「半径5メートル以内の日常生活」をテーマに面白歌を多く歌うブリーフ&トランクス。右は伊藤、左が細根

メジャーでの活動期間は1998年から2000年のわずか2年半。それも露出はTVではなく、ほとんどがラジオでインストライブ以外のライブも行なっていない。それにも関わらず、デビュー当時から話題を呼び、解散後もじわじわとファンを増やしているデュオがいる。

それが、伊藤多賀之(たかゆき)細根誠からなる「ブリーフ&トランクス」だ。

『さなだ虫』でメジャーデビューし、『青のり』、『コンビニ』、『ペチャパイ』、『石焼イモ』などシングルをリリース。曲名に違わず多くの曲の歌詞はふざけたものや軽い下ネタと、とにかく日常の風景やモノをテーマにしたものばかり。そんな歌詞でも温もりのある美しいハーモニーというギャップから中高生をメインに人気を博した。

そんな彼らが今年、16年の年月を経て、まさかの再メジャーデビュー。そこで、結成のきっかけから今回の復活までを振り返ってもらった。

―再メジャーデビューおめでとうございます。活動がわずかだったため一部の世代以外、知らない読者も多いので、まずどんなグループなのか教えてください。

伊藤 ブリトラは、「半径5メートル以内の日常生活」をテーマに、その些細(ささい)な中のことをいかに真剣に綺麗に壮大にハモるかっていう趣旨でやってますね。ただ、かっこつけたことはやらないようにしています。

細根 2割くらいはあるんですよ、ラブソングだったり真面目な曲も。でもそれは箸(はし)休め的な感じですね。あくまで、かっこよくはない。

―失礼ですが、確かに代表曲は本当に馬鹿馬鹿しい歌詞ばかりですよね。青のりが歯に付いた女のコだったり、石焼きイモをまるで初恋のコのように詩的に歌ったり…。

伊藤 でも「どんなにふざけても曲に対してのメッセージは込めよう」というのは大切にしてますね。例えば『ペチャパイ』という曲なら、ペチャパイの人をただイジっているんではなく、胸がちっちゃい分、大きな夢を詰める余裕があるんだよ、あとみんなより早く走れるとか。匍匐(ほふく)前進できるでしょとかメリットを挙げて、ペチャパイの人に対する前向きな応援歌だったりする。

細根 表面だけ聞いてると酷(ひど)い歌が多いけど、真面目に聞いてもらえるとしっかり歌っているんだっていうのがブリトラであってほしいって思ってますね。

伊藤 僕らにとっては全部大切で、振り幅ですよね。ジャンルを広くしたい、馬鹿馬鹿しい曲から真面目な曲まで歌いたいっていう。だからどっちが大事ってわけではない。真面目な感じから入ってアホっぽい曲もあり、その中の歌詞にもちょっといいこと書いてあったりとか。両方混ざり合って、お互い効果的に活きるようにしています。全部がブリーフ&トランクス。

『ペチャパイ』リリースで友人が減る悲劇

―アホっぽいイメージが強いですが、真面目な部分も内側に秘めているということですね。

伊藤 ただ世間の目って厳しいっていうか、表面でしか聴かないじゃないですか。ペチャパイとか連呼してると女のコから嫌われるんですよね。実際、『ペチャパイ』をリリースしてから女友達が半分くらい減ったんですよ。ご飯誘っても誰もきてくれなくなっちゃって。あとは『青のり』出した時も減りましたね。ご飯食べに行ったら細かいところをすごく見られそうって。ずっとみんな誰も電話出なくなっちゃって悲惨だった。

細根 そうなんだ。

伊藤 ずるいんですよ、細根は。爽やかにいいとこ取りで。僕なんか曲の9割を作ってるのに、ファンの9割は細根ファンだったんですよ。今は半々くらいで違うんですけど、昔はみんな細根だった(笑)。

細根 知らないよ、そんなの(笑)。僕のせいじゃないからね。

―(笑)。93年の結成から20年以上経つわけですが、そもそも組んだきっかけは?

伊藤 高校入学した時に同じクラスだったんですね。その時からサイモン&ガーファンクルっていうアメリカのユニットが好きで、廊下で歌ってたら細根が「俺にもハモらせてくれよ」って近づいてきて、下のパートを教えたのがきっかけです。

細根 入学したばっかでまだ友達もいなくて、友達を作りたくて話しかけたんですよね。元々、ギターも弾けて、音楽自体好きだったし。

伊藤 ハモって成立するものなので、僕も嬉しかったんですよ。それから細根にギターを教えてもらったら2ヵ月くらいで僕のほうが上手くなっちゃったんですよ。それで2ヵ月後くらいに学園祭があったから披露することになったんですよね。

細根 それが1年の時なんですけど、3年の体育祭でお互い団長をやるくらい、ふたりとも目立ちたがり屋だったんですよ。その時にユニット名も決めたんだよね。

伊藤 そうなんです。サイモン&ガーファンクルが好きだから、「&」を使うことは決めてたけど、ラーメン&チャーハンとかなんでもよくて、なんとなくブリーフ&トランクスってなった時に字の数や語呂がいいなって。学園祭には僕がブリーフ被って細根がトランクスを被って真剣にサイモン&ガーファンクルをやってました。

―その時からシュールだったんですね。

細根 みんな知らないからポカーンとしてましたけどね。そもそも世代が違うから(笑)。

伊藤 完全に僕たちが楽しんでる感じでした、自己満足ですね。ただ、英語の先生にだけは発音で褒(ほ)められて。しかもその先生、曲を好きだったみたいで。だから英語の成績が上がった。先生方には人気がありました。

細根 最後の3年の学園祭は盛り上がったよね。

伊藤 その時に初めて、僕が『小フーガハゲ短調』っていうオリジナル曲を書いて演奏したんですよ。元々、クラシックも好きなので、バッハの「小フーガト短調」のメロディにハゲについての歌詞を乗せた曲で。

細根 アルバムにも入れたよね、それは。

伊藤 作った当時、世の中はラブソングがすごい多かったんですね。人と同じことをやるのが好きではなくて、天の邪鬼(あまのじゃく)だったので違う歌を歌おうって思って、それは今でもやっています。

ウケ狙いではないんですよ

―真面目ではなく、当初から面白い方向にってことで。

伊藤 実際、ウケ狙いではないんですよ。ブリトラで勘違いされるところで、ウケ狙い、コミックソングって思われがちですけど、僕らとしては笑ってくれなくてもいいんですよ。歌いたい曲を歌ってるだけで、それで笑ってくれたらその曲に共感してくれてるんだなって僕らは捉えていて、これ笑ってくれって思って歌っていない。

―それは最初の曲からブレてないんですね(笑)。

細根 それが95年だから20年ブレてないですね、ブレたら売れたのかも(笑)。

伊藤 でも、その時もらった拍手がすごかったんですね。それが忘れられなくて音楽の道に行きたいって。なんか単純なことですけど、実際そんなもんですよね。

―デビュー自体は98年、高校卒業して2年後ですが、それまでは何を?

伊藤 卒業して解散したんですけど、僕は浪人してたんですよ。でも浪人中にやっぱ大学は行かず音楽をやってたいなって思って、デモテープを作ってそれを10社くらいに送ったんですね、ダメ元で。そしたら5社から電話きたんですよ。

―すごいじゃないですか!

伊藤 そうなんです! だから自信持っちゃって、俺いけるかもしれないって。デビューの確約も何もないまま上京して、2年くらいバイトしながらライブハウスに出たりしてました。

細根 僕は大学に行ってたんですけど、サークルも何も入っていなくて、暇だったんですよね。そしたら、またブリトラをやろうって伊藤に誘われたんですけど、面白いしやろうかなって。

―伊藤さんはプロを目指していたわけですけど、同じ気持ちで始めたわけでは?

細根 僕はホント、サークルみたいなノリ。お手伝いって感じ。

伊藤 その時の温度差はすごかったですね。細根にはデビューしたいとは言ってなかったんですよ。でも僕は音楽で食って行きたいって思ってたからがむしゃらにやってたんですけど、細根は大学も入ってて人生の道、保険があるじゃないですか。だから細根は結構適当にやってましたよ(笑)。

細根 そんなことないから(笑)。

伊藤 そうだった?(笑) でも、僕たちって恵まれてて、アマチュアの時からお客さん多かったんですよ。物珍しさで集まってくれたと思うんですけど。客が3人、4人とかっていう、よくある経験がなくて、始めた時から100人、200人とか来てくれてたんです。それで98年にデビューが決まったんですよ。あっ、細根もデビューしてから本気になってくれました(笑)。

悲しいブルマの思い出

―さすがに、それはそうですよね(笑)。

伊藤 でも決まってからが地獄でした。メジャーな世界って大変なんだって。アマチュアって好きな時に好きな曲作ればいいじゃないですか。でもメジャーだと曲のリリースが決まっているからどんどん作らなければならない。それで一番初めに1日10曲作れって言われたんですよ。

細根 1ヵ月に300曲作って、そのうちの290曲がボツですからね。

―どうやって、そんな捻(ひね)り出したんですか?

伊藤 もう全然出てこないんですよ。だから、何日か前に出したデモテープと似た感じの曲を出したりとかズルしてました(笑)。

細根 そしたらその時ダメだったのに、次出してみたら「これいいじゃん」ってなったりね。

伊藤 ホント、身近なもの、目につくものを全部歌った感じ。僕、思い出好きなんですね。休日とかは卒業アルバム見て泣いてたりするんですけど。

―えっ、もうすぐ40歳で? すごいピュアですね。

伊藤 アルバム開くと自分がその時にタイムスリップできるじゃないですか、その時あったこととか。例えば『ブルマン』って曲があるんですけど、当時ブルマンっていうあだ名の女のコがいて、なんでブルマンか?って

細根 あ~、あるね(笑)。

伊藤 体操着着た時に胸の下までブルマをあげてるコで体操着とブルマが1:1だったんですよ。それで僕がブルマンってあだ名つけたんですね。そのコの写真見てそれを思い出して、じゃあ今度『ブルマン』って曲作ろうって。

あとは、例えば片栗粉とか。片栗粉って、揉むとキュッキュってして気持ちよくて、「あ、この感覚を歌にしよう」って思ったり。日常全てが僕にとっては題材。卒業アルバムは最近、卒業しましたけどね。

―細根さんも曲を作っていたんですか?

細根 作れないながらちょっとだけやっていました。その時、ふたりで一緒に住んでいたんですけど、隣でウンウン言っている時にずっと見ているわけにもいかず。さすがにそんな精神強くないんで(笑)。

*** 高校卒業から大学進学を機に解散したものの再結成&メジャーデビューが決まったブリトラ。しかし、伊藤が難病指定されているクローン病を患い、再び解散することに…。後編ではデビューの苦悩と再結成&再メジャーデビューまでを振り返る!

ブリーフ&トランクス1995年、高校生だった伊藤多賀之と細根誠が結成したフォークデュオ。98年に『青のり』でメジャーデビューするも2000年に解散。伊藤はソロ活動、細根は花屋の道に。12年に再結成し、今年『ブリトラ依存症』で再メジャーデビュー。4月に行なわれた~メジャー復帰アルバム発売記念スペシャル~「ブリトラ超大復活祭2016」のDVDが発売中。詳しくは公式HPをチェック http://www.briefandtrunks.com/

(取材・文/鯨井隆正 撮影/五十嵐和博)