第41回すばる文学賞を受賞した『光点』は山岡ミヤさんの実質的なデビュー作となる。
中学卒業後、弁当工場で働く“わたし”実以子は、家では母親の言葉の暴力で追い詰められている。偶然出会った青年カムトもまた問題を抱えており、行き場のない者どうしの交流が静謐な言葉で描かれる。
人間の嗅覚や触覚まで丁寧に描写し、心象を描き出す繊細な作品で選考委員の奥泉光氏によると「たくらみのある」工夫が秘められているのが魅力と評された。その実験的な創作で描きたかったものとは? 今後も期待される著者本人にその真意をお聞きした。
―この『光点』で作家デビューとなりますが、以前から小説家は目指していたのですか?
山岡 いえ、目指していたというよりも「読んで、書く」ということをしていないと日常生活がやりづらいだろうなと思っていたので…。小さい頃からずっと本は読んでいて、自分の中での「エロ本」は谷崎潤一郎でした(笑)。いけないと思いながらもその先が見たくて読んでしまうんですね。小説に触れられている感じ。
―いきなりドキッとする言葉が。週プレを意識していただいてるんでしょうかね(笑)。まずは、この作品で一番描きたかったものは?
山岡 ひと言では言い表せないものを書きたいと。すごく抽象的になりますが、人が潜在意識で持っているものに触りたいというか。「これはよかった」とか、すぐ感想を言えなくて、いいのかどうかはわからないけどずっと頭に残り続けるようなもの。それで、癖になったり気になったりして何度も読んでしまうものを意識しました。
―とある地方都市の工業団地とそこで働く人たちが題材ですが、ご自分の体験が生かされていたり、私小説的な要素は?
山岡 これに関しては全然ないです。登場人物も全員モデルはいなくて、誰でもない人なんです。ただ、実在する場所じゃなくても手に取った人が「これは自分の街かも」「この工業団地で勤めているかもしれない」と感じてもらえるといいなと思って、現実感みたいなところは気をつけました。
―主人公の実以子は職場と自宅を往復する日々の中、母親から毎日心を抉るような言葉で罵倒されています。こういう女性を主人公にした理由は?
山岡 日本は、例えば宗教でも親がそう(何かの宗教に属していると)だと子供も当たり前にそうなるところがありますよね。この主人公もこんなひどい母親がいるならすぐに家を出ればいいのに、全部受け入れている。自分の境遇や母親を全部「受け入れる」という感情の部分って、考えていくとすごく面白いと思ったのも原点にはありました。
あと、私はこういう人たちにすごく魅力を感じるんです。忙しくて疲弊しているところがあって、実生活ではおおよそ物語の主人公としては一見、難しいかもしれないけど、そんな人が好きなんです。主人公や登場人物にすることで、その人たちが本来持っている生命力や生きていること自体、その価値を表したいと思って。
―実以子は酷い境遇と閉塞感の中でも、徐々に生きる意味のようなものを見出していきますね。
山岡 そうなんです。その人が生きていることってすごく価値があることなんです。よく「この人、かわいそうだね」って言うけど、その人が幸せか不幸かって、他人ではなく自分しか決められないことだと思うんですよね。
最後のシーンが書きたくて全部書き上げた
―彼女とカムトの主観と心境にも思いを馳せながら読んでしまいますが、そのふたりの関係性を台詞よりも情景描写で描いています。
山岡 小説ではシーンを丹念に書けるのも面白い実験ができるところだと思っています。「何をどう描くか」って大事だと思うんですけど、表に現れる「何を」より「どう描くか」が小説にとってはすごく重要で。映画でも小説でも、いい作品は「どう描いているか」が映画だと画面に、小説だと文面にすごく現れますよね。
―そういう意味で、やはり言葉の表現には気を遣った?
山岡 描写や文体にこだわるというより、その描写を使ってシーンを際立たせることを意識しました。例えば、フェリーニの映画『道』は印象に残る台詞や人物だけではなく、あの背景と広がりのあるラストシーンがあり、その描き方で世界が立ち現れている。世界に奥行きがあるからこそ、ひとつひとつのシーンが記憶に残るし、美しいと思うんです。そういうのをめざして、世界が立ち現れるように書きました。
あの映画は人の死も描いていて悲しさもあるけど、絶望的ではない気がしていて。物語は終わるけど、どこか「その先が見える」っていうのは素敵ですよね。
―あの印象的なラストシーンでもファンが多い映画ですよね。最後に「その先が見える」ラストシーンは『光点』でも意識した?
山岡 実はこの話は、最後のシーンが書きたくて全部書き上げたんです。最後のために、その前の百数十ページの石段を上っていきました(笑)。それと、別のことを言うと、あれはストーリーとしては終わっていないように見えるんですけれど、小説の言葉としてはあそこで終わっているとも思っています。
―含みを持たせたラストシーンを読者にも楽しんでもらいたいところです! 実以子とカムトの関係は、恋愛関係のようなそうでないような曖昧(あいまい)さもありますが…。
山岡 18歳と22歳なんですけど、あくまでこのふたりに関しては、成熟に至る前の「性」にあるというか、よく言うと純粋でまだ発達していない部分を持っている。なので、ともすればエロチックになりそうな部分もいかに性的な匂いを消して書くかは気をつけました。
この作品では、あまり性的な描写を出したくなかったというのはあります。全く出さないでやりたかったんですけど、女子更衣室の会話のシーンとか、お母さんの日記の中とか、物語のノイズとして書かざるを得なかったというか。
―女子更衣室で女性パートさんが夫とのセックスをあからさまに語るシーンとか。
山岡 ある男性読者の方は、そのシーンの生生しさが終盤まで後を引いてしまったと言っていました(笑)。やっぱり性描写ってすごく威力があって破壊力のあるものだから、気をつけて書きたいと思うんですよね。
エロスと別の魅力が溶けあっている名作は多い
―先ほどの谷崎潤一郎が「エロ本」だった発言もありましたが(笑)。
山岡 いえ、プレイボーイさんだからじゃなくて、本当に普段からこういうことを考えてるんですよ(笑)。例えば、蓮實重彦さんの『伯爵夫人』もすごくいやらしくて。「ぷへー」って。「性交した」って、ただ書くのじゃなくて、何ページにも渡って描写しています。ぼかすこともできるけどそれをハッキリ書いて文学として表すことができるところに、やっぱり小説の魅力を感じます。
『光点』を書いている時は藤枝静男の『空気頭』とかフローベールの『ボヴァリー夫人』も読んでいて。ボヴァリー夫人はあらすじだけ説明すると「姦通の話」なんですけど、相手の男性がすごく繊細に描かれていたりとか実はいろいろな魅力もあって。表層的には「○○のエロス」とか、人の目がキャッチするように打つじゃないですか。でも実はエロスと別の魅力が溶けあっている名作って多いですよね。
藤枝静男の『田紳有楽』とかも、金魚とグイ呑みの官能的なシーンがあって、こんなこと書いていいのかなって。「私小説」作家と言われているけれど、ジャンルに縛られることなく挑まれている魅力があって。そういういろいろが混ざっていて、カテゴライズできないような作品を自分も書けたらと考えているんです。
●後編⇒作家・奥泉光に“たくらみのある”秘め事が魅力と評された、新進気鋭の山岡ミヤ 「中性的に書いていきたいという気持ちがある」
(取材・文/明知真理子、撮影/小渕翔)
■山岡ミヤ(やまおか・みや) 1985年神奈川県生まれ。法政大学社会学部卒業。07年、『魚は水の中』で第24回織田作之助賞<青春賞>佳作(別名義)。17年、『光点』で第41回すばる文学賞を受賞。単行本は2月5日に発売。