2001年、高校在学中にデビュー作『インストール』で文藝賞を受賞し、女子大生となった2004年には『蹴りたい背中』で芥川賞を史上最年少で受賞。時代の寵児となった作家・綿矢りささん。
作家生活も15年以上となり、最新短編集『意識のリボン』を上梓した彼女は、プライベートでは結婚・出産も経て、新たな境地を見出しつつある。そこで、最新作から10代でのデビュー時まで振り返ってもらい、前編記事に続き、お話を伺った!
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―17歳でデビューされて作家生活がもう15年以上…人生の半分近い年月です! 最初から作家としての人生しかないと思っていたんでしょうか。
綿矢 うーん…。デビューさせてもらった時にすごく嬉しくて「必要とされている限りはこの職業でいたいな」と強く思って、それで今まできた感じです。とはいえ、名ばかりのまま続けてる感じで、書いてない時期も多かったのでそんなに小説の冊数も多くないんですけど。周りの作家はみんなちょっと歳上なので、デビューからの年数でいうと私が一番長いことは時々ネタにされたりします(笑)。
―史上最年少で芥川賞を受賞、世の中からは様々な評価があったと思いますが、当時を自分的に振り返ると?
綿矢 褒(ほ)めてもらうと恐縮して「そういうふうにならなきゃな」って思ったし、「全然、文学じゃない」ってけなされると、そういう批判みたいな言葉はすごく的確な気がして「ああ、やっぱりそうか」と、直していこうという感じでした。
―すごく謙虚というか…でも若くして時代の寵児(ちょうじ)として扱われるプレッシャーもあったんじゃないでしょうか。
綿矢 それはありましたけど、でも世間の反応より「書けない」っていうプレッシャーのほうが強くなってきて。その時は「時間給のお仕事だったらどんなにかよかっただろう…」と思ったりしましたね(笑)。
大学生ということで、そもそもそんなにたくさん仕事は請けなかったんですけど。だから、こういうインタビューの場とかに出てくることもあんまりなかったですし。よく取材の時に「次回の受賞後の第一作は?」と聞かれたんですけど、それが結構グサッときて「とりあえず先に書かないと!」って。
―書けなかったのは、自分の引き出しのなさとか経験の浅さに直面したため?
綿矢 本当に何について書けばいいのかわからなくなって。賞をいただいたから「それに恥じないような重厚な小説を書かなきゃ」とプレッシャーを感じていました。小説に対して、すごく構えてたっていうか。書くとなれば取材に行って、創作ノートに登場人物の設定や世界観を作らなきゃとか、それこそハリウッド映画を作るようなイメージで(笑)。
起承転結があって、ここでいったん話が沈むけど、ここでハッピーエンドにしてとか…そういうことを考え出すと全然ダメになっちゃって。ちょうど大学でも文学の構造や時代ごとの特徴などを教えてもらっていて、そういうものを知ってしまうと「文学ってすごく歴史があって重いものなんだな…」ってしみじみ感じて、余計に書けなくなりました。
三島とか谷崎も…常に頭の中で注意されてた
―自分でハードルを高くしてしまったと。天才子役に近いものがありますね。途中で演劇論を考えてしまって壁にぶつかるような。
綿矢 似ているところはあるかもしれないですね(笑)。今は日常で気になったことから始めればいいということがようやくわかってきました。デビューした時もわかってたんですけど、受賞当時は「それを小説と呼んでいいのか?」という迷いがあったのかな。人それぞれみんな違うから小説って読んでて楽しいのに、その時はトルストイとかドストエフスキーを読んで「これが本物の小説だ!」みたいに思い込んでいた感じです(笑)。
―普通はみんな賞を獲る前に悩んでるようなことですよね(笑)。
綿矢 そう、その時はまだ2作しか書いてなくて、書きためたものがなかったというのがそういう迷いに繋がったのかもしれないですね。
―そんな自分の気持ちとは裏腹に、周りはその若さも含めてすごくチヤホヤするだろうし、自我が肥大してモンスター化する自分はいなかった?
綿矢 うーん、日本の純文学はそういう感情に対して厳しい小説が多いので…そのあたりは読んできたものの影響でそういうスイッチは入らなかったですね。例えば、太宰治を読んでも、自意識と万能感の間で揺れ動く主人公が多いですから。
―太宰的な目線で自分を俯瞰(ふかん)していた!?
綿矢 すごく太宰が好きだったので、こんなこと言ったりやったりしたら、太宰が怒るかなって…。今では太宰が注意してくることもだいぶ減りましたけど(笑)。
―自分の頭の上で太宰が囁(ささや)いてくると…(笑)。ちなみに、他にも誰かいますか?
綿矢 三島由紀夫とか谷崎潤一郎とか。ああいう人たちは書いてることも厳しいのでちょっと俗っぽいこと書くと怒ってくるみたいな、もう常に頭の中で注意されてたかな(笑)。それこそ芥川(龍之介)に怒られてるような気持ちにもなったりして、20代の頃は頭がちょっと極端だったとは思うんですけど。
―天狗にならずに済んだのは、そういった方々のおかげなんですね。
綿矢 文豪たちの教育がちゃんとしてたので(笑)。
―ちなみに、自身の京都人気質が歯止めになっていたりはありませんでした?
綿矢 それは初めて聞かれましたけど、あるかもしれないですね! いろんな人がいるので一概には言えないんですけど、まず京都の人間は流行っているお店に並ばない。「並ぶくらいなら別の店に行くわ」みたいなところがあって、お店のほうも雑誌とかで取り上げられてすごく繁盛することがあっても、こっち(東京)の人はすごく頑張るけど、京都の人って「えっ、まだ働かなあかんの?」っていうところがあって(笑)。
商品も創業何百年とか伝統を売りにしてるものが多くて、一時の需要に対してぼーっとしている人間が多い。だから私も東京に来てみると、京都にいる時は気付かなかったんですけど、そういう需要に対して鈍感なところがあるなって思いました。
私みたいな書き方をしていると本当に先が見えない…
―取り上げられて有頂天になるのがみっともないという感覚はない?
綿矢 そういうのももちろんあるんですけど、それより京都の人っておっとりしてるから、結構すぐ疲れるんですよね(笑)。東京の人って、ここぞって時のエネルギーが出せるような気がする。やっぱり情報も多いし「今、ホットなもの」に対してアンテナを張っていて。京都だとそのへんの反応もちょっと穏やかで、そういう事態になってもあんまり通常と変わらない人間が多いですね。
―なるほど、じゃあ作品が映画化されたりして、プロモーションで「先生、ご協力願います!」とかってノリも理解できなかったり?
綿矢 「そういう状況なんやろな」って理解はしつつも、私には非常電源みたいなものが発動しないなっていうのが申し訳なかったです(笑)。
―(笑)。そうこうしてあっという間に15年以上、作家として成功したといえると思いますが。その要因をご自分では…。
綿矢 うーん…。でも私みたいな書き方をしていると本当に先が見えないというか、今書くものがあっても次に書くものがあるかどうか、次の依頼があるのかどうかが全くわからないようなところにいるので。だから目の前のことをやるしかない。その積み重ねで、気がついたら仕事と呼べるものになっているのかなという感じですね。
―確かにお話を伺っていると、ピュアな衝動で気になったことを題材に書き始めるということですもんね。では、書き続ける原動力はありますか?
綿矢 書いてて楽しいっていうのが一番ですね。書いている時は架空の新しい世界に行けたりもするから、やっぱり楽しいんですよね。実際にはいない人と人とが会話しているのを書いたりしてると楽しい。その気持ちが原動力になりますね。
―書けない時期も経て、今はまたそういった楽しみを見出して。楽になった感じとか、こういう風に書いていけばいいんだみたいに到達した部分もあります?
綿矢 そうですね。今までは主人公が自分と年齢も性格も似てたりすることはあっても、「創作だ!」って100%フィクションの気持ちで書いてたんです。今もそれはもちろんあるんですけど、でも今回の短編の『こたつのUFO』みたいな感じで、読んでいる方がちょっと「エッセイかも」って思うような、ある意味、ちょっと誤解を与えるようなものも書いていければいいな、と。
―プライベートでの子育てもありつつ、30代以降の創作に新たな面白みが出てきたりも…。
綿矢 ありますね。今までは恋愛について書くことが多かったんですけど、今回の短篇集みたいに、ちょっとそういうものから外れつつ、いろんな視点で世の中を見た小説が書けたらいいなって思います。
―今後の変化も期待しつつ、楽しみにさせていただきます! ありがとうございました。
(取材・文/明知真理子 撮影/五十嵐和博)
●綿矢りさ(わたや・りさ) 1984年生まれ、京都府出身。01年に『インストール』で文藝賞を受賞しデビュー。04年に『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞。ほか著作には大江健三郎賞を受賞した『かわいそうだね?』、『憤死』などがある。最新短編集『意識のリボン』が2017年12月5日に発売。