左から、JRPの上野禎久社長、HRC(ホンダ・レーシング)の渡辺康治社長、JRP新会長に就任した近藤氏、トヨタの佐藤恒治社長左から、JRPの上野禎久社長、HRC(ホンダ・レーシング)の渡辺康治社長、JRP新会長に就任した近藤氏、トヨタの佐藤恒治社長

日本最高峰のスーパーフォーミュラ(SF)を運営する日本レースプロモーション(JRP)の新会長に就任した近藤真彦氏。前編では、「アジアのF1」を掲げ、SFにアジアのドライバーやスポンサーを取り込んで国際色豊かなレースにしたいと語っているが、日本のフォーミュラカーレース再興のための秘策とは?

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■「SFは夢のある世界」という環境づくり

――近藤さんは「KONDO RACINGチーム」のオーナー兼監督として2000年からSFの前身フォーミュラ・ニッポンに参戦しています。チームオーナーとして長く活動を続けてきて、SFの改善点はどのように考えていますか?

近藤 キャラクターのあるドライバーを育てることも大事ですが、同時にSFを支える各チームのオーナーが満足してもらえるようにしなければと思っています。正直、チームオーナーの方々はSFを主催する日本レースプロモーション(JRP)対して不満が多いんです、僕もそうですから(笑)。

もっとJRP自体が動いて、スポンサー探してきてほしいとかね。チームはみんな汗かいて、自分たちでスポンサーを取ってきて活動していますが、リターンがほとんどないのが現状です。

――F1は年間の成績に応じて賞金が設けられていて、上位に入ると数十億のお金がチームに入ります。それを活動資金にしていますが、SFでは各チームに賞金は分配されているのですか?

近藤 賞金はありますが、1回クラッシュしたら終わりというレベルの金額です。F1はテレビの放送権やスポンサーの分配金、シーズンの成績によって何十億という賞金があります。僕もチームオーナーとして、少しでもSFがよくなるように声を上げてきましたが、JRPは危機感が足りなかったと思います。

これまで社長が何人も変わり、その度に今度はいけるぞ、とチームオーナーたちは期待していましたが、状況はそう大きく変わりませんでした。

今回、僕が会長になったことで、会長としての発言権はもらったと思っています。もちろん、僕はあくまでJRPの上野社長の右腕です。名刺には「会長」と書かれていますが、上野社長や取締役の上に立ったとは考えていません。でも会長という肩書の力を借りてSFを発展させるために、これからは発言させてもらおうと思っています。

「会長という肩書の力を借りてSFを発展させるために全力で取り組む」と近藤氏は語る「会長という肩書の力を借りてSFを発展させるために全力で取り組む」と近藤氏は語る

――今までは一チームのオーナーという立場でしたが、会長という大きな発言力を持ったので、それを利用してSFを変えていきたいということですね?

近藤 そうですね。でもSFが今、置かれている厳しさもわかっていますし、いきなり突っ走ろうとは思っていません。いちおう表向きはスタートダッシュを決めるようなふりはしていますけど、それよりもまずは地固めです。いろんな方向から利益を生んで、それをチームに還元していかなければならないと思っています。

やっぱりSFに参戦してくれているチームに利益が出ることが重要なんです。レースに参戦するには、最初はお金がかかってリスクもありますが、投資してSFのチームの一員になって、チャンピオンになるようなチームになれば大きな利益が上がり夢のある世界だよ、という環境を作らないと。

「SFのチームをやりたい!」と手を上げてくれる人が出てくるようにならないとダメだと思います。そこまでの道のりは長いですし、簡単じゃないのはわかっていますが、新規チームが出てきて、最終的にはきちんとビジネスができるような形にしたいです。

■海外のチームも参戦したいと思えるレースに

――F1はまさに当たれば大きなビジネスになるという環境が整っています。理想としては海外のドライバーだけでなく、すでにある海外のチームもSFに参戦できるような環境を整備したいということですね。

近藤 そうですね。今、レッドブルが育成ドライバーをSFに派遣していますが、ほかのF1チームのジュニアチームでもいい。海外のドライバーだけでなく、チームも参戦したいと思えるレースにしていきたい。

最終的なゴールはそこですが、JRP単独でレース興行をしていても、これ以上の成長は難しいのかなとも感じています。将来的にSFの人気がもっと出て、大きなビジネスとして拡大させるためには、パートナーが不可欠です。日本なのか、海外なのか、まだわかりませんが、大きなメディアと一緒にやっていく必要があると感じています。

SFは世界的に見てもF1に次ぐ速さで競い合い、F1で活躍しているドライバーを何人も輩出しているカテゴリーSFは世界的に見てもF1に次ぐ速さで競い合い、F1で活躍しているドライバーを何人も輩出しているカテゴリー

――F1はネットフリックスと組んで、レースの裏側を描いたドキュメンタリー番組を制作し、人気が爆発しています。そういうイメージですか?

近藤 そうですね。結局、スポーツはメディアと一緒にやっていかないと話になりません。誰も見てくれなかったら、ビジネスとして成立しないと思います。だから、リスクを背負ってでもSFの番組を作ろうというメディアを探す必要があります。スポンサーも同様です。

僕はJRPだけが儲かればいいという気持ちは一切ありません。日本国内に限らず、アジア圏のメディアやスポンサーと一緒にビジネスをして、SFを大きくして、利益を生み出して、それをみんなで分配すればいいと思っています。

――近藤さんがおっしゃる通り、日本単独でレースをしていてもジリ貧になることは何年も前から見えていたと思うのですが、これまで大きな変革の動きはありませんでした。

近藤 これまで僕が話してきたことは、相当ハードルが高いことだというのはわかっています。でもダメ元とは思っていません。現状を打破するために、壁にぶち当たっていくだけのエネルギーと強い意志はあります。

もし、壁にぶち当たって跳ね返されたら、「まあ、お前はやっぱり3年しか持たなかったな、近藤会長」と言ってくれても構いません。それでも恥ずかしくもなんともありません。これまで壁にぶち当たっていく人はいなかったわけですから、僕は必ずチャレンジしますから。

――お話を聞いて、SFのこれからがすごく楽しみになってきました。期待しています。

近藤 でも、しばらく待ってくださいね。1、2年じゃ変わりませんから。日本で地固めをして、5年ぐらいのスパンで、じっくりとアジア進出を進めていきたい。

■豊田章男さんがかけてくれた言葉

――近藤さんはレース業界での活動が高く評価されているからこそ、今回JRPの会長に指名されたと思いますが、ジャニーズ事務所に入って芸能活動を始める前にモータースポーツの世界に入ろうという気持ちはなかったのですか?

近藤 まったくなかったですね。子供の頃から車が大好きで、F1やスカイラインなどのミニカーを持っていたし、クルマのプラモデルもよく作っていました。でもレーシングドライバーという仕事があって、お金を稼げるということをまったく知りませんでした。

芸能活動を始めて、日産マーチのコマーシャルをやることになったのがレースを始めるきっかけでした。そのときに星野(一義)さんとお会いして、「来週、レースがあるから遊びに来ない」と誘われました。それでサーキットに行くと、星野さんが控え室で「マッチ、今から2000万稼いでくるから」と言ってきたんです。

で、レースがヨーイドンで始まって、チェッカーフラッグを受けたら、星野さんが表彰台の真ん中で「賞金2000万円」と書かれたボードを掲げて立っていました。カッコいいでしょう(笑)。当時は「いやー、すごい世界があるんだ」と驚きましたし、星野さんから大いに刺激を受けました。

芸能界は、ギャラはタブーじゃないですか。この映画に出演したら、自分がいくらもらっているとか、まったく知りませんでした。ところが、そうじゃない世界がそこにあったから、ビックリした。

「現状を打破するために、壁にぶち当たっていくだけのエネルギーと強い意志はある」と話す近藤氏「現状を打破するために、壁にぶち当たっていくだけのエネルギーと強い意志はある」と話す近藤氏

――その星野さんに弟子入りする形で、近藤さんは1984年にドライバーとしてレースを始めますが、芸能の世界に入らず、最初からモータースポーツの世界に入ればよかったと後悔したこともあったんじゃないですか?

近藤 1995年と96年、ル・マン24時間レースに日産GT-Rで出場したときに、監督の水野(和敏)さんから「歌手じゃなかったらなあ。もっと早くからレースをやっていたらよかったな」と言われたことがあります。GT-Rの開発者として知られる水野さんのような名監督にそんなことを言われたら、「そうか。もしかしたら俺、もっと速いレーサーになれたのかな......」と思ったこともありましたね(笑)。

――でも人生はわからないものです。歌手をしていた近藤さんがモータースポーツの世界に入り、レーサーから始まり、チームオーナー、そして日本のトップフォーミュラの運営団体の会長に立つんですから。

近藤 そうですね。でも周りを見渡すと、今、いろんな企業や団体などで世代交代が起きていますよね。この前、トヨタの社長を退任されたばかりの豊田章男さんとお話しする機会があって、JRPの会長就任おめでとうと言ってくれたのですが、章男さんは「マッチ、世の中、全部、世代交代だよね」と声をかけてくれました。僕は「章男さんが最初に、その流れを作ったんじゃないですか」と返したんですけどね(笑)。でもJRPも本当に世代交代。変革のためのいい流れが来ていると感じています。

それにしても、JRPを支えている社長や取締役、株主の方々がよく僕を会長に選んでくれたなと思います。でも逆に近藤ならやってくれると思ったから、会長に抜擢してくれたのですから、その期待に応えるしかないですよね。近藤は、やりますよ!

●近藤真彦(こんどう・まさひこ) 
1964年7月19日生まれ。79年にTVドラマ『3年B組金八先生』で芸能界デビューし、以降は俳優・歌手として大活躍する。レーサーとしては84年に富士のフレッシュマンレースでデビュー。その後は全日本F3選手権シリーズに参戦し、トップカテゴリーの全日本GT選手権やスーパーフォーミュラ(SF)の前身、全日本F3000やフォーミュラ・ニッポンにも参戦。94年には全日本GT選手権でポール・トゥ・ウインを達成する。また世界3大レースのひとつ、フランスのル・マン24時間耐久レースにも出場。2000年にレーシングチーム「KONDO RACINGチーム」を設立。現在はチームオーナー兼監督として国内最高峰のSFとスーパーGTに参戦。スーパーGTではGT300とGT500の両クラスにエントリーする。この4月にはSFを運営する日本レースプロモーションの会長に就任した。