数々の国民的キャラクターの声を演じてきた声優界のレジェンド・古谷徹さん 数々の国民的キャラクターの声を演じてきた声優界のレジェンド・古谷徹さん

『巨人の星』の星飛雄馬、『機動戦士ガンダム』アムロ・レイ、『ドラゴンボール』のヤムチャ、『聖闘士星矢』のペガサス星矢等々…。

数々の代表作で誰もが知るキャラクターを演じ、その声を聞いてピンとこない者はいないであろう声優・古谷徹さん。

そんな、声優界のレジェンドである古谷さんがデビュー50周年を迎えた今年、奇しくも『週刊プレイボーイ』も創刊50週年を迎えた。

そこで、運命を感じずにはいられない、その歳月の歩みを共に振り返るべくインタビューを敢行! 幼い頃に児童劇団の子役としてスタートし、プロフェッショナルの道を歩んできた古谷さんにその半生を語ってもらった。

―このたびはデビュー50周年おめでとうございます! というわけで、まず古谷さんはどういった経緯で声優になられたのでしょうか?

古谷 ありがとうございます。最初は5歳で名もない児童劇団に入りました。そして7歳くらいで「児童劇団ひまわり」に移籍しました。それからずっと子役を演じてきて、10歳くらいで初めて洋画の吹き替えを演じました。そして12歳の時、当時の東映動画(現在の東映アニメーション)が制作した『海賊王子』というモノクロアニメーションのTVシリーズで声優デビューというか、“アニメデビュー”しまして。さらに2年後、中学3年生になる年に『巨人の星』を。幸運にも声優デビューから2作連続で、立て続けに主人公を演じさせていただきました。

―すごい! トントン拍子ですね。ちなみに、当時の声優業界はどんな様子でしたか?

古谷 ほとんどの方が劇団の役者さんでしたね。規模の大小はありましたが、なかなか舞台のお芝居だけでは食べていけない。そういう役者さんたちが生活の糧(かて)として洋画の吹き替えやアニメの声優という仕事をしていたわけです。

あとは、僕らみたいな児童劇団に入っていた子役たちも多かったです。当時、洋画の吹き替えの子供の役は子役が演じるというのがほとんどでした。ただ、アニメーションの場合は主人公を子供が演じるのはなかなか難しいため、女優さんが声を作って主人公をやっていたことも。思い返せばそんな状況でしたね。

―そんな業界の中でキャリアを積んでいったわけですが、声優人生の中でターニングポイントになった作品を教えてください。

古谷 やはり『巨人の星』の主人公・星飛雄馬ですね。元々、演じる前から大ファンだったんですよ、僕。『少年マガジン』で連載中の人気作品でしたから、“この作品をヒットさせないといけない”という思いが自分の中にあって…。毎週連載を読んでは泣いていましたからね(笑)。すごく嬉しかったけど、プレッシャーでもありました。もし星飛馬のイメージが崩れたらどうしようと。

そして、実際に番組が始まって中学3年生から高校3年生まで3年半の間、演じていましたが、おかげさまで大ヒット。あれは嬉しかったですね。

でも、大学受験のために『巨人の星』の終わりとともに児童劇団も辞めて大学時代はどこにも所属せず、年に数本のご指名をいただいたお仕事だけをやっていました。それまでは親が手習いさせるような感じで児童劇団に入れて芝居をさせていただけだったので、大学時代に“一生の仕事として何をしようかな”というのを考えたかったんです。

アムロをやり遂げることができたら自信になる

―なるほど。ほとんど声優業から離れた時期があったんですね。では、なぜ『巨人の星』がターニングポイントと言えるのですか?

古谷 大学生でしたから、企業からの就職案内や叔父の仕事の関係で公務員の道も一応考えて…。当時、特に第一次オイルショックの時でトイレットペーパーがなくなったりしていた時代でした。懐かしいな(笑)。そんな時代ということもあって、一番人気の職業が公務員だったんですよ。やっぱり安定というのは大きな魅力で。

でも結局、『巨人の星』を通じて得た芝居の難しさとか、上手にできた時の達成感が忘れられなかったんです。当時の僕には、大きなひとつの勲章みたいなものだったわけですよ。ファンレターをいただいたり、いろいろな取材を受けたり、サイン会などもありましたしね。

だから、周りは“芸能界なんてとんでもない”という雰囲気でしたから悩みましたけど、やはりお芝居の魅力、そして『巨人の星』で味わった達成感の魅力には勝てませんでしたね。

―そして再び、声優の道を志すわけですね! 業界にはどうやってカムバックしたんですか?

古谷 大学3年生の時、『巨人の星』で知り合ったマネジャーのつてで「俳協」というプロダクションに入れていただいたんです。それで再び、声優というか“俳優”の道を目指したんです。「俳協」を選んだ理由は、声のお仕事だけではなく、役者としての方向性も考えていたから。だからその後は、お昼のメロドラマに出たり、舞台のお仕事をやったりして。その中で、『鋼鉄ジーグ』や『グロイザーX』というロボットアニメの主人公のお話など、少しずつアニメが増えていったという感じです。

―そしていよいよ、あの作品とも出会うわけです!

古谷 はい、次のターニングポイントである『機動戦士ガンダム』です。大学卒業して3年目の25歳くらいにオーディションを受けて、主人公のアムロ・レイをやることになりました。それまで僕はずっと熱血ヒーロー役ばかりだったので、自分の中にはジレンマがあった。違う作品やキャラクターなのに「やってやるぜ!」みたいに熱いセリフを言うと星飛雄馬になってしまうんです。いつも「また飛雄馬になっている…」という思いがあって。なんとかしなくてはプロでやっていけないと思っていました。

そんな時に出会ったのが“戦いたくない主人公”のアムロ・レイ。すごくナイーブな少年である、このアムロをやり遂げることができたら自信にもなるし、業界の周りの人たちも認めてくれるかと思って、かなり頑張りました。

 

シリーズの中で一番好きなアムロ・レイは?

―「ガンダム」は再放送で注目が集まったと聞きますが、古谷さんの感触としては当時いかがでしたか?

古谷 初回のTVシリーズをやっている時の後半になりますけど、アフレコスタジオに出待ちの大学生たちが集まるようになって、数十人の人だかりができるようになったんです。「どうなっているんだ?」と思っていたら、ある時、「全国ガンダムファンクラブ連合の会長です」と言って名刺を出されて。「えっ!そんなのあるんだ」という(笑)。ガンダムファンクラブ? 連合?とか聞いたら100くらいはありますよと言われて。この作品は随分人気があるんだなという感じでしたね。

だから、実は初回放送時から手応えはあったんですよ。視聴率に結びついてなかっただけで。今でいうオタクの人たちがハマっていたというのか。結果的には視聴率がよくなかったので途中で打ち切りというのが決まり、全52話のはずが43話で終わりましたけど。

こんなに一部の人たちには人気なのに、なぜだろうと思っていましたが、翌年には映画の話が立ち上がったんです。きっと投書とかいろいろ制作サイドのほうにいったんでしょう。そして続編も制作されて、もうそこから37年ですからね。

―ガンダムシリーズの中で一番好きなアムロ・レイは?

古谷 僕は断然、劇場版『逆襲のシャア』で29歳のアムロですね! それまではやっぱりシャアのほうがカッコいいじゃないですか(笑)。確かにタイトルは『逆襲のシャア』で、向こうが主人公ですけど、この話ではアムロのほうがカッコいい。見た目も精神的にも大人になって、しかもチェーン・アギというカワイイ彼女までいるし、なんたって「νガンダム」がカッコいいから。

―ではアムロ・レイが古谷さんご自身とオーバーラップするところはありますか?

古谷 アムロは潔癖症で、とても正義感が強いじゃないですか。シャアとアムロって目指すところは同じだけど、その方法論が違う。シャアは手段を選ばず“人類の革新”を目指すわけですけど、アムロの場合は優しいから犠牲は出したくないと思っているわけです。そういう部分では僕もアムロ派。どっちかというとクールよりホットな感じなので!

●続編⇒『声優デビュー50周年の古谷徹が若さの秘訣を語る「『きまぐれオレンジロード』の春日恭介役が一番好きで…」』

(取材・文/三宅隆 撮影/下城英悟)

■古谷徹(ふるや・とおる) 1953年7月31日生まれ 神奈川県出身 ○1966年に『海賊王子』の主人公キッド役でアニメーションの声優デビュー。以来、『巨人の星』の星飛雄馬、『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイ、『ドラゴンボール』のヤムチャ、『聖闘士星矢』の星矢、『名探偵コナン』の安室透、『ONE PIECE』のサボなど国民的キャラクターの声を数々務めた日本を代表する声優。また、『カーグラフィックTV』を初め、『クローズアップ現代+』などナレーションの分野においても活躍。今年、声優デビュー50周年を迎えたことを記念し、全国47都道府県を巡る無条件(無料)の『サイン会ツアー』実施中。最新情報は公式ホームページhttp://www.torushome.com/、公式Twitter【@torushome】でチェック!