ニッポンには人を大切にする"ホワイト企業"がまだまだ残っている......。連載『こんな会社で働きたい!』第27回は、農産品の直売所や"半農半電"の取り組みを通じて農家の所得向上に貢献しているファームドゥ(群馬・前橋市)だ。
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農家の朝採り野菜を都心で買える直売所、「地産マルシェ」。新鮮さに加えて手頃な価格も魅力で、JR中央線沿線にある阿佐ヶ谷店は地元の買い物客でいつも賑わう。近所のカフェ「ひねもすのたり」の店主は、「花オクラや山菜、やよいひめという群馬産のイチゴなど、珍しい野菜や果物があるのもうれしくてよく利用します」と話す。
この直売所の仕掛け人が、群馬県前橋市に本社を置くファームドゥ株式会社の岩井雅之社長(64歳)だ。同社は今年で創立25周年を迎える。
群馬の農家に生まれ育った岩井社長は、高校生のときにテレビでペルシャ湾の石油採掘現場の映像を目にし、「いつかあんな大きな世界に立ってみたい」と、大学は海洋資源学を専攻。卒論実習では、広大な地平線に憧れオーストラリアへウラン調査に出かけたという。
大学卒業後は地元で大型ショッピングセンターを展開していた企業に就職し、店舗の設計や店長を経験して14年後に退職。辞める間際の5年間は休みの日に事業計画書を書き続け、「農業の店を作りたい」と夢見るようになった。
当時は1000平方メートル以上の大型店舗については届出から1年間は新設不可という法規制があり、本当はすぐにでも店を開きたかったが、断念。子どもが生まれたばかりだというのに無収入に陥ってしまい、軽トラックを買って荷台に農業資材を積み、行商を始めた。
「結果的にそれがよかった」と岩井社長は笑う。農家をせっせと自分の足で回ったおかげで、どんな道具が必要とされているのか市場をよく知ることができた。その知識をもとに1年後の1995年、農業資材の専門店「ファームドゥ」を開業。道具から肥料まで豊富に揃ってしかも安い、いわば農家の総合デパートである。
農作物から農業資材、肥料ひとつに至るまで、農協が価格や流通を決める。これは日本の農業の商慣習にもなっているところで、小規模農家の大半が農協に頼らざるを得ない構図もある。だが、その仕組みは別業者の参入を阻む閉鎖的な側面があるのも事実......。岩井社長は、そこに風穴を開けた。
「ファームドゥに置く商品を農協より格段に安い値付けにしたんです。たとえば、梅を摘み取るときに使う脚立は、農協で買えば2万5000円でしたが、ファームドゥでは1万4800円で販売することにしました」
だが、それが思わぬ事態を招くことになった。
「農家の皆さんからは大歓迎されたものの、店と取引があったメーカーのうち、約10社が撤退してしまいました」
その背後に、農協などからの圧力があったことは同業者や撤退したメーカーの担当者から知らされた。
しかし「全然気にしなかった。他に売れるものはいくらでもあるし、農家のみなさんは忙しいなかでわざわざうちの店に来てくれていたから」と岩井社長はあっけらかんと言う。
巨大組織の圧力も意に介さないその強さは、いったいどこから来るのだろうか?
「『農業を支援して、農家の所得向上に貢献する』。これこそ、ファームドゥの創業時からの理念です。大変な思いをして農業をやっている生産者さんにとって、機能面や品質面で購買先の選択肢が増えるのはうれしいことであるはずで、それを私はやりたいだけです」
■農業界の"革命児"に
95年に開業後、安さも評判となって農業資材店「ファームドゥ」の売上は好調だったが、岩井社長自ら店に出ると、買い物に訪れる多くの農家に「この店で朝採り野菜を置かせてほしい」と要望された。試しに置いてみたところ、これがよく売れた。
そして岩井社長は大胆な決断に踏み切る。
2004年、当時年商5億円を売り上げていた「ファームドゥ」を全面改装し、スタッフのユニフォームも一新。野菜の他にうどんや豆腐など地元産の加工食も売る「食の駅ぐんま吉岡店」へと丸ごと作り変えて年商12億円を達成した。
農協を介さず、地元の農家から直接、野菜を仕入れて販売する店は珍しい業態ではないが、岩井社長がこだわったのは、「商品の価格は農家の方々が自分で決める」という仕組みだ。
「生産者さんが自立して自分の責任で値段を設定し、販売できることが大事だと思います。もし出荷した野菜が思うように売れなければ、改善ポイントを自分で探せばいいわけです」
そう話す岩井社長自身も農家の生まれである。
「汗を流して育てた農作物が安く買い叩かれて苦労する父親の背中、家事や育児をしながら養蚕業で忙しく働く母親の姿を、幼いながら見ていました。両親を通じて零細農家の辛さを知っていたことも、農家を支援したいという思いにつながっています」
こうして新たな流通経路を作り出した岩井社長は、やがて"農業界の革命児"と呼ばれるようになる。
現在、ファームドゥは群馬県を中心に4000件の農家と直接契約。契約農家が収穫した野菜は、ファームドゥ独自の集荷場に集められ、トラックで首都圏の各店舗へ毎朝運ばれる。ちなみに価格だけでなく、どの店舗で売るのかも生産者が自分で決める。形が悪い規格外の野菜でも、出荷量がわずかでも、ファームドゥであれば受けつけてもらえるという。
「地産マルシェ」が都心近郊に17店舗、「食の駅」が関東・東北に11店舗、農業生産資材・園芸用品を揃えた「ファームドゥ農援's」が6店舗。消費者からも農業関係者からも愛用され、2017年度はグループ全体で115億円を売り上げた。
■"半農半電"という農業の新しい形
毎年店舗数を増やして着実に業績を伸ばしていたファームドゥにとって、大きな転機となったのが11年の東日本大震災だ。震災から2年間ほどは、放射能の風評被害で東京での野菜の売上が3分の2に減り、大打撃を受けた。さらに群馬の本社や自宅が計画停電地域に入っていたため、電気が止まった。
このとき岩井社長は、「原子力だけではやばい。しかし電気はなくてはならない」と痛感。目に見えない放射能の影響で、手塩にかけて育てた野菜と土壌の安全が脅かされる。しかし電気の恩恵を受けなくては生活も事業も成り立たないーー。
良い方法はないものかと考えていた矢先の12年、「再生可能エネルギー特別措置法」が成立。いわゆる再生エネルギーの固定価格買取り制度で、すぐさま実験として群馬県内の3店舗の屋根に太陽光パネルを取りつけた。
さらに北海道十勝地方の27ヘクタールの所有地で、太陽光発電所を作ると決意。16億円の借入先も決まり認定手続きを進めていたところ、送電線が足りないなどの理由で北海道電力から土壇場で中止要請を受け、計画が頓挫してしまう。だが落ち込むどころか「リベンジしたい」と意欲がわきあがり、2ヶ月間で群馬県内に10ヶ所以上の太陽光発電所の土地を確保し、建設に踏み切った。
知人から「どこまでやるんだ? 岩井さん」と心配そうに尋ねられると、「できるところまでいくんだ」と即答。「その結果が今につながっています。事業をやっていると全部がうまくいくとは限らない。予期しない失敗は必ず起きるけれど、マイナスの出来事があってもプラス思考を持つほうが結局は成功に繋がるという感覚が私にはあるんです」
18年3月時点で、日本全国約120ヶ所の太陽光発電所が稼働。高齢などの理由で農作業ができなくなった耕作放棄地を農家から借り(または譲り受け)、ファームドゥが費用を負担して太陽光発電機材を設置する。
すると、農家は地代収益を得られるようになり、市町村には固定資産税・償却資産税が、県には電気事業税が入るなど、地域にも収益が渡る仕組みだ。現在は60ヶ所が東京電力の送電線設置を待つ状態で、今後も発電所の数は増やしていくという。
「今の時代、もう農業だけではやっていけないし、6次産業もなかなか簡単なことではない。農家にとって太陽光発電は大きなチャンスです」――岩井社長はそう確信している。
震災前のファームドゥの売上高は「地産マルシェ」「食の駅」「農援's」の3本柱で成り立っていたが、14年以降は「太陽光事業」を加えた4本柱となり、19年2月の決算期に123億円達成を目指す。
「ポイントは3つ。ひとつ目、電気産業は必ずこれから伸びる。世界的に見るともっと伸びるはずです。2つ目、これだけ自然災害が起きているので、二酸化炭素を減らそうという動きが世界でより活発になって、環境問題が大きなビジネスになってくると思います。3つ目、人間が生きていく限り農業は絶対に必要な成長産業になる」
そのすべてを満たす同社の事業が「ソーラーファーム」だ。ファームドゥが運営する全国120ヶ所の太陽光発電所のうち、40ヶ所がこれに該当する。一般的には「ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)」と呼ばれ、太陽光発電を行ないながら同じ土地で農作物を育てる取り組みのことを言う。
岩井社長は「ソーラーファーム」の特許取得と商標登録を済ませ、マサチューセッツ大学の元教授と共同でソーラー発電するビニールハウス素材も開発中。数年後には、現状より発電能力が2倍も高く、かつ2分の1の低価格素材が実現する見込みだという。
そこで、「ソーラーファーム」を見学させてもらうため、本社から車で10分ほどの場所にある中里農園(群馬県高崎市)に移動した。時刻は夕方4時をまわり、1日の作業を終えたスタッフの皆さんとすれ違う。ファームドゥは農業と福祉の連携にも力を入れており、100人ほどいる農園スタッフのうち約35人は障がい者だ。「彼らの手先の器用さと明るさが重要な戦力になっている」と岩井社長は言う。
農園内の一画にある水耕栽培ハウス5棟の圃場(ほじょう)長を務めるのが、入社5年目の木暮裕介(27歳)さんである。
木暮さんの両親は会社員で農業とは無縁の人生だったそうで、入社動機を尋ねると「大学時代はやりたいことも特になく、就職先を探していたらテレビ番組でファームドゥを紹介していて......。僕も同じ前橋出身ですし興味を持ったんです」と答えた。ここまで農業にしっかり携わることになるとは入社前は思わなかったが、「やってみると楽しい」と言う。
「農業は、自分で最初に全部計画を立ててから実行していく。この季節に種をまいて次はこれをしてというふうに、計画通りに出荷できたときがうれしい瞬間ですね。大変だと感じるのは、自然を相手にしていること。自分が休みの日にハウスの温度が上がってしまい、気になって様子を見に来たりもします」
さらに、農業へのイメージも一変したのだと話す。
「今の農業はIT化が進んでいて、このハウス内でも室温の設定や農薬の量の調整、水やりに至るまでコンピューターによって自動制御するなど、最先端のIT技術を取り入れています。たとえばきゅうりの場合、水や肥料が減ってくると形が曲がるなどすぐ影響が出るのですが、ここは水耕栽培なので水の心配はなく、肥料も足りなくなればボタンひとつで全体に行き渡ります。土を使わないので手が汚れないなど、農業を取り巻く環境も変わってきています」
岩井社長が続けてこう話す。
「今後は自営業ではなく、サラリーマンとして農業をする人が増えていくでしょう。農業従事者の人口比を棒グラフで表すと、1955年はピラミッド型だったのが、2025年にはキノコ雲型になります。傘の部分が65~80歳の層で、将来的に人材が不足するのは明らか。だからこそ逆にチャンスでもあり、農業には素晴らしい夢があるんだと若者に伝えたいです」
ファームドゥでは、木暮さんのように意欲ある若手を積極的にリーダーポジションに抜擢している。今年の春から社長秘書になった女屋(おなや)仁美さん(23歳)の場合はまだ入社2年目で、パワフルな社長の近くで働いてみたいと人事面談で希望を出したら本当に採用された。
「入社1年目で店長になった同期の仲間も2人いて、やる気を示せばチャンスをいただける会社なのだと実感しています。同期とも力を合わせて頑張ろうと話しています」と女屋さんは語る。
取材中、岩井社長は「若いみんながどんどん挑戦してほしい」とたびたび口にしていた。その思いが今、海を越えた大陸でも花開き始めている。草原の国モンゴルで、この「ソーラーファーム」プロジェクトが動き出しているのだ。
★この記事の続き、後編は9月30日に配信予定です