『すすめ!!パイレーツ』『ストップ!!ひばりくん!』の江口寿史先生と『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』『フードファイタータベル』のうすた京介先生による世代を超えた異色のトークショーが、9月22日に東京・森アーツセンターギャラリーで開かれた。
現在、森アーツセンターギャラリーでは「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.1 創刊~1980年代、伝説のはじまり」を開催中。今回、第1弾となった『北斗の拳』原哲夫先生×『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦先生に続く、メモリアルな対談となった。
1977年デビューの江口氏に1991年デビューといううすた氏と、世代の違いはあれど、ギャグ漫画家として第一線で活躍し、それまでの少年ジャンプになかった絵柄とテイストで鮮烈な影響を与えてきたふたり。今、明かされる執筆中の裏話やデビュー当時の思い出とは…。
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江口寿史(以下、江口) 僕はデビューが1977年なんですけど、当時、『少年ジャンプ』の読者ではなかったんですよ。ちばてつや先生の漫画が大好きで、『少年マガジン』を読んでました。なぜ『少年ジャンプ』に応募したのかというと、『少年ジャンプ』で毎年のようにびっくりするくらい面白い新人が出ていたんです。諸星大二郎先生や小林よしのり先生、秋本治先生とか。それで、新人賞に出すならジャンプで勝負しようかなって。
うすた京介(以下、うすた) どうしてギャグ漫画家に決めたんですか?
江口 僕の絵はそもそもストーリー漫画向きなんですよね。憧れていたのもちばてつや先生だったし。ただ、自分にはストーリーは作れないなぁと思っていたんですよ。出だしとか、どうしていいのわからない。
あと、教室とか複雑な背景を描きたくないんだよね(笑) その頃、ちょうど山上たつひこ先生の『がきデカ』が出てきたんです。山上先生の作風がストーリー漫画の絵でもギャグだった。で、俺にも道が切り拓かれたような気がしたんです。ギャグなら描けるかもしれないって。
うすた 江口さんのデビューの頃って、僕はまだ3歳くらいだったんですけど、ジャンプはちょうど黄金期ですよね。
江口 そう、ちょうど盛り上がり始めの頃で、漫画家も編集者もこれからやるぞ!っていう気概がすごかった。編集者同士でも敵みたいな。当時20歳の僕から見ると、みんな怖いんですよ。原稿はペンと墨汁で描かないと怒られた。マジックでベタをぬったりすると「ナメてんのか」って言われて。あと、僕は原稿が遅くて、集英社に泊まりこんで描いてたんですよね。2年くらい住みついてたかな。住みついてる時って、狭い執筆室っていうところに籠もって描くんですけど、新人が来ると明け渡さないといけない伝統があったんですよ。
僕の後にゆでちゃん(ゆでたまご)が出てきて、ゆでちゃんの絵を描くほう(中井義則)が大変そうでね。周りから「江口くんは先輩だから、部屋を譲りなさい」と言われて、自分の家で描くようになったんです。パイレーツを描いてた頃の話ですね。うすたくんは描くの早いの?
うすた 僕も遅いですよ。さすがに編集部に住んだことはないですけど。でも1回、缶詰はしましたね。編集部の近くに缶詰用の汚いビジネスホテルがあったんですよ。今はなくなっちゃったけど。
江口 あそこさ、幽霊がいるって言われてたよね。風呂で「カコーンッ」て音がしたとかさ。階段の踊り場に何かがいる、とかウワサがあったりさ。
うすた 僕の時も、夜中の3時くらいに電話が一度だけ「リン!」って鳴ったんです。怖くて、結局1ページもネームを描けないまま帰りました(笑)。
江口 なんか怖いんだよね、あそこ。かえって描けなくなる。缶詰じゃないほうができるんだよ。
うすた 家に帰ると、のんびりしちゃうんですけどね。
江口 家で描くようになってからは、編集が3人で取り立てにきたり、編集長が家まで来たこともありましたね。
うすた 江口さんはよく締め切り守らなかったですね。そんな怖い状況で。
江口 怖さとか恐怖で脅されて描けるものでもないじゃない、ギャグって。自分が一番、神なんで(笑)。表面上は「頑張ります」って言ってるけど、内心では、できるわけないだろ、って思ってる。
江口先生のおかげで「休んでもいいんだって…」
うすた 担当者からしつこく電話がかかってきたりすると、逆にそこまでする権利はあるのかよ、とか思っちゃいますよね。
江口 パイレーツはほぼ1日で描いてたんですよ。後の6日は何やってたんだって感じですけど(笑)。1コマ目から原稿に直で下書きして、次に扉絵を描いてテンション上げて、中身はなんにも描いてないまま、いきなり一発目のギャグにいく。でさ、追い込まれてくると、ふっと超人的なパワーが降りてくることがあるんだよね。そうすると、一気に13ページ駆け抜けることができる。
うすた それ、わかります。それまで全然進まないんだけど、急に神様が降りてくるんですよね! この瞬間のために頑張ってたんだ、と思うことがある。
江口 その瞬間って、すごい幸せじゃん。快感だよね。
うすた 追い込まれたから神が出てきたんだと思うと、今度はゆとりを持ってやるといけないんじゃないか?とか思っちゃうんですよね(笑)。それで結局、いつも原稿が遅くなる。
江口 うすたくんは、マサルさんの時に2、3回落としたんだっけ?
うすた マサルさんの時は落としてはいないけど、絵が荒れてましたね。
江口 秋本治さんとかさ、落とさないほうがスゴ過ぎるんだよね。40年、毎週描き続けるとか。そういえば、オレが『HUNTER×HUNTER』の冨樫(義博)さんに「休んでいい」ってそそのかしてるってネットでウワサされてますけど、あれ間違いですから(笑)。冨樫さんに会ったのは去年が初めてですから。
うすた いや、でも僕らから見ると、江口さんが休載の前例を作ってくれたっていうのはありますよ。休んでもいいんだって思えるようになった。
江口 僕が初めて落としたのがデビューして2年目の頃でしたかね。その時、「あ、落とすとラクだな、助かったな」と思っちゃったんですよ、正直。で、クセになるんだよね。だから、落とす人はどんどん落とすようになるんだよ。
うすた ただ、冨樫さんは休んでいる間もずっとネームを書き溜(た)めてるみたいですからね。
江口 あぁ、真面目にやってんだね。僕は、休みの間は本当に休んでる。
うすた 仕事のモチベーションはどう保ってますか? 机に座るのがしんどい時とかないですか?
江口 ツラかったね。人間ってさ、ずっと座ってると寿命が縮むらしいじゃん。2時間おきに立ったりしたほうがいいんだって。でも、漫画家さんって1年くらい寝ないで描いてたりするじゃない。それもあって、ほとんどのレジェンドは60歳くらいで亡くなってる。
オレはしょっちゅう寝てたから、レジェンド達の年齢を越してもまだ生きてるんだよ(笑)。死んでまで漫画描かなくてもね。他に面白い漫画描く人がいるから、僕が頑張らなくてもいいかなって(笑)。
なんか、同じ職業じゃないみたいだね、僕たち
うすた 僕も、「人生幸せが一番大事」というのを掲げてます(笑)。『ONE PIECE』の尾田栄一郎さんが同期なんですけど、彼に「俺は漫画に人生を捧げる」と言われた時には、じゃあ尾田さんに任せようと思いましたもん。
江口 すごいよね。なんか、同じ職業じゃないみたいだね、僕たち。
うすた いや、ほんとですよ(笑)。今日はジャンプ展のスペシャルイベントということですけど、僕はまだ展示を観れてなくて。江口さんはご覧になりましたか?
江口 内覧会でひと通り見ました。原画コーナーで「人の原稿ってきれいだな」と思いましたね。鳥山(明)さんの原稿のきれいさとか。あの人、全部レタリングできちっと描いてる。タイトルも自分で描いてるんですよね。貴重ですよ、あれは。皆さんもやっぱり、生原稿を見たほうがいいですよ。
うすた ファンの方より、漫画家のほうが見てて楽しい部分もあるかもしれませんね。僕もこれから観に行こうと思います。
(取材・文/吉田彩乃 撮影/榊智朗)
●「創刊50周年記念 週刊少年ジャンプ展VOL.1 創刊~1980年代、伝説のはじまり」は10月15日まで開催!