あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
第43回のゲストで芸人の三瓶さんからご紹介いただいたのは芸人のレイザーラモンHGさん。
大学では学生プロレスに没頭し、その一方で相方の出渕誠(レイザーラモンRG)と出会い、お笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。ハードゲイキャラを押し出し、05年には大ブレイク。プロレス興行のハッスルでプロレスラーとしても活躍するなど一世風靡した。
だが、09年にそのハッスルの興行で左足かかとを粉砕骨折し、約8ヵ月も芸能活動を自粛。翌年に復帰するが、現在はよしもとの劇場やTVで再ブレイクを期する日々。この日も新宿「ルミネtheよしもと」での公演の合間に楽屋裏で話を伺ったーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
HG この前、週プレさんのグラビアにうちの奥さん(住谷杏奈)が出させていただいて。ありがとうございます!
―早速、その話題をご自分から(笑)。いきなり袋とじグラビアで出ていただいてね。どうだったんですか、ご主人としては。
HG いや、まあ…笑っちゃいましたね。いい感じで撮っていただいて、その完成度が高ければ高いほど面白いというか。
―事前には喜んで送り出した感じなんですか。
HG そうですね。体も絞って仕上げないといけないということでアドバイスもしたりとか。それに向けて短い期間ですけども調整してたんで。もう「頑張って行ってこい」って感じで。
―実際に撮影が終わって、何か感想は仰ってました?
HG 本当にめちゃくちゃちやほやしていただいたって。なんかもう、お姫様気分だったって感じのことは言ってましたね、はい。結婚する前、自分ではほんとZ級のグラビアアイドルだったとか言って、当時はいい扱いされなかったみたいなんで。
それで、ひと花咲かせることができなかった思いもあったので非常に嬉しかったみたいです。あの週プレさんで袋に閉じていただいて(笑)。そりゃもうグラビアのMAXというか、1コの山登ったくらいだと思いますけど。でも、なんですかね、そもそもきっかけというか…。
―いや、逆にそれを聞きたいくらいで(笑)。奥さんから逆オファーしたという話をインタビューではされてましたけど。
HG いや、その…(笑)。それを受けてくださった経緯というか。なんなんでしょうね?
―それはやっぱり、HGさんの奥さんっていう肩書きは大きいんじゃないかと。
HG あー、なるほど。確かに(笑)。そこはレイザーラモンHGの奥さんがみたいな、名前を載せていただいてね。ハードゲイの嫁がってことですもんね。
―正直、イロモノ的な好奇心そそらせるっていうのはね。それもHGさんのこれまで培った知名度のおかげなので。感謝されていいのではと(笑)。
HG いや、積み重ねとかじゃないですけど…まぁその名前の力というか。そういう意味では確かにキャッチーなものではあったのかと。
―その嫁として、名に恥じないグラビアになって満足できたかどうか…。
HG そうですね。すごい量の写真撮っていただいて、奥さんが家でチェックしてるのを僕も一緒にやったんです。「これどう?」って言うのを「この表情いいんじゃない?」とか参加させていただいて。まぁ選んだだけなんですけど(笑)。
「その旦那やぞっていう優越感ですかね」
―そんなセレクトにまで関わってたんですね。じゃあ、監修HGくらいな。自分ではどういう基準というか目線で?
HG うーん、なんか生々しさとか…ちょっとこう、振り向いた感じの腋のシワとか…奥さんがバツにするところを「これ逆にいいんじゃない?」ってアドバイスはしましたね。
―ちゃんと男目線のエロをシビアに反映させたと(笑)。
HG やっぱり、せっかくだったらね。で、「恥ずかしくないの?」とか「イヤじゃなかった?」とか、僕もよく聞かれたんですけど。いいものを撮っていただいて、世間というかネットの反応なんか見ても「超エロいな」とか「おかずにさせてもらいまーす」とかあるんで。それはしめしめというか、その旦那やぞっていう優越感ですかね。
―(笑)そんなエゴサーチ的なことまでやったんですね。
HG そうですね、やっぱり気になったんで。その辺は検索して。
―逆にディスってるような書き込みでムカついたり傷ついたりは…。
HG ああ…でもそれはまぁ慣れてるというか。自分の時でもう、ハードゲイの批判ったらなかったんで。そこは僕、かなり打たれ強いですね、はい。賛否両論どころじゃなく、苦情がすごかったので、当時。ハードゲイという禁断の武器を持ってたわけですから、ちょっとした批判とか誹謗中傷は気にならないです。
―心臓強くなりますね、ハートが。一気に世に出るっていうのはそういうことなんだと。
HG はい。逆に、99の批判でも1の褒(ほ)め言葉が響くというか、よりありがたく感じるんですよ。そういう意味でも、今回の奥さんのグラビアでは賛のほうが全然多かった。
―ご自分の出始めはもっと世間の反響とか批判に晒(さら)されてね。
HG そうですね。今はもうオネエの方とかゲイの方とかが世間的地位を得て頑張ってはりますけど、やっぱ僕が出だした当時、まだ曖昧(あいまい)というかグレーなところもあったんで。僕はストレートのノンケの男で、ビジネスでハードゲイやってるってスタンスなんで、そこはちゃんとしとかなっていうのはあったんで、もちろん勉強しにも行きましたし(新宿)二丁目に挨拶もして。
―聖地にわざわざ(笑)。そこに道理通しておけばと?
HG まずは僕、大阪だったんで、そこの二丁目的な場所があるんですよ。その重鎮と呼ばれる方を紹介してもらって、ちゃんと挨拶して。で、東京に来て、やっぱり二丁目にもってことで、そういう偉い人に挨拶しに行ってみたいな。
芸能界でいうと、おすピーさんがいて、仕事一緒になったんで挨拶しに行くとか。で、一応、了解も得まして。その辺の礼儀は通してきたつもりなんですけど。
―そういうところが真面目ですよね。
HG はい。相方は結構思いついたらやるタイプなんですけど、僕は逆で、自分の中でいろいろ整理して構築してから出すみたいな。だからハードゲイも思いついたはいいけど、軽はずみにはできないなってことで。勉強して、知識を得てからネタを下ろしました。
「僕の筋肉で奥さんの大事なところを隠す?」
―そもそも、基本的に優等生できたわけで。高校は兵庫の加古川東という、めっちゃ進学校ですよね? そこから大学は同志社で。
HG はい…まぁエリートコースには乗ってたと思います。
―その経歴でお笑いにいって、しかも異色のハードゲイですからね。僕も今でも覚えてますけど、それこそ10年以上前に週プレ本誌に一番最初に出ていただいて。カラーのニュースグラビア1ページ、前グラってとこで紹介して。
HG なんかしてました?
―外の路上で「フォーー」のポーズをしてもらって…あっ、忘れてますね(笑)。
HG いやいやいや(笑)…忘れてないです(苦笑)。だいぶ早かったですよね? そういう意味では、よく奥さんもやってもらって。それも早いですよね。
―もう干支がひと回りくらい前にHGさんにはデビューしてもらってるわけですが。男で週プレ出るのはなかなかね。しかも、あのキャラで(笑)。
HG 素晴らしい決断です(笑)。ちょっとそういう意味では、次、夫婦グラビアやりたいですけどね。もう、撮るなら週プレさんって。
―売り込み早いですねぇ(笑)。完璧にそれを言うの決めてきたでしょう? 目がきらっとして(笑)。
HG いやいやいや、まぁやってくれるかなと(笑)。自分もプレゼンテーターとして、やっぱ今回を超えなきゃいけないわけなんで。彼女がハードガールということで、ダブルHGで何か超えるものを…はい。
―当然、より過激なアイデアがあると?
HG SMっぽいのどうですか。
―…ある意味、オーソドックスですね(笑)。
HG ベタですか(笑)。奥さんが女王様とかで、僕はやられてるっていう。
―まずはそのど真ん中なところを押さえつつ…。では担当に話しておきますので、打合せの時は別の驚きも用意してもらえればと。
HG もう奥さんが出すとこ出すしかないみたいになってるな(苦笑)。
―(とにかく明るい)安村さん的な感じ?(笑) お互いを何か微妙な隠し方するのとかはありでしょうかね。
HG いいですね! 僕の筋肉で奥さんの大事なところを隠すのはどうですかね? もちろん肉体も仕上げてきますので。
「『ハッスル』のデビュー戦は震えましたね」
―ははは、意外と本気ですね? …ところで、さっきのリアクションだと、本当に最初に自分が週プレ出た時も記憶がなさそうな。当時は忙殺されて、いちいち覚えてられないくらいな?
HG まぁ、それまで月1回の劇場出番とアルバイト生活だったのが急に華々しい芸能界に放り込まれて、本当に記憶は曖昧(あいまい)ですね。だから、今またTVとか出て、そのスタッフと初めてなのか、仕事してたのかもわかんないんで。初めてのテンションでいったら10年前会ってるじゃないって言われたりして、ああそうかって。
―記憶喪失状態みたいな(笑)。そんな怒濤の中で、自分の人気を自覚して達成感のようなものは?
HG 達成感…芸能界じゃないですけど、やっぱり『ハッスル』っていうプロレス団体のデビュー戦、横浜アリーナのメインで2万人の観衆の中、入場した時は震えましたね…。
―なるほど。学生プロレス経験者としては、こんな晴れ舞台でまさかやれるとは、と。
HG そこはちょっとMAXじゃないかと思いましたけどね。
―ミーハー的な意味でもね。確かに、僕なんかでもこういうインタビューを仕事でするようになって、高校の頃に部屋にポスターを貼ってた原田知世さんとお話しできた時とか感慨ありましたけど(笑)。
HG ああ、はいはいはい。そうですよね。いわゆる、業界で言うと(明石家)さんまさんに(ビート)たけしさんってことですよね。
―こんな人と目の前で自分が!というね。それこそタレントさんだと『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに出演できたとか…。
HG もちろん、テレフォンショッキングに出させてもらった時もテンション上がりましたけど、学生時代はプロレスラーになりたいという夢もあったので。それに比べるとね。
―では、プロレスで偉大な誰かに会ったとかでもなく?
HG そうですね。あと、レイザーラモンとして漫才コントとかの賞は一切もらってなかったんですけど、プロレスの新人賞をいただいた時は「あ、これが初めての賞なのか」って思いましたけどね。過去でいうと、まぁインリンさんと僕くらいですか、プロレスラー以外で賞にからんだのは。そこも光栄でしたね。
●続編⇒語っていいとも! 第43回ゲスト・レイザーラモンHG「奥さんは攻めますね…いや、何聞いてるんですか!?」
●レイザーラモンHG 1975年12月18日生まれ、兵庫県出身。大学時代、学生プロレスに没頭し、その繋がりで相方レイザーラモンRG(出渕誠)と出会い、お笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。卒業後、一般企業に就職するもお笑い芸人の道を諦めきれず僅か4ヵ月で退職、よしもと興業入り。02年からハードゲイキャラとしての活動を開始し、05年にブレイク。同年にはプロレス興行のハッスルに出場、プロレスラーとしても活躍する。翌年には元グラドルの住谷杏奈と結婚。09年にハッスルの興行で左足かかとを粉砕骨折、約8ヵ月も芸能活動を自粛。10年に復帰し、現在はよしもとの劇場やTVで活躍中。2017年4月には写真集「OVERDRESS」を発売。
(撮影/塔下智士)