新連載【迷車のツボ】 第1回 バモスホンダ
世界で初めてのガソリン自動車が生まれてすでに140年以上。その長い自動車史のなかには、ほんの一瞬だけ現れては、瞬く間に消えていった悲運のクルマも多い。
自動車ジャーナリスト・佐野弘宗(さの・ひろむね)氏の新連載「迷車のツボ」では、そんな一部のモノ好き(?)だけが知る、愛すべき"珍車・迷車"たちをご紹介したい。
* * *
■"レジャー"という言葉が普及しはじめた時代
というわけで、「迷車のツボ」で取り上げる記念すべき第1号車は、「バモスホンダ」。ちなみに、2018年まで販売されていた軽ワンボックスの車名は「バモス」だが、今回の主役はバモスホンダである。
その発売直前には二輪車の「ダックスホンダ」も登場したりして、ウィキペディアによるとこういうネーミングは当時、ちょっとアメリカっぽくてオシャレと思われていたらしい。なるほど"○○○ホンダ"と声に出して読むと、ちょっとリズムがいい。
バモスホンダが発売された1970年の日本は、高度成長時代の真っただ中。戦後最長の好景気とされる"いざなぎ景気"が1966年からはじまり、1968年には国民所得が西ドイツ(当時)を抜いて、日本は資本主義国としては世界第2位の経済大国になっていた。
そして休日を明るく楽しむ"レジャー"という言葉も、この頃から普及しはじめた。こうして世の中にお金があふれて明るい雰囲気になってくると、本来は経済車であるべき軽自動車でも、遊び心を込めた商品がぽつぽつ出はじめる。
実際、1970~71年にはホンダZやスズキ・フロンテクーペといったスポーティな軽自動車が姿を現すし、さらに現在もカリスマ的存在であるスズキ・ジムニーの初代モデル(は元祖ジープそっくりのドアも屋根もないフルオープンボディだった)が発売されたのも1970年である。
■「スペアタイヤは万一の衝突時のショック吸収」
スペイン語で「みんなで行こう」を意味する「VAMOS=バモス」の名を冠したホンダも、こうした軽レジャーカーが盛り上がった1970年に発売された。
ベースとなったのは当時の軽トラである「TN360」で、ご覧のように運転席の屋根もドアもリアガラスも全部きれいさっぱり切り取られて、サイドはガードバーが一本あるだけ。
フロントガラス以外はあけっぴろげで、これ以上ないほどの解放感がバモスホンダ最大のツボだ。さらに最低地上高は210mm、シートやコクピットも防水となるなど、ちょっとした不整路やアウトドアにも対応する工夫がされていた。
さらにデザイン上のツボといえば、まるで動物の顔のようにフロントど真ん中に搭載されたスペアタイヤだ。欧米のキャンピングカーがヒントになったと思われるが、実際には、ほかにスペアタイヤの置き場がないのも事実。
そんなスペアタイヤについて、当時のホンダは「タイヤは万一の衝突時のショック吸収にも役立つ」とうたっていた。本当か(笑)。
用意されたバリエーションは3種類。フロントシートしかない2人乗りの「バモスホンダ-2」と、後席も追加されて4人乗りとした「バモスホンダ-4」が基本で、どちらも雨天用のホロも人が座る部分だけをカバーする簡便なものだった(しかも、ドアもつかない!)。
そして、もっとも豪華な3番目のバリエーションが、4人乗りに荷室までフルカバーするホロを付属した「バモスホンダ-フルホロ」だった。
それでもやっぱりドアはなく、強風時はもちろん、となりの車線や対向車が跳ね上げた水しぶきも乗員を直撃である!
■"仕事用"と言い切らなければならない時代
まるで遊園地にある乗り物か、ゴルフ場のカートのようないでたちのバモスホンダだが、ホンダはそれを「乗る人のアイデアによって、用途の範囲が無限に拡がるクルマ。ドアのないユニークなスタイルで乗り降りが簡単。シャープな機動力、タフなエンジンと足まわり」と自慢しつつ、「スピーディなビジネス活動に最適の設計です。とくに警備用、建設現場用、工場内運搬用、電気工事用、農山林管理用、牧場用、その他、移動をともなう屋外作業、配達など機動性を特に必要とする仕事にピッタリ」と説明していたのだから驚く。
つまり、これもまた、お仕事グルマだというのだ。
しかし、そこには1970年=昭和45年という時代背景もある。バモスホンダが当時"新しい時代のレジャーカー"として着想されて、開発されたのは間違いない。ただ、当時の社会の空気はまだまだ「クルマで遊ぶのは不良のすること。まして(税金が優遇される)軽自動車で遊ぶなんて不謹慎」という空気が色濃く、世論を逆なでするようなクルマには、当局(当時は運輸省)の認可も下りなかったとか。
こんなだれがどう見ても遊んでいるようにしか見えない(?)バモスホンダでも、無理やり"仕事用"と言い切らなければならない時代だった。
月間2000台の計画でスタートしたバモスホンダも、そのあまりの解放感に二の足を踏む人が多かったのか、発売から約3年の総生産台数が約2500台にとどまり、そのまま1973年には姿を消してしまった。
そんなバモスホンダは、結果的には珍車・迷車というほかないが、そこに込められたつくり手の情熱はとことん熱い。迷車と名車は、ほんのちょっとツボがずれただけの紙一重だ。
【バモスホンダ スペック】
1970年 バモスホンダ
全長×全幅×全高:2995×1295×1655mm
ホイールベース:1780mm
車両重量:520kg
エンジン:強制空冷直列2気筒SOHC・354cc
最高出力:30ps/8000rpm
最大トルク:3.0kg-m/5500rpm
最高速度:90km/h
乗車定員:2人/4人
車両本体価格(1970年11月発売時)31万5000円~36万3000円
●佐野弘宗(さの・ひろむね)
自動車ライター。自動車専門誌の編集者を務めた後、独立。国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー役員へのインタビュー経験の豊富さには定評があり、クルマそのものだけでなく、それをつくる人間にも焦点を当てるのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員