し、悲劇を防ぐ――。まるでSF作品のような話だが、そんなシステムがすでに実用化されているという。しかも、それを生み出したのは、日本のベンチャー企業なのだ。

犯罪予測システム「CRIME NABI(クライム ナビ)」を提供する、注目企業のCEOに話を聞いた!

■驚異的な予測精度で犯罪発生件数7割減

Singular Pertur bations(シンギュラー パータベーションズ。以下、SP社)は、犯罪予測システム「CRIME NABI」を提供するスタートアップとして、2017年に東京大学の客員研究員だった梶田真実氏が創業した。

近年は犯罪が多発する中南米の国を中心に事業を展開。「世界でも特に殺人事件が多い国」として有名なブラジルでは、現地の自治体や警察組織と協力しながら、犯罪予測システムの導入実証実験を進めている。梶田氏が説明する。

「ブラジルでは信号や電話線に使われている銅線ケーブルの盗難が多発しており、インフラ維持の障害になるほど大きな問題になっています。そこでベロ・オリゾンテ市の警察組織と協力し『CRIME NABI』の実証実験を行なったところ、盗難発生件数が69%減少したことが確認され、地元市警団での本格導入が決まりました」

ベロ・オリゾンテ市で行なった実証実験は2ヵ月間。たったそれだけの期間で犯罪が約7割も減少したとは、驚きの効果だ。いったいどういう仕組みなのか。

「私たちの『CRIME NABI』は、過去の犯罪発生情報、都市の人口統計、土地利用、建物構造や道路種別、衛星画像、天気などに関する多様なデータを収集し、それを2種類のアルゴリズムで分析することによって犯罪発生の予測を行ないます。

ひとつは時間情報による予測です。犯罪者は犯行に成功すると、同じ手口の犯罪を繰り返します。そのパターンを過去の犯罪発生情報などから分析します。もうひとつは空間情報による予測です。犯罪発生のパターンを人口密度や地理情報などの空間情報から分析します」

東京都内の一定の期間における「CRIME NABI」による犯罪予測(上)と、実際に発生した犯罪のデータ(中央)。一般的な統計による予測(下)と比較すると、その精度と解像度の高さは一目瞭然だ 東京都内の一定の期間における「CRIME NABI」による犯罪予測(上)と、実際に発生した犯罪のデータ(中央)。一般的な統計による予測(下)と比較すると、その精度と解像度の高さは一目瞭然だ

そこにはSP社独自のテクノロジーが用いられている。

「このように複雑な分析は、通常ではデータ量が膨大になってしまうため、コンピューターの計算時間やコストが非常に高くなることが課題でした。しかし、私たちはデータを圧縮する独自の数理アルゴリズムを開発することで、従来の予測手法と比較して世界最高速度の達成と低コスト化を実現しました。

また、データが不足している、あるいは皆無の地域の犯罪であっても、機械学習の一種である『転移学習』(データがあるエリアで学んだモデルをデータ不足のエリアに適用する技術)という仕組みを用いることで、高精度な予測を提供することができるようになっています。

このように、私たちは独自のテクノロジーを使い、時間・空間の両面のデータから詳細なエリア分析を行なうことで、『この道ならば○時に犯罪が起きやすい』といった高精度な予測を実現しているのです」

実際の運用現場では、こうした予測情報に基づき、犯罪発生の確率が高い地域を重点的に回るパトロールのルートを作成。これまで"現場の勘と経験"に頼っていた治安維持の活動をデータ分析の結果から効率的に行なうことで、ベロ・オリゾンテ市で実証されたような驚異的な犯罪抑止効果を上げている。

現在はブラジルの複数のエリアでも実証実験が進んでおり、ホンジュラス国家警察でも同様の取り組みを行なっている。

ホンジュラス国家警察のパトロールに同行するプロジェクトの担当者。同乗する警官たちはかなりの重装備だ ホンジュラス国家警察のパトロールに同行するプロジェクトの担当者。同乗する警官たちはかなりの重装備だ

■物理学の研究者からベンチャー起業家に

データ分析による犯罪予測を専門とする企業は、欧米にはいくつか存在するものの、日本ではSP社が初だという。しかも、その精度の高さは企業規模で大きく上回る海外のトップ企業と比較しても引けを取らない。このユニークな日本企業は、なぜ生まれたのか。

「子供の頃から自然科学が好きで、数学で自然現象を理解したいと思っていました。東京大学大学院では統計物理学で博士号を取得しました。『Singular Perturbations』という社名も、私が専門にしていた『特異摂動』という物理学の研究手法の英語名から名づけています。

当初は研究者を目指していたのですが、『一生をかけて理論物理の研究を突き詰めても、自分が社会に与えられる影響は小さいのではないか』と疑問を持つようになって。もっと研究成果を社会に還元したいと思うようになりました」

今後のキャリアについて悩んでいた14年、イタリアで暮らしていた梶田氏は、人生を変える出来事に遭遇する。

「ボローニャという街でスリの被害に遭ったのです。日曜の午後1時だったのですが、気がついたら財布を奪われていました。警察に相談したら、『その時間帯は現地の人は家で過ごすことが多く、観光客の割合が増えるので、もともとスリが多い』と教えてもらいました」

このときに初めて「犯罪には発生のパターンがある」と知った梶田氏は、直感的に自身の研究分野である理論物理の手法が、犯罪予測に生かせるのではないかと考えた。

「理論物理学は現象の本質をとらえ、それを抽象的なモデルとして分析することに特化した学問です。犯罪に発生パターンがあるなら、そのパターンを理論物理のフレームワークによってモデル化することで、発生を予測することも可能になるはずです。

実際に過去の論文を検索してみると、物理学者が犯罪予測のアルゴリズムを考案したものが見つかりました。ただ、犯罪予測の研究は犯罪学やコンピューターサイエンスが交わる分野であるため、専門の研究者が非常に少ない。理論物理を専攻してきた自分なら、その発展に貢献できると思いました」

まず梶田氏は個人的な啓発活動の一環として、犯罪のオープンデータを活用して地図上にエリアごとの犯罪情報を表示するモバイルアプリを開発。そこに理論物理学の知見を組み合わせることで、アプリと犯罪予測を組み合わせたサービスを構想していった。

やがて、そのモバイルアプリが日本のベンチャー企業の目に留まり、梶田氏は帰国後にアプリを売却。17年にはさらに深く犯罪予測のシステムを研究するため、東京大学の空間情報科学研究センターの客員研究員に就任した。

「しかし、予測システムの精度を上げるためには、警察のプロジェクトに関わるなど現場での実践が不可欠です。ちょうど警察の方々も興味を示してくれたことから、SP社の起業を決意しました」

■会社の窮地を救ったブラジルの実証実験

ただ、研究者から経営者への転身は予測を超えた困難の連続だった。

「そもそも日本は犯罪件数が少ないため、犯罪予測システムに対するニーズも国外に比べて高くはない。創業のきっかけとなった警察との共同プロジェクトも最終的に『CRIME NABI』の導入にはつながらず、起業直後はデータ分析やAIの受託開発などでしのいでいました」

海外の研究者からも、「治安の良い日本での大きなビジネスは難しいだろう」と言われていたことに加え、北米にはすでに競合する企業があり、ビジネスチャンスは少なかった。

「そんなときにJICA(国際協力機構)が、ブラジルの警察に対して支援をしていることを知りました。日本のベンチャー企業の技術を使い、現地の社会課題解決をサポートするという公募案件があったのです。

犯罪件数の増加が止まらないブラジルは、私たちの犯罪予測システムの有効性を証明するには絶好の土地でした。そこで公募に立候補したことが、今の中南米での事業展開につながっています」

ブラジルのベロ・オリゾンテ市警団への説明会 ブラジルのベロ・オリゾンテ市警団への説明会

現地の警官に「CRIME NABI」の使用方法をレクチャーするSP社の担当者 現地の警官に「CRIME NABI」の使用方法をレクチャーするSP社の担当者

ブラジルの実証実験で実績を積んだSP社は、23年にサンパウロ市に支社を設立。現在は中南米を中心に11の政府機関と取引をする規模に成長した。また、未来に向けた動きも始まっている。

「銃社会では警察もパトロールするだけで命がけであり、犯罪率の高い地域では警察官の殉職率が高くなります。そのため、海外では警察のパトロールをドローンやロボットで代替する流れが始まっています。

人間が担う日常の警備業務ではなくなるからこそ、巡回ルートのリアルタイムな設定や効率的な監視カメラの設置場所の提案が重要になる。そこで『CRIME NABI』が役立つのです。すでにアメリカでは大学やロボティクス企業との共同実証実験も始まっています」

■警察だけでなく、民間にも提供へ

しかし、犯罪予測のテクノロジーが進歩するほど、今度は監視社会化への懸念もつきまとう。街じゅうを警察ロボットが闊歩し、人々を取り締まるような未来が現実味を帯びてきているならなおさらだ。

「そうしたリスクは私たちも承知しています。個人への監視強化につながらないように、『CRIME NABI』は個人情報が扱えない仕組みになっています。

そのため、痴漢や強盗などの時空間データの分析からパターンを見つけ出せる犯罪は予測できる一方、個人情報を参照しなければならないDVや虐待といった犯罪は予測できません。あくまで統計データに基づき、対象エリアの犯罪発生率を予測するサービスなのです」

とはいえ、SP社が個人を監視するための利用法を禁じていても、サービスの提供を受けた政府機関などが技術を悪用するケースもありえるのではないだろうか。実際、グーグルなどのIT企業では、最新テクノロジーの軍事転用を巡り、従業員が抗議活動を行なったり、辞職したりするといった騒動がしばしば起こっている。

「もちろん、治安の良くない地域で事業を行なっていることもあり、軍需産業とのつながりやマフィアとの癒着など、取引相手のバックグラウンドを事前に調査するといった対策は講じています。

どんなテクノロジーも悪用されたら社会に害を与えます。ただ、犯罪予測のようにメリットの大きいテクノロジーを、リスクがあるからといって禁じるのは現実的ではありません。各事業者がデメリットを減らす努力を続けるしかないと思っています」

「CRIME NABI」使用時のイメージ画面。数字はその地点で起きると予測される犯罪発生件数 「CRIME NABI」使用時のイメージ画面。数字はその地点で起きると予測される犯罪発生件数

事業の拡大に伴い、国内外で民間企業向けに犯罪予測情報を提供するなど、今後は政府や警察だけでなく、民間企業へのサービス提供も行なっていく予定だ。

「犯罪予測システムは治安維持以外の目的でも活用できます。例えば、ブラジルでは石油の強奪事件が多く、安全な輸送ルートの確保が物流企業やオイルメーカーの課題となっています。

そこで『CRIME NABI』を使えば、犯罪発生率の低いエリアを選んで輸送ルートを構築できるようになり、発生予測に応じた保険金額の設定も可能になります。適切なリスク予測ができれば、保険サービスも成り立つからです。保険会社や警備会社、旅行会社など、私たちの技術が活用できる分野はたくさんあります。

やがては日本から海外に旅行する個人向けのアプリなども提供していきたいと思っています。私自身が海外でスリに遭ったことから事業を考案した経緯もあり、『このエリアは○時に出歩かないほうがいい』といった情報を伝えるイメージです。

この技術により、犯罪で悲しい経験をする人をひとりでも減らしていけたらうれしいですね」

主戦場が海外であり、日本でのSP社の知名度はまだまだ低い。しかし、世界が認めた技術力と志の高さを踏まえれば、日本を代表する企業に躍進する日も近いだろう。

●シンギュラー パータベーションズ・代表取締役CEO
梶田真実(かじた・まみ)
2010年3月、東京大学大学院修了(博士)。専門は統計物理(理論)。大阪大学・名古屋大学の日本学術振興会特別研究員(PD)。イタリア在住時にiOSアプリ開発、帰国後にスタートアップ企業執行役員を経て、17年から現職。イタリアでスリ被害に遭遇した経験をきっかけに、犯罪データ分析を開始し、犯罪予測の独自のアルゴリズムを開発。現在は国内外で犯罪予測に関する事業化を進める

小山田裕哉

小山田裕哉おやまだ・ゆうや

1984年生まれ、岩手県出身。日本大学芸術学部映画学科卒業後、映画業界、イベント業などを経て、フリーランスのライターとして執筆活動を始める。ビジネス・カルチャー・広告・書籍構成など、さまざまな媒体で執筆・編集活動を行っている。著書に「売らずに売る技術 高級ブランドに学ぶ安売りせずに売る秘密」(集英社)。季刊誌「tattva」(BOOTLEG)編集部員。

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