佐藤喬さとう・たかし
フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。
小鳥のシジュウカラが文法を持つことを突き止め、「動物言語学」という新たな学問分野を立ち上げた鈴木俊貴氏。一方、「子どもはどのように言語を習得するか?」という問いに取り組み続ける言語心理学者の今井むつみ氏も、「新書大賞2024」に輝いたベストセラー『言語の本質』にて、人間のことばと動物のことばの違いを論じている。
違った角度で言語にアプローチする泰山北斗が待望のマッチアップ。白熱した議論の一部をお届けする!
鈴木俊貴(以下鈴木) 今井先生のご著書や論文を読んでいると思うんですが、ヒトの子どもの言葉の発達って、シジュウカラの幼鳥が「言葉」を学ぶ様子に似ているんですよ。
今井むつみ(以下今井) 本当ですか?
鈴木 例えば、幼い時は「マンマ」「ワンワン」みたいに単語だけしか話せませんが、2歳くらいになるとふたつの単語を組み合わせて話すようになりますよね。
今井 「二語文」ですね。
鈴木 シジュウカラも同じなんです。
僕が発見したようにシジュウカラの言葉にはちゃんと文法があり、その文法に沿って単語を組み合わせることができるんですが、生まれた直後はできません。天敵のタカやヘビを意味する「ヒーヒーヒー」とか「ジャージャー」みたいな単語しか使えないんですね。でも、生後1ヵ月半くらいになると単語同士を組み合わせた二語文を使うようになります。
今井 1ヵ月半で発達が完成して大人のシジュウカラと同じように鳴けるようになる?
鈴木 いや、それはわかりません。
例えば大人のシジュウカラは別の鳥のエサを奪うために「騙(だま)し」をすることがあるんですね。目の前にタカがいないのに「ヒーヒーヒー」と鳴いて、びっくりした別の鳥がこぼしたエサを食べたりするんです。でも、幼いシジュウカラがそういう行動をとれるかどうかはわかっていません。
今井 そうなんですね。
人間の言葉ってとても複雑ですから、普通に話せるようになるまで3、4年はかかります。その間の発達ってものすごく急速で、とくに1歳に満たない乳児さんたちは1ヵ月単位でどんどん変わっていくんですよ。
鈴木 乳児「さん」なんですね(笑)。ただ、個人差もありますよね?
今井 あるんですけど、面白いのは言葉を身につけるスピードには多少の個人差があっても、身につける「順番」は誰にも共通しているところ。まず単語ひとつだけの「一語文」を話し始めて、次に二語文を身につけるというふうに人間の子どもが言葉を学ぶ順番は決まっているんですね。
鈴木 なるほど。その順番が、シジュウカラとヒトの子どもとで共通していたら面白いですね。言語を使うための認知能力の発達に、種を超えた普遍的な法則があったら......。
鈴木 人間がずっと言葉を使う能力はヒトに固有のものだと思いこんできたせいで、動物の言葉の研究はおろそかになってきました。
だけど、僕が見つけたようにシジュウカラもちゃんと鳴き声に「ヘビ」や「警戒しろ」と言った意味を持たせているし、しかもそれらを文法に沿って組み合わせている。それでも多くの研究者は動物の鳴き声を「言葉」と呼ぶことに及び腰なんですよ。
今井 うーん、私は及び腰というわけではないけれど、「言葉」の定義についてはちょっとお話をしたいかな。例えば、人間の言葉は必ず「一般化」が起こるんですね。固有名詞以外は一般化するのが人間の言葉の特徴です。
親が幼い子どもに対して、黒い猫を指さして「ネコだよ」と言ったとしますね。でも子どもの立場からすると、ネコという言葉をどこまで一般化して他の個体に当てはめればいいのかがわかりません。毛むくじゃらで四本脚で歩く存在はすべて「ネコ」かもしれないし、あるいは黒いモノが全部「ネコ」でもおかしくない。
鈴木 確かにそうですね。
今井 しかし、子どもは間違いを繰り返しつつ推論を重ね、最終的には大人が「ネコ」と呼んでいる範囲がネコなんだと正確に理解します。犬を「ネコ」と呼んでしまってもよさそうなものだけれど、そうはならない。
動物でもそういうことはありますか?
鈴木 例えばアフリカに住むベルベットモンキーというサルでは、似たようなことが確認されています。ベルベットモンキーの大人は、天敵であるタカに対してだけ特定の警戒声を出すんですが、子どものベルベットモンキーはその警戒声を、タカ以外の鳥にも発してしまうんですね。これは今井先生のおっしゃる、人間の子どもの推論の失敗に近いんじゃないでしょうか。
あるいはシジュウカラだと、巣を襲うネコやカラスに対して「ピーツピ」という警戒声を発しますが、僕が巣を調べているとやっぱりそう鳴くんです。僕はネコやカラスとはまったく姿形が違うので、これは一般化だと思います。
今井 そうですねえ......。
鈴木 これは一般化の問題に限らないんですが、人間と他の動物を比べるときに強く意識しないといけないのは、「〇〇できる」ことを示すのは難しくないけれど、「〇〇できない」ことを示すのはとても難しいということです。
たとえば、鏡を見せて、そこに映った像を自分だと認識できるかどうか確かめる「ミラーテスト」というものがありますが、長年、多くの動物はミラーテストに合格できないから人間のような自我がないんだ、と思いこまれてきました。しかし、それはミラーテストのやり方がまずかった可能性があると思う。一例を挙げると、大阪公立大学の幸田正典先生はテストの手法を工夫することで、今まではミラーテストをパスできなかった小さな魚も実は鏡に映った自分を認識できることを示しました。
今井 なるほど。
鈴木 そもそも自然界には鏡なんてないですから、動物たちが鏡を見る機会はありません。自分を映すものがあるとしたら水面くらいなので、動物たちにとってのミラーテストは、かなり特殊なものになってしまう。
それに、すべての動物が自己認知を視覚でやっているという保証もないですよね。たまたま人間がそうであるだけです。犬はミラーテストに合格できないとされていますが、かれらは嗅覚優位の世界に生きていますから、視覚ではなくて匂いで自己認知している可能性は否定できないと思う。
ともかく、人間の枠組みを前提に動物の認知能力を測ろうとしたのが今までの動物心理学の失敗だと思っています。動物たちには「ない」と思われている知的な能力も、ちゃんと調べると「ある」ケースは実は多いんじゃないか。僕がシジュウカラの文法を見つけたように。
今井 わかりました。ただ言語の定義について伺いたいことはもっとあって、人間の言葉はそのほとんどが多義的であるのも特徴だと思うんです。「どうも」という言葉はあいさつだったり謝罪だったり否定だったり、複数の意味を持っていますよね。
でも、言語以外の記号はそうではありません。狼煙(のろし)の意味は「敵が来たぞ」だし、ボクシングの試合でタオルを投げ込んだら「降参です」みたいに、記号と意味が一対一で対応しています。
鈴木 確かに。
今井 そういう多義性が人間の言語にあるのは、どんどん意味が広がったり変化したりする拡張性や柔軟性があるからだと思うんですが、シジュウカラの鳴き声はどうですか?
鈴木 ありますね。先ほど言ったように、天敵に対して発する鳴き声を、僕という新しい対象に応用したりします。そういう事実の蓄積は、人間の枠組みに押し込める飼育下での研究ではなく、野外での研究にたくさんあります。
今井 なるほど。では、体系性についてはどうでしょう? 人間の言語の特徴のひとつは、強い体系性があることだと思うんです。
鈴木 体系性?
今井 人間の言葉は非常に複雑なネットワークになっていますよね。例えば「色」という概念の下位概念として「赤」「青」「黄」がある、というふうに階層性があったり、対比とか対義という関係があったり。そういう強固なネットワークがあるせいで、人間の言語ではしばしば、ある言葉の定義が、現実の物事とは別に、他の言葉との関係によってのみ定義されることがあります。
例えば色についての語彙がそう。人間の目や脳のつくりは共通しているのに青と緑を区別する言語とそうでない言語があるのは、ある言語における色の定義は、現実の電磁波の波長ではなく、その言語での他の色の定義との関係で決まるからだと思う。そういうことはシジュウカラでもありますか?
鈴木 それは......確かに知られていないですね。うーん、なぜだろう?
今井 私はやはり、人間の言語は他の動物の鳴き声と比べてかなり特殊だと思っています。『言語の本質』(秋田喜美氏との共著、中公新書)にも書きましたが、人間の幼児は言語を習得するときに、論理的には正しくない、飛躍のある推論をするんですね。それを「アブダクション推論」と呼びます。
アブダクション推論の有名な例は、目も見えず耳も聞こえなかったヘレン・ケラーが言葉を覚えたことです。
幼い彼女の教師だったサリバン先生は、なんとかヘレンに言語の存在を伝えようと、モノを触らせたり行為をするのと同時にヘレンの手のひらにそのものごとの字を綴り続けました。
そしてヘレンはある日、サリバン先生がヘレンの手に水を浴びせながら「Water」と指で綴った瞬間に、言語を理解します。ヘレンは後に「すべてのモノに名前があることを理解した」と振り返っていますが、これは論理的には飛躍ですよね。
鈴木 そうですね。
今井 そして、それはほぼ人間だけに固有の能力なんです。アブダクション推論のひとつに「対称性推論」というものがあります。これは、「赤くてツルツルした果実→リンゴ」という対応関係から「リンゴ→赤くてツルツルした果実」と結論する推論のことです。私たち人間にとっては当たり前ですよね。対称性推論ができないとモノと名との関係が築けないから、言語を身につけることができません。
しかし、実はこれは論理的には正しくないんです。「赤くてツルツルした果実→リンゴ」という前提から「リンゴ→赤くてツルツルした果実」と結論づけるのは飛躍です。なぜなら、「赤くてツルツルした果実」がすべて「リンゴ」でも、「リンゴ」がすべて「赤くてツルツルした果実」だとは限らないから。人間は論理的な飛躍によって言語を身につけます。
そして、この対称性推論は人間しかできません。動物に対称性推論の能力があるかどうかは40年以上、さまざまな種を対象に研究が続けられてきたのですが、実験に問題があった可能性があるアシカの例を除いて、ほぼ見つかっていません。
鈴木 はい、ただ僕はそれも、それぞれの実験に問題があった可能性は否定できないと思うんです。
今井 うーん、ただこのテーマについては世界中の研究者が長年かけて多くの研究をしてきたので、覆すのは難しいかな......。
鈴木 でも、今井先生も実験をしたチンパンジーのクロエはどうですか?
今井 そう、クロエは例外でしたね。
今井 『言語の本質』にも書きましたが、私も7頭のチンパンジーと一緒に、彼らに対称性推論の能力があるか実験をしました。念のため補足すると、当時すでに「動物には対称性推論ができないだろう」ということを示す先行研究はたくさんあったので、私たちの研究はダメ押しのような感じでしたね。結果はやっぱり、できませんでした。
でも一頭だけ例外がいたんです。それが「クロエ」という名のチンパンジーです。彼女は過去の研究でもかなり特異な推論の能力を見せていたんですが、そのクロエだけが対称性推論ができたんですね。だからひょっとすると、チンパンジーにもごくわずかに対称性推論やアブダクション推論ができる個体がいるのかもしれません。
私たちの先祖もチンパンジーのようだったのかもしれませんね。その後、進化の過程で人間にだけアブダクション推論の能力が広まり、言語を手に入れたのかもしれません。
ただ、最近鈴木さんの論文を読んで、ひょっとしたらシジュウカラにも対称性推論のような能力があるのかもしれないと思いました。ほら、あのシジュウカラが枝をヘビと見間違える......。
鈴木 ああ、あの実験ですね。シジュウカラは天敵のヘビを見つけると「ジャージャー」(ヘビだぞ!)と鳴くんですが、その鳴き声を録音しておいて、後で森のシジュウカラに聞かせるんです。
ポイントは、その時にヘビくらいのサイズの木の枝にひもをつけて、木の幹に沿って引き上げること。普通、シジュウカラは木の枝とヘビを見間違えたりはしませんが、「ジャージャー」を聞かせながら枝を引き上げるとヘビと見間違えて確認しに行ってしまうんですよ。シジュウカラが声から視覚的なイメージを連想することを確かめた実験でした。
今井 あの論文を読んで、もしかするとシジュウカラは「ヘビ→ジャージャー」という関係から「ジャージャー→ヘビ」という結論を引き出す対称性推論をしているんじゃないかと思ったんです。
鈴木 僕もそう思います。
今井 でも、やはりアブダクション推論がほぼ人間固有であることは変わらないかな。論理的に正しくない結論を出してしまうアブダクション推論は、自然界で生きる上ではリスクですから、動物にとっては基本的に淘汰されやすい能力だと思う。
しかし、例外的に地球上のとても広い地域に生息する人間は、直面する脅威の種類が他の動物よりも極端に多様だったんじゃないか。そういう特殊な条件の下で、リスクはあるけれど飛躍的な結論にたどり着けるアブダクション推論が人間だけに進化したのではないかと思います。
鈴木 そうですね、ただ......いや、長くなりそうなので、続きはこの後の打ち上げでやりましょう!(笑)
★『動物たちは何をしゃべっているのか?』の中身を週プレNEWSにて一部公開中!
●今井むつみ(いまい・むつみ)
慶応義塾大学環境情報学部教授。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。近著に『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(共著、中公新書)、『 「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)などがある 公式HP
●鈴木俊貴(すずき・としたか)
1983年生まれ、東京都出身。動物言語学者。東京大学先端科学技術研究センター准教授。シジュウカラ科の鳥類研究を専門とし、特に鳴き声の意味や文法構造の解明を目指している 公式Twitter【@toshitaka_szk】
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フリーランスの編集者・ライター・作家。著書は『エスケープ』(辰巳出版)、『1982』(宝島社)、『逃げ』(小学館)など。『週刊プレイボーイ』では主に研究者へのインタビューを担当。