笑福亭鶴瓶も「心を揺さぶる」と絶賛。弾き語りライブで全国を周り、熱いファンを増やしている浜田ケンジさん 笑福亭鶴瓶も「心を揺さぶる」と絶賛。弾き語りライブで全国を周り、熱いファンを増やしている浜田ケンジさん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第54回のゲストで俳優の駿河太郎さんからご紹介いただいたのは歌唄いの浜田ケンジさん。

駿河さんがMVに出演する『僕は馬鹿になった』など独自の世界観と印象的な声の楽曲でじわじわ注目され、笑福亭鶴瓶も「心を揺さぶる」と絶賛。

弾き語りライブで全国を周り、熱いファンを増やしているその素顔とはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―ガチでお友達を紹介してもらい繋がせていただいてる連載なんですが。

浜田 なんか、太郎ちゃんから「週プレの『語っていいとも!』って企画にケンジの名前上げていい?」ってだけきて(笑)。

―いや、そこがまた駿河さんらしいというか。正直、浜田さんをよく存じ上げてなかったんですけど、友達自体のセレクトもこういう人たちを知ってもらいたい、もっと世に伝えたいんやってことで。

浜田 だから僕からすると、今まで出てる方を見せてもらったら「急に俺で知名度下がるな」と(笑)。僕でいいのかなって。

―でもこれまでも巡り合わせというか、このタイミングでこの人とお話しすることになるとは…みたいなことがよくあって。今回も得がたいご縁なのかなと。

浜田 その素敵な縁を僕で断ち切らないように(笑)。今日は呼んでいただいてありがとうございます。

―逆に、こちらもいろいろ知ってなきゃいけないはずなのに、その存在を取りこぼしてるんやなと。あらためて思い知らされました。

浜田 まぁでも、それは仕方ないですよ。こっちの力がないんで。

―いやいや、あらためて曲を聴かせていただいて興味深かったですし。やっぱり駿河さんの反骨心というか、世の中にもっと広まってほしいという気持ちも伝わって…。

浜田 確かに、そういうところ男前なんですよね。あんなカワイい顔して(笑)。太郎ちゃんとはすごい気が合って友達になりましたね。

―セカンドアルバムの帯に書いてもらっている文章も本当にいいですよね。「育ってきた環境も、歩いてる道も違うけど…貫いてる意思は一緒や だから好きやねん」って。いい言葉をもらってるなと。

浜田 本当に頼んでよかったなと。1枚目は鶴瓶さん、2枚目は太郎ちゃんに。親子でCD帯のコメントを書いてもらってますから。

―そうなんですよね。初アルバムでは父親の(笑福亭)鶴瓶さんがすごいメッセージを帯に寄せていて。「浜田ケンジよ お前がなぜ売れないかさっぱりわからん お前の歌は時代を超えて心を揺さぶる」と。こんなリスペクトの言葉、なかなかないですよ。

浜田 1st Albumをリリースする時にダメ元で鶴瓶さんに直接電話して「CDの帯を書いてもらえませんか?」って聞いたら、まさかの鶴瓶さんが「いや、俺でええんかー?」って。いやいやいや、何その謙虚さ!と思ったら、それで1週間も経たないうちにコメントを送ってもらえて。仕事が早いなーって感激しました。

鶴瓶さんに「表通りに店出さんかい!」と

―そこも器のデカさですかね(笑)。そもそも、駿河さんと知り合うきっかけは…。

浜田 僕の友達で「anglasad」っていう服のブランドやってる清水護(まもる)ってのがいて、そいつが「めちゃくちゃ面白いやつ見つけた!」って。それが太郎ちゃんだったんですよ。「きっとケンジも気が合うと思うよ」って。

でも僕、お酒呑まないとめちゃんこ人見知りなんで「どうなんだろうな」と思ってたんですけど。それでいざ会った時に太郎ちゃんはベロベロで…結局、2回目に会った時に向こうは僕のことを何も覚えてなかったという(笑)。

―それこそドラマの始まりみたいな(笑)、いつ頃の話ですか?

浜田 そんなに経ってない…2年ちょっと前かな。だから出会ったのは最近なんですよね。

―ほんと最近じゃないですか。まぁ業界的でもありますが(笑)、不思議な縁で繋がって。人見知りと言いながら、いろいろな交流があるのでは。

浜田 でも僕は本当に友達少ないですよ。知り合いは多いかもしれないですけど…飲みに行く友達は未だに片手で足りるっていう。ヤイヤイ飲むのは護に太郎ちゃん、あとひとり、次に友達で紹介しようかなって思ってる人がいて。

―そういう狭い集まりの飲みで出会って、認識されたのは2回目だけど(笑)、ウマがあったと。

浜田 それで僕のライブを観てくれて。「親父が好きかも」って言い出したんですよ。そしたら「どうやって会わせようかちょっと考えるわ」って言ってくれて。

その7ヵ月後に太郎ちゃんの紹介で鶴瓶さんのラジオ番組に出ることになったんです。その時に太郎ちゃんが「俺も一緒に行くわ」って同行してくれて。現場に着いたら、鶴瓶さんが「おまえ、なんでおるん? 暇かっ!」って(笑)。

―そんないきなりの展開だったんですか(笑)! 話題になったという『日曜日のそれ』の出演ですよね。

浜田 そう、いきなり1時間半のラジオ出演。台本も何もなし! そこでまさかの…OA中に「裏通りでコソコソと活動すんな! 表通りに店出さんかい!」とめちゃくちゃ怒られるという。え?! ラジオでこんなに怒られるの!?と思って(笑)。

―『世に出な、あかんやないか!」と(笑)。叱咤激励なわけですが、すごいなあ…。

浜田 それでその1年後に『表通り』っていう曲を鶴瓶さんに対して、いわゆるアンサーソングで書いたんですよ。それをまさかラジオ収録の時に鶴瓶さん本人の前で歌うことになるとは思ってもみませんでした。

その曲の最後に諺(ことわざ)をずっと羅列してるんですけど、頭文字を縦に読むと“しょうふくていつるべ”になってるんです。それを本人に伝えたら「まじか!? それは嬉しいな!」とか言ってくれたんですよね。

それで後日、鶴瓶さんが違うラジオ番組で『表通り』を流そうとしてくれたんですけど、あまりにも歌詞の言葉がキツいから電波にのせれないって。まさか『表通り』が表通りで流せなかったという(笑)。

―ラジオというか、局の規制コードに引っかかった?

浜田 たぶん…貧乏人とか、あとこれは諺にもあるのになって思ったけど、慌てる乞食は貰(もら)いが少ないっていう、その乞食もダメだったのかなと。流していい放送局とダメなところがあるみたいですね。

―独自の自主規制がね。難しいというか世知辛いものが…。

浜田 「浜田くんの曲をかける時はヒヤヒヤする」ってラジオ局の人に言われたり。そんなのも、まぁ面白いなって思ってますけど。

「自分の気持ちは常に怒ってるほうで…」

―でも、そこまで鶴瓶さんには気に入ってもらって。「親父が好きかも」って言ってたのは、まさにその通りだった。

浜田 そうですね。で、ラジオに頻繁(ひんぱん)に出してもらって。それで帯にこの言葉をいただけたわけですから。よっぽどですよね。ほんと嬉しいなって思います。

―それも駿河さんからのご縁でね。知り合ったのがそんな最近ということは『僕は馬鹿になった』での初MV(ミュージックビデオ)に出演してもらったのも出会ってすぐですか?

浜田 仲良くなってすぐですね。まず、その清水護に聞かせたら「これMV撮ろう!」って言い出したんですよ。おまえ、服屋だろ!って思ったんすけど(笑)、あいつが曲のモデルになってるみたいなのもあるんで。それで太郎ちゃんにも聴いてもらったら「MV作るなら俺出るよ」ってトントン拍子に決まって。そしたらロケ地がまさかの四国っていう。

―あれ四国だったんですか!

浜田 そうなんですよ、愛媛県の八幡浜っていう。護が八幡浜高校出身で、その友達が市長にフェリー乗り場、八幡浜駅、八幡浜高校を使わせてくれって掛け合ってくれて。それで許可が降りたんで撮影できたんですよね。

―商店街の路地みたいな通りを歩いてて、駿河さんが道すがら出会う人たちに声かけたり、絡むシーンがあるのは?

浜田 あれは東京での撮影で。あのシーンに出てくるのは全員友達です。ただ単に気の合う人間だけを集めて撮影しよう!となって(笑)。

―やっぱりそうなんですね(笑)。それも含めてイイ雰囲気で作ってますよね。物語があっていいなぁと。

浜田 僕もすごくいいもの作ってもらえたなと思って。

―歌も染みましたし。その清水さんをモデルにインスパイアされたということですが、自分の心象風景がメインではないんですね。

浜田 多少はありますけど…僕、そういう曲が多くて。誰かを思って題材にすることとかが多いですね。自分の気持ちを歌っているのは『表通り』みたいな常に怒ってるほうで。

―そっちの挑発的な“心の叫び”系が自分なんですか(笑)。

浜田 叫びのほうが(笑)。

―その二面性があると。叫び的なものばかりだとラジオにも乗っけられない(笑)。

浜田 乗っけられないし、たぶんみんなに疲れるって言われます(苦笑)。

「森田童子はパンチがありすぎましたね(笑)」

―そこでバランスが取れてるというか。デビュー時から比べるとどうなんでしょう。

浜田 ようやく大人になり始めたんです(笑)。

―ははは。元々、「俺はこの道でいく」と決めて音楽を志してた?

浜田 そうですね。僕は愛知県の江南市ってとこの田舎者で。

―その字面を見ると、どちらかというと韓国のイメージが浮かぶような…。

浜田 カンナムですよね(笑)。そっちは知らないっすけど、江南市はめちゃんこ田舎ですよ。カラオケ屋とコンビニ、それと今はちょっとした暴走族しかいないですから。

―暴走族も今や絶滅種のような(笑)。そういう田舎で育って、やっぱり「俺ら東京さ行くだ」的なものに共感する子供時代を?

浜田 そう。「俺ら東京さ行くだ」もカバーして歌ってますからね。その気持ちはあまり変わってないですね…。なにくそみたいなのは。

―その言葉は駿河さんからも出ましたけど。その環境の中、好きな歌い手たちの曲で育って、昭和的な情緒も?

浜田 そうですね。バリバリ昭和生まれですから。そこまでフォークを聞いては育ってないですけど、根本にはきっとあるのかなって。小学校2年生の時、寝る前に必ずレコードを聴いてて。それが「サイモン&ガーファンクル」だったんですよ。

―サイモン&ガーファンクルのアルバムはありました。僕の父親とか全然そういう文化的な興味が薄いんですけど、うちにあるぐらいだから一家に1枚ありますよ(笑)。

浜田 うちも家にあったんで『サウンド・オブ・サイレンス』を聴いて、めちゃくちゃいい曲だなと思って寝てたんですけど…。たぶん、それで根暗になったんですよ(笑)。暗い暗い曲を聴いて培われて。

―小2ですもんね。だいぶセンチメンタルというか。

浜田 森田童子とかも大好きでしたね。

―森田童子! 90年代にドラマ『高校教師』の主題歌で再ブレイク、一世風靡しました。

浜田 僕はあの時、13歳とかですもん。パンチがありすぎましたね(笑)。でもすごいカッコいいなと思って。

―時代に関係なく普遍的なね。だいぶ影響力ありすぎですけど(笑)。

浜田 森田童子は強烈でした。あと、謎だなと思ったのが、うちの親は音楽やらないのにフォークギター集の本が1冊あるとか。「いやいや、誰に対しての見栄だよ」みたいな(笑)。きっとお父さんはギターを挫折したんでしょうね。それ見てたら『なごり雪』が載っててたんですよ。中学生の時、最初にコピーした曲がそれなんで。だから僕の根はフォークなのかなと。

「楽しすぎて東京大好きっ子になってる(笑)」

―90年代ですよね? 僕は70年代、中学生の頃にそこらへんも聴いてましたが。

浜田 原点はTHE BLUE HEARTSなんですけど…小学校3年生の時にお姉ちゃんが作ってくれたmixテープを聴いてたら「なんだこの人たち? めちゃくちゃカッコいい!」と思って。それがブルーハーツってバンドだよと教えてもらって、それからお小遣いやお年玉を貯めてはCDを買ってました。

でも正直、音楽には詳しくないです。ただジャンル問わず、いいものはいいって感じですかね。

―そういうところも合います(笑)。僕も自分でダビングしたカセットテープ集には演歌の後にジャニーズ系とか、映画音楽まで入ってましたから(笑)。浜田さんの曲からは、その『僕は馬鹿になった』とか、それこそ河島英五さんっぽいなと感じて。

浜田 それはめちゃくちゃ嬉しいですね!

―『酒と泪と男と女』をカバーされてるのも聴いて、また合点がいったというか。では、そういう『なごり雪』から始まって、ずっと歌唄いでいければと?

浜田 漠然とですよ。その時はスーパー漠然と…高校にも行けないかもってくらいアホだったんで。それで工業高校に入学できたんですよ。定員割れしてたんで入れたっていう悲しい事実なんですけど。

で、そのまま3年間過ごすんですけど、そこの高校は就職率が98%なんですよ。みんな就職や進学するけど、学年の中で僕だけ「バンドでプロになるんだ! 馬鹿ヤロー!」みたいな。

でも、担任の先生が1回でいいから面接でも受けてみないかと。たぶん、パーセンテージをあげたいとか、なんかあるんでしょうね。とにかく考え直せっていうんで、まぁ面接くらいならいいかと思って受けたら受かっちゃって。

―その高校入学もそうだし、めっちゃやる気のないところで人生は少しずつ動いてるんですね(笑)。

浜田 その会社もバイクの大型免許の合宿に行きたいがために半年後にやめるんですけど(笑)。その後に地元で音楽スタジオの店長を24歳までやらせてもらって。それで1回、東京に行ってみようかなと思って上京したって感じですね。

―では、高校卒業後、地元でライブをやりつつ…。

浜田 そうですね、名古屋でライブやってました。なんか、みんなすごい東京ってとこに期待してるの見るたびに、いやいや、ただの街だろって思ってたんですよ。勝手に行って勝手に挫折して帰ってくる人たちを見て、どんな街なんだよって。

で、行ったやつだけ、見たやつだけが物事に対して悪口言えると思って。じゃあちょっと行ってくるわって。1回行ったら文句言えるし、つまらんかったらすぐ帰ってこようと。そしたら今はもう楽しすぎて帰れないですね。東京大好きっ子になってる(笑)。

―(笑)何がそんなに楽しくてハマったんですか。

浜田 その刺激が…もう、江南市にいたらありえないことばかり(笑)。ゾッとしますね、今、地元にいると思ったら。

―自分は井の中の蛙みたいなもんだったと?

浜田 はい。ただ、26歳で来てよかったのかなと。10代で上京してたらヤバかった。帰ってたかもしれないですね。今もめちゃくちゃ楽しくて帰れない…今でもあの時の気持ちのまま楽しいですもん。

●後編⇒語っていいとも! 第54回ゲスト・浜田ケンジ「おこがましいけど…ピストルさんにも負けてる気、1ミリもないです」

(撮影/塔下智士)

●浜田ケンジ(はまだ・けんじ) 1979年12月31日、愛知県生まれ。3ピースロックバンドRAT(ラット)でヴォーカル、ギターとして活動する傍ら、2012年頃から弾き語りライブを始める。映画『ソラニン』出演、俳優の伊勢谷友介監督作『セイジ-陸の魚-』に出演&楽曲提供をするなど幅広く活動。弾き語り1st Album「SHOP IN THE STREET」、2nd「Redy or not.here I come!!!」全国発売中。今年7月には3rdAlbumをリリース予定。詳細はHPにてhttp://kenji-hamada.com/