「周りの期待に応えなければいけない」という葛藤まで語ってくれた氷川さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、タレント・俳優の彦摩呂さんからご紹介いただいた第28回のゲストは歌手の氷川きよしさん。

デビュー時からヒット作を連発し話題を呼んだ“演歌界のプリンス”。30代後半を迎え、今、これまでを振り返って思うことは…。前回は運命を変えた高校時代の演歌との出会いに話が及びーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―そもそも、なんでおじいちゃんを先生にしたんだ!?って(笑)。

氷川 みんな辞めちゃって、今度はポップスのクラスができて、仲いい友達もそっち行っちゃって、僕も「辞めようかな」と思ったら、そのおじいちゃん先生に引き止められて…。

それで、おじいちゃん先生がいっぱい演歌のカセットを持ってきて「これを歌ってくれんかね」って言われて。心の中では(え、ちょっと無理ですよ…)ってなってるんですけど、でもやっぱ断れないじゃないですか。すっごいよくしてもらって、ご飯連れてってもらったり(笑)。

―すごい懐柔工作に入ってますね~。まんまと手なづけられてしまったと(笑)。

氷川 でも一応、こう見えても義理堅い人間なんですよ、子供の頃から(笑)。

―可愛がられて、受けた愛情を返さなきゃっていう。

氷川 それで、ちゃんと演歌を覚えようと思って、やってみたんです。度胸つけないといけないって言われて、老人ホームを慰問したりして。

―そんなことまで! でもそれも今に繋がってますね、お年寄りとか人前で。こんなに喜んでもらえるんだ、みたいな?

氷川 そうです。「演歌だからウケたんだ」と思って。さすがにポップス系だったらみんなキョトンとしちゃっただろうなと。もう、あの光景で「演歌でいけるかも」ってちょっと勘違いし始めて(苦笑)。

―全然それは勘違いじゃなかったじゃないですか。

氷川 そうですかね。それから本格的にオーディションを受け始めましたら全国大会に行けるようになったりとか。で、芸能事務所やレコード会社にデモテープをガンガン自分で送りつけたりしたんです。

―そこまで積極的にやる気になって。現在の事務所もそれがきっかけで?

氷川 いえ、当時は全然受からなかったんですよ。結局、演歌歌ってたんですけど「ポップスじゃないと」とか言われて。でも、自分の中では演歌でいこうと決めていたので全部断りました。

―ちなみに、その高校で芸能教室入るまではビジュアル系やポップス歌手に憧れていたということで。プロは無理と思っていても、当然カラオケとかは好きで、よく歌ってた?

氷川 歌いまくってました。僕、森口博子さんと同じ中学校で、同じ中学校でこんな大スターの先輩がいるんだぁと思って。

「『赤いスイートピー』歌ったんですよ」

―影響されてた?

氷川 はい。「アイドル歌手になりたい」って憧れもあって、1回だけ平尾先生のミュージックスクールのオーディションを中学2年の時、受けに行って。

―やっぱり、元々そういう志向はあったんですね。

氷川 ありましたね。僕が4歳とか5歳に人前で歌った時、なんか記憶の中では「赤いスイートピー」歌ったんですよ…親戚とかが連れて行ってくれた旅行で。そこでマイク持って歌ったら「上手じゃない、きよし!」って。

その快感がすごい、ずっと残っていて。褒(ほ)められたっていう、幼少期の喜び…そこを引き出していこうと思ったんですね、自分の中で。

―ありますよね。芸人さんでも小学校の時、休み時間にめっちゃ学校の友達からウケて「おまえ、そっちイケるんちゃう?」みたいな。

氷川 そうですよね。やっぱり人に喜ばれたいんですよね、人間って。

―それを信じていけるのも、お導きなんでしょうけどね。僕も親戚の中で同じくカラオケやって「セーラー服と機関銃」歌って褒められましたけど、導かれませんでした(笑)。

氷川 あ、行かなかった? 行ってたらよかったかもしれないですね(笑)。

―ははは。まぁそういう巡り合わせを経て、演歌でデビューされて。当時で言うと、すごい斬新だったわけですけど。それまでの演歌歌手のイメージと違って、元々、ビジュアル系とかに憧れていたバックボーンが活きてるんじゃないかっていう洗練された印象で…。

氷川 そうですね。大体、演歌歌ってる皆さんは小さい頃から民謡を歌ってたり、ご両親も演歌が好きで、自分もその環境で育ったっていう流れの方が多いですけど。僕は全くそういう環境がなかったんで。だから、高校生で演歌に出会ってから面白いなとか発見があったし、自分の捉え方で表現するようになったんですね。

東京に上京して内弟子時代があるんですけど、アルバイト先で「何しに東京に来たの?」っていろんな方から聞かれて「演歌歌手になるためです」と言っても「嘘でしょ。あんたが歌うわけない」とか「そんな簡単になれないよ。演歌っていうのは10年くらい下積みしてデビューできるんだから」って、皆に言われてたから。そういう感じなんだって。

―下積みを経験して苦労しなきゃみたいな?

氷川 そうなんだと思って3年半やってたんですけど、本当に運良く、今の事務所に面倒を見ていただいて。会長から「自分らしくやったらいいよ」って言われたんですよ。「いいんじゃないか、茶髪でピアスつけて、今風の22歳の若者が股旅モノ歌ってるっていうギャップがびっくりするんじゃないか」って。

「求められる人にならないといけない」

―それも先見というか、氷川さんだから感じるものもあったんでしょうが。本当にビジュアルとのギャップがインパクトありましたし…。

氷川 そしたらその年に「やだねったらやだね」が流行語のトップ10に入ったり、いろんなところで使っていただけるようになって。「やだねったらやだね」って、子供が口ずさんだりとか。何がなんだか僕もわからない状態でヒットしたので。もうキャンペーンでもレコード屋さんの前で歌って、日に日に人が集まってきてくださって。TVに出たりして、次に2作目が決まるじゃないですか。またプレッシャーになったりするんですよね。

周りもそうなってるとこで、3作目も「また“股旅”でいいんじゃない」って意見があったり、いろんな意見の中で『きよしのズンドコ節』になって。僕もちょっと不安だったんですけど「これでいこう!」ってスタッフの皆さんが、もう確信持ってやられてたんで信頼して。そしたら、ファンの皆様に受け入れていただいて嬉しかったです。

―それが先に仰っていた皆の愛情であり、一丸となっての熱さが結実したという。で、渦の中心で巻き込まれている自分は否応なく?

氷川 もう歌うことに徹しようと思って頑張りました。キャラクターも相談して、縦縞のストライプのスーツ着て、髪もストレートで、振りも付けて、曲のイメージに合わせて作ったんですよ。そしたら、それを真似してくれる方とか出てきたりして。

―キャラに自分という素材を染まらせてみようっていう思い切りですかね。それがまたギャップで親しみやすさを生んだ気もしますし。…まぁ最初はこちら側もツッコミ入ってたと思いますけどね、「なんでこの人がこんなやねん!?」って。

氷川 まぁそうなんだと思いますよね。

―「ビジュアルもスリムでイケメンだし、他でいけるやん!」と。そこで過去のイメージを覆(くつがえ)して、氷川きよしというオンリーワンになりましたよね。

氷川 いやいや、とんでもないです。でもほんといろんな格好してやってきました。もっと演歌歌手らしく、重厚な感じの方向にいかなければいけないのかなと思うとすごくプレッシャーを感じたりはありましたし。

―自分に合った個性で自由に遊べるのがよかったんでしょうけど。そのイメージを保つこともですし、そこから脱皮して歳とともに次々変化するのもしんどいでしょうね。

氷川 そうなんですよね。周りの期待に応えなければいけないっていう気持ちもすごくありましたから。

―でも、どんどんそういうプレッシャーが積み重なっていくワケで。普通の人間でも周りにどう見られているかとか葛藤するのに、ちょっと想像つかないですね…氷川さんの立場で「自分ってなんだろう?」っていう苦悩は。

氷川 求められる人にならないといけないと、頭ではわかっているんですけど、どうしてもやっぱり年齢とともに自分っていうものを出したくなるっていうか。年相応の自分を自分らしく表現していけたらいいなと思いますけど。

20代ってそういう葛藤の中でも、おかげさまでファンの皆様に支えていただいて、順調に来れたと思うので本当に感謝してます。悩みながら自分っていうものを見つけられたのかなって。勉強させていただいた20代でしたね。

「(ストレス解消は)今もお酒ですよ(笑)」

―若くしてデビュー時からもう人気が出て、トントン拍子でこられたがゆえの苦悩もあるでしょうしね。スポーツ選手や他の世界でも、いつの時代も人気商売を生業(なりわい)とする者の業(ごう)というか。

氷川 歌手として、好きな歌を歌わせていただいていること自体、幸せなことなので。悩みというほどのことではないのですが、本当にその部分が一番苦しかったですよね。だから全部、年相応であればいいんだと思ったし、やっぱり年齢重ねていかないとわかんないことっていろいろありますね。

―年とともに楽になれるかどうか、会社勤めでも逆にどんどんしんどくなることも多いですけど(苦笑)。そういえば以前、『笑っていいとも!』の「テレフォンショッキング」に出られた時の発言で結構、反響を呼んだのがありましたよね?

氷川 心配性っていうことですよね(笑)。

―地方の公演に久しぶりに行くと、お客さんが入ってなかったらどうしようとか不安になるみたいな…。

氷川 それは僕としても大げさに言ったつもりだったんですけど(笑)、すごいネガティブな氷川きよしみたいになってしまって、びっくりしました。

―言葉尻だけ捉えられた感じですか。

氷川 僕が笑いながら言えばよかったんですけど、結構深刻に言っちゃったから…やっぱりニュアンスでそうやって捉えられることもあるんだなと思って。それも勉強になりました。やっぱり人間だから、今後どうなっていくかなとか…そういう苦しみや悩みもあって戦っていく中で、いろんなものが生まれてくるのかなと思いますけど。

僕はどちらかというと基本、ポジティブにしようと思ってやっているので、だから努力して、いろんなものを吸収して勉強して、新しい自分を表現していかなきゃとか思いますし。歌手として一番大事なのはやっぱりファンの皆様に喜んでいただくことなので、そこをやっぱりすごくいつも気にしてます。

―よく言われるように、役者さんでも歌手でも自分の人生の喜怒哀楽が糧(かて)になって、それが醸(かも)し出されるものでしょうけど。

氷川 そうですね、無駄はないですね。

―そういう計り知れないプレッシャーがある中で、ストレス解消はやっぱりお酒だったりした時期もあります?

氷川 今もお酒ですよ(笑)。あっ、でも20代の頃のほうが飲んでましたね。でも、スタッフや仲間とワイワイ楽しいお酒です。

―お酒は基本的に好きなんですね。

氷川 CMやらせていただいたのもあって、日本酒もハマって結構飲んでました。今はなんでも飲みますね。

次回ゲストは“演歌界のアニキ”に…

―彦摩呂さんの会でも、皆さん好き勝手にお店にあるようなガラス張りの専用冷蔵ケースからお酒取り出してくみたいな話が出たんですけど。本人は「ひとりで居る時は飲まないですよ」って。実は僕もそのタイプなんですが。

氷川 みんなで飲むほうが楽しいですよね。お酒進まないですよ、ひとりだったら。

―それで苦しい酒になっちゃってもね。どんどん内に入り込んでいくような。

氷川 ちょっと寂しいですよね。でも、仕事が終わってスタッフの皆さんと飲むと、大体、仕事の話になりますよね。

―それはそれで熱く語り合って何かが生まれたりするのもありますけどね。仕事がらみでエスカレートすると面倒になりがちな(苦笑)。

氷川 やっぱりそれも仕事に対してみんな情熱的だからっていうのはあるんですけど。仕事が終わってお疲れさまのお酒が、結局、仕事になっていたりします(笑)。

―やだねったらやだね、みたいな(笑)。すいません! お約束すぎで…。

氷川 (笑)。でも緊張がほぐれるので、お酒っていいですよね、本当に。

―ははは、ですよね(笑)。では、そろそろお時間も厳しいようなので、お友達をご紹介願えればと。

氷川 山川(豊)さんでお願いします。事務所の大先輩で、昨日もちょっと電話して、もういつも大変お世話になっているんです。デビュー当時のまだCDが出てすぐの頃からよくしてもらって。新宿コマ劇場のゲストに出させてもらったり。あと、ご自宅にお邪魔して食事をいただいたり、何かといつも相談したりするんですよ。

―それもほんと兄貴分な感じで。

氷川 そうですね。なんかこう、本当に人柄がいい方で。普段から身近に接してるんで、僕の中で本当にいい演歌界の先輩だなって、すごく好きです。

―なんかそれも男気の世界ですね~(笑)。初対面だと強面(こわもて)に感じて緊張しますけど…。

氷川 山川さんは優しいですから。ご家庭でも本当にすばらしいお父さんで。お子さんも何度か会ってますけど、いい育てられ方されて。奥様も本当に綺麗なんです。家庭という責任を持たれながら歌手の仕事もされて。今年が35周年で、本当にいろいろ乗り越えてずっと歌ってこられたんだなと思うと、ほんとにすごいなって…。

―そこまでリスペクトされてるんですね。最初に彦摩呂さんのメッセージで目が潤(うる)んでたのが、ちょっとまた…。

氷川 そうですね…本当にお母さん思いだし。この間、番組で共演させてもらった時も涙が出てきて。お母さんにすごい可愛いがられたんだなって、そういう思いが伝わってきました。

「大好きです!」って伝えてください。これからもついていきますんで、いつまでも弟として可愛がってあげてください、「アイ・ラブ・ゆ・た・か!」って(笑)。

―それを聞いて、山川さんも涙が出てきそうな(笑)。了解しました。伝えさせていただきます!

(撮影/塔下智士)

⇒語っていいとも! 第29回ゲスト・山川豊「五木ひろしさんをTVで観た時に、まだ子供ですから衝撃でね」

●氷川きよし9月6日生まれ、福岡県出身。2000年『箱根八里の半次郎』でデビュー。その若さとルックスで女性ファンを中心に多くの人を魅了、NHK紅白歌合戦にも初出場するなど華々しいデビューとなった。また日本レコード大賞、日本有線大賞などの新人賞も獲得。その後も『きよしのズンドコ節』など数々のヒット曲に恵まれ、“演歌界のプリンス”とも呼ばれるように。現在、今年発売された『みれん心』が20万枚を突破し好評発売中。また、2017年6月2日~30日には明治座で特別公演が行なわれる。