この1、2年の出店ラッシュで都市部の店舗が急増。「新時代」の認知度を大きく上げたこの1、2年の出店ラッシュで都市部の店舗が急増。「新時代」の認知度を大きく上げた
街には人があふれるなど、かつての日常を取り戻しつつある日本。中でもコロナ禍の3年間で居酒屋業態は最も大きな打撃を受けたが、その逆風にあっても出店を拡大し、頭角を現したのが「新時代」だ。いったいなぜこのタイミングで大きく成長したのか、そして他店も再興する中で、どんな未来を描くのか。元ブラジルのプロサッカー選手という異色の経歴を持つ社長を直撃した! *価格はすべて税別

■プロサッカーから飲食への意外な入り口

コロナ禍の疲弊からまだまだ抜け出せない中、人件費や食材費の上昇などに頭を悩ませている居酒屋業界。だが、そんな状況で2021年、22年には2年連続30店舗出店と急拡大した居酒屋がある。

ビール1杯190円、鶏皮を揚げた名物の「伝串(でんぐし)」が1本50円と、安さをウリにする愛知発祥の居酒屋「新時代」だ。

業界全体が縮小し、各社が〝守り〟の姿勢を見せる中、現在100店舗を突破するなど「新時代」が全国各地へ広がったワケとは? その理由を創業者で社長の佐野直史(なおし)氏に直撃。この快進撃には佐野氏の意外な経験が関係していた。

「8歳で始めてからずっとサッカー漬けでした。サッカーで生きていくつもりだったんです。それを考えたら今の人生は意外ですよね(笑)」

実は、幼少時代からサッカークラブに所属し、プロ選手を目指していた佐野氏。ボールを蹴り始めてわずか2年で地元・岐阜の県選抜に選ばれるなど活躍し、1991年に強豪・岐阜工業高校へ進む。そこで最初の転機を迎える。

「高校1年のときに19歳と年齢詐称してヤンマーディーゼル(後のセレッソ大阪)の入団テストを受けたら、最終試験まで通ったんです(笑)。でも、15歳でそこまで通用してしまう日本のレベルの低さを感じ、ブラジルへ行こうと決心しました」

その後、佐野氏が高校3年の93年にJリーグが開幕したものの、やはり日本でサッカーをする気持ちはなく、ブラジルに行くため伝手(つて)を辿(たど)った。

「そのときに出会ったのが、カズ(三浦知良[かずよし])のお父さんで、ブラジル行きに協力してもらいました。カズのお父さんから『ブラジルでプロになれるのは100万人にひとりの確率だぞ』って言われて、絶対にプロになろうと」


高校卒業後、ブラジルに渡り、プロとして4チームに所属した佐野氏(上段左から2人目)高校卒業後、ブラジルに渡り、プロとして4チームに所属した佐野氏(上段左から2人目)93年にブラジルに渡った佐野氏は翌年、プロ契約を勝ち取る。念願かなったものの、98年に大ケガを負い帰国。そのまま引退し、家業の建築会社に跡取りとして入社した。

「いろいろ誘いはあったけど、サッカーはブラジルでやりきったのでスパッとやめました。当時は夕方まで働いて、地元の居酒屋に毎晩飲みに行ってました。そこで店員さんがお客さんから『ありがとう!』って言われているのを見て、『俺もそっち側に行きたい』と飲食業界に踏み込むことにしたんです」

一見、安易な決断に見えるが、実は日本帰国の際に飲食の道を考えていたという。

「ブラジルでは選手の9割がスラム街出身。人生を変えるために彼らは13歳から入団テストを受けて、ひと握りしか受からない上、年齢を重ねるごとにふるい落とされていく。

彼らからしてみれば、そんな熾烈(しれつ)な環境に日本人がいたら邪魔。だから練習中、パスも来ないし、ガンガン足も削られる。練習後はロッカーのゴミ箱に捨てられた着替えを拾う毎日でした」

ブラジル時代は、アルシンド(左)などが所属していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)が遠征に来ており、練習試合では3-0で勝利したブラジル時代は、アルシンド(左)などが所属していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)が遠征に来ており、練習試合では3-0で勝利した
あるとき、いじめの主犯格だったチームメイトの家に呼ばれたという。

「彼の家があるのはスラム街のど真ん中だし、恐怖しかないわけです。でも実際に行ったら、テーブルに料理を並べて歓迎してくれた。

そこで戸惑いながらも食べていると、子供たちが『お母さん、これ何!?』って言っていて、ようやく『俺にとっては普通の料理なのに、普段ロクに食べられないスラムの子供には、見たことないごちそうだったんだ』と気づきました。それまで自分がいかに恵まれた環境に生きていたのか理解していなかった」

その〝衝撃の光景〟は佐野氏にハングリー精神を学ばせるだけでなく、飲食の世界の魅力を覚えさせたという。

「あのとき、みんな料理を前に目をキラキラ輝かせていたんですよ。料理にはこれほど人を喜ばせる力があるんだと感じました。その後、帰国前にその家に挨拶に行ったんですが、もう見つからなかった。だからいつかブラジルに出店して、彼らに会って恩返ししたいと思ったんです」

■飲食経営に生きたサッカーとブラジルでの経験

この思いを胸に建築会社を辞めた佐野氏はすぐに常連だった居酒屋に就職。独立を前提に入社したため、最初から「店長をやりたい」と毎日食い下がった結果、わずか2週間で店長に抜擢(ばってき)。当時、その居酒屋はグループ全体で100店舗ほどあったが、店長を務めた店が半年で売り上げ1位となり、グループに勤めた4年間で社内のNo.2である営業本部長にまで出世した。

「でも最初は店長なのに何もわからないからバイトのコに教わっていました(笑)。同時に営業後、ひたすら本を読んで飲食業界のことを勉強しました。父からは『なんでもいいから一番になれ』と言われて育ち、サッカーもその心意気で臨んでいたので、まったく苦ではなかったですね」

独立前は飲食大手の扇屋コーポレーションで働いていた佐野氏(手前)。独立に必要なマネジメントを学び、エリアマネジャー時代には半年で最優秀成績を収めた独立前は飲食大手の扇屋コーポレーションで働いていた佐野氏(手前)。独立に必要なマネジメントを学び、エリアマネジャー時代には半年で最優秀成績を収めた
これまでのサッカー経験は、店舗運営の面でも役立ったという。

「サッカーもそうですが、マネジメントが重要なんですよ。だから例えば、会社に黙ってMVP賞とか作って、バイトのコたちのモチベーションを上げて結果につなげました。

マネジャー職になってもやり方は同じです。店舗の立ち上げを誰にやらせるのか、この地区は誰に任せるとか、〝采配〟と〝戦略〟ですから。こうやって、グループ店が350店舗にまで拡大する間に、実践で学ばせてもらいました」

4年間でグループ店舗を大きく拡大させた経験を基に佐野氏は06年に愛知で独立、10年に「新時代」を立ち上げる。その後、17年には東京進出を果たし、地道に店を増やしてきたが、店舗急拡大の契機となったのはコロナだった。

都内の「新時代」では、平日の夜でも満席に。24時間営業の新橋店は昼飲みの客でにぎわう。また秋葉原本店は月商4500万円と大繁盛都内の「新時代」では、平日の夜でも満席に。24時間営業の新橋店は昼飲みの客でにぎわう。また秋葉原本店は月商4500万円と大繁盛
「コロナ禍で空き物件が出てきたので、出店しただけ。もともと拡大する予定でしたし、株式の一本化を進めていて、誰の反対も受けることなく、スピードをもって動けたんです。おかげで今は銀行から個人で60億円ほど借りている状況ですけど(笑)。

なぜそんな決断をしたかというと、ブラジル時代があったから。ブラジルってウイルスの蔓延(まんえん)が日常茶飯事。でもすぐ沈静化する。コロナも今の医療なら、また元に戻るとわかっていたから『今がチャンス』と決めました。歩みを止める必要がなかったですね」

■貫く信念と王道こそ成功への唯一の正解

とはいえ、「新時代」の想定客単価は2000円ほど。安さがウリの「新時代」にとって食材や人件費が高騰している現状は大きな痛手なはず。

「当然、『伝串』はほぼ利益はないんですけど、ほかのメニューとのバランスで全体では25~35%ほどの利益率を確保しています。これは業界トップクラスです。また、食材を生産者から直接大量購入して原価を抑えているため、店舗増加によるスケールメリットでさらに利益率は上がっています。

あと、伝串は工場で串打ちしていますが、ほとんどのメニューは店舗で仕込んで作っています。工場でまとめて加工するより、店で作るほうが味や質は高水準。安売りの店が増える中で、そこがむしろ一番の差別化です。圧倒的にいい食材でイチから作るから、コスパよく感じてもらえるし、リピーターも多い」

(写真左)甘辛くカリカリな「伝串」を36本重ねた「新時代ピラミッド」は、見た目のインパクトも抜群。名物の「伝串」だけでなく、国産親鶏を炭火で焼いた「どる焼き」(右写真手前・480円)などボリュームのあるメニューも。また生ビール以外に、1Lの「メガハイボール」も450円とお得(写真左)甘辛くカリカリな「伝串」を36本重ねた「新時代ピラミッド」は、見た目のインパクトも抜群。名物の「伝串」だけでなく、国産親鶏を炭火で焼いた「どる焼き」(右写真手前・480円)などボリュームのあるメニューも。また生ビール以外に、1Lの「メガハイボール」も450円とお得
ちなみに「新時代」は約3割がフランチャイズ(FC)だ。通常、FC出店した人が同じブランドで2店舗目を出す割合は約30%。だが「新時代」ではほぼ100%が複数店舗出店している。それは〝確実に儲かる〟と判断されているからこその数字ともいえる。

「いいものを出せばいいんです。コロナだから、物価が高いからと、その場その場での施策なんてあまり効果的じゃない。大事なのは、ただ向き合い続けることです」

「無理に出店目標を決めれば判断は絶対ミスる」という佐野氏だが、それでも全都道府県への出店を目指している。

「『新時代』をブームではなく、コンビニや牛丼屋のようにどの駅にも当たり前にある店にしたい。日本中の人が、『新時代』に毎日通える光景が目標です」

「新時代」を運営する株式会社ファッズ代表取締役・佐野直史氏「新時代」を運営する株式会社ファッズ代表取締役・佐野直史氏
●佐野直史(Naoshi SANO)
 
1975年9月4日生まれ、岐阜県出身。株式会社ファッズ代表取締役。マンガ『キャプテン翼』ブーム真っただ中でサッカーを始める。2006年に独立し、「新時代」のほか、「新時代44」「酒場ブラジル」など店舗展開。現在はグループ全体で年商150億円、120店を運営する