佐野弘宗さの・ひろむね
自動車ライター。自動車専門誌の編集者を務めた後、独立。国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー幹部へのインタビュー経験の豊富さには定評があり、クルマそのものだけでなく、それをつくる人間にも焦点を当てるのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員
世界初のガソリン自動車が生まれてすでに140年以上。その長い自動車史のなかには、ほんの一瞬だけ現れては、短い間で消えていった悲運のクルマたちも多い。自動車ジャーナリスト・佐野弘宗氏の連載「迷車のツボ」では、そんな一部のモノ好き(?)だけが知る愛すべき"迷車"たちをご紹介したい。
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というわけで、今回取り上げるのは、1995年6月に発売されたマツダ・ボンゴフレンディである。ボンゴフレンディのなにがスゴかったかといえば、一目瞭然、クルマに屋根裏部屋がついていたことだ! 開発コンセプトは「家族や仲間のためのレジャー基地」、そして発売当時のキャッチコピーは「遊べる・泊まれるワゴン」だった。
その屋根裏部屋は「オートフリートップ」と呼ばれた。クルマを停車させて(安全のためパーキングブレーキ作動が必要)、天井にあるボタンひとつで、テント付きルーフパネルが電動で"ウィィィーン"と斜めに持ち上がり、最大1360mmの室内高をもつ屋根裏部屋が出現! 屋根裏へのアクセスは1階(=普通の車内)のセカンドシートから、天井に開いた大きなハッチをよじのぼる。屋根裏部屋の床のサイズは、左右1080mm×前後1850mm。大人2人がならんで、それなりにきちんと寝られる空間......とされた。
ボンゴフレンディのオートフリートップで驚きだったのは、それが量産自動車メーカー純正の、通常グレードのひとつとして、正規ディーラーで普通に売られたことだ。専門ショップ製なら、もっと凝ったキャンピングカーが当時もあったし、メーカー純正でも、カスタマイズ子会社による架装キャンパーもなくはなかった。ただ、そうしたクルマは改造車扱いとなって、新規登録も運輸支局(昔は陸運支局)にいちいち持ち込む必要がある。
しかし、普通のグレードとして量産されたオートフリートップは、通常の量産新車と同じ扱いで、同等装備のノーマルルーフ車に対しておよそ30~45万円高という価格も、内容を考えれば手ごろ。まさに、オートキャンプ入門にはうってつけだったのだ。
実際、オートフリートップのインパクトは強く、ボンゴフレンディの発売後、スバル・ドミンゴアラジンや、ホンダの初代オデッセイや初代ステップワゴンの特装車「フィールドデッキ」など、オートフリートップのあやかり商品(?)がいくつか発売された。しかし、これらはどれも屋根裏は手動で持ち上げて展開する必要があったし、クルマも改造車扱いの持ち込み登録だった。
そんなオートフリートップが誕生した背景には、1990年代前半に起こった第一次キャンプブームがあった。一般社団法人日本オートキャンプ協会が発行する『オートキャンプ白書』によれば、1990年代に入って増えはじめた国内のキャンプ人口は、ボンゴフレンディが発売された1995年には1560万人に達した。
しかも、当時のキャンプ業界はイケイケドンドン(昭和用語?)。その5年後の2000年には2000万人に達して、旅行宿泊者数でホテルのそれを逆転する......なんて超強気の予想が、まことしやかにささやかれていたのだ!
しかし、現実の国内キャンプ人口は翌1996年の1580万人でピークアウトして、2000年には約1000万人まで減少した。ちなみに、アニメの『ゆるキャン』がヒットして、キャンプ芸人がもてはやされている最近は第二次キャンプブームともいわれているが、国内キャンプ人口は2019年で890万人、翌年はコロナで610万人に減少するも、最近はやっと復調傾向......なんて感じだ。いずれにしても、その規模は1995~96年の約半分! こう考えると、第一次キャンプブームがいかにすごかったかがわかる。
こうして、オートフリートップに注目が集まりがちなボンゴフレンディだが、クルマそのものは1990年半ばの典型的な5ナンバー背高ミニバンだった。ただし、オートフリートップ付の場合は、全高が5ナンバー枠(2m)を超えていたので、装着されるナンバープレートは排気量を問わず3ナンバーとなった。基本は5ナンバーサイズでも全幅や排気量がちょっとだけオーバーして3ナンバーになることは少なくないが、全高が5ナンバー枠を超える例はめずらしい。
......と、それはともかく、エンジンは軽トラやハイエースなどの商用車と同じく運転席下にあるが、フロントタイヤを前方に出すことで、当時の乗用ミニバンに求められる衝突安全性や高速安定性を確保していた。
それもあって、最新のトヨタ・ノア/ヴォクシーや日産セレナのようなFFレイアウトミニバンと比べると、ちょっと古臭く見えるプロポーションなのは否めない。しかし、このクラスで完全乗用車設計のFFレイアウトを初めて採り入れたのは、ボンゴフレンディの発売から約1年経過した1996年5月に発売されたホンダの初代ステップワゴンだから、1995年当時としては、ボンゴフレンディのスタイルは当たり前だった。
また、ボンゴフレンディは、オートフリートップ以外にも、冒頭の「レジャー基地」のコンセプトに沿って、いろいろな工夫が仕込まれていた。たとえば、1階の窓(=普通のサイドウインドウ)の電動昇降カーテンも、クルマ用としてはボンゴフレンディが世界初だった。
このコーナーで"迷車"として取り上げるクルマは、通常よりも短命に終わっているケースが多いなか、ボンゴフレンディの場合は2005年11月まで10年以上も生産された。その間の累計販売台数は14万台あまりという。それとほぼ同期間に販売されたステップワゴンの初代と2代目(1996年5月~2005年4月)は合わせて約76万台といわれているから、ボンゴフレンディは正直、人気車とはいえなかった。
しかし、それが販売されていた時期のマツダは極度の経営不振におちいっており、フルモデルチェンジもままならなかったというのが、真実と思われる。ちなみに、1999年のマイナーチェンジではオートフリートップの開閉角度はさらに拡大して、屋根裏部屋の最大室内高も当初より260mm拡大した。売れ行きは地味ながらも、売っている間はしっかり真面目に改良するあたりは、いかにもマツダらしい。
結局、オートフリートップもボンゴフレンディの生産終了とともに姿を消したが、中古車市場を見ると、オートフリートップだけは今もしっかりと値段が残っている。つまり、その価値を知っている人は知っている......というわけで、迷車と名車は、ほんのちょっとツボがずれただけの紙一重なのだ。
【スペック】
2001年 マツダ・ボンゴフレンディV6 2500RS-Fエアロ・オートフリートップ
全長×全幅×全高:4620×1690×2090mm
ホイールベース:2920mm
車両重量:1790kg
エンジン:水冷V型6気筒DOHC・2494cc
変速機:4AT
最高出力:160ps/6000rpm
最大トルク:22.0kgm/3500rpm
燃費(10・15モード):7.9km/L
乗車定員:8名
車両本体価格(2001年6月発売時)279万8000万円
自動車ライター。自動車専門誌の編集者を務めた後、独立。国内外の自動車エンジニアや商品企画担当者、メーカー幹部へのインタビュー経験の豊富さには定評があり、クルマそのものだけでなく、それをつくる人間にも焦点を当てるのがモットー。日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員