TBSが誇る名物番組『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会が12月31日18時より放送予定。しかも、番組史上初の生放送を実施!
『週刊プレイボーイ』編集者が現在活躍中のSASUKE界の英雄たちを訪ね、共にトレーニングをするなかでそのパーソナリティを掘り下げていく極めてマニアックなSASUKE応援コラム「SASUKE放浪記」、シーズン1もいよいよ残り2回!
***
SASUKEの世界には、「セット造り」という言葉がある。
黎明期に"ミスターSASUKE"こと山田勝己氏が、出場者で初めて自宅に本番のエリアを模したセットを造ってから20年余り......。
進化に進化を重ね、もはや「単に運動が得意な人」はおろか日本代表クラスのアスリートですら1stステージをクリアすることすらままならないほどの高難度になってしまった現在のSASUKEでは、成績上位者のほとんどが自宅になんらかのセットを造っている。というよりは、最低でもそのくらいしなければ今のSASUKEのレベルに太刀打ちできないのである。
そして今のSASUKE界には、松田大介という希代の「セット造り職人」が存在する。
群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉に社を構える有限会社松田水道の三代目社長。SASUKEデビューは2年前の第32回大会。40歳での初出場はこれまで本連載で紹介してきた誰よりも遅く、その経歴はひと際異彩を放っている。
「37、38歳のときに家業を継いだんですけど、直後は精神的にもいろいろきつい部分があって。体調を崩して痩せだしたのをきっかけに、『このままじゃいけない』と思って運動を始めたんです」
そうして松田が自身に課したのは、腕立て伏せと腹筋。特に回数を決めていたわけではないが、1年間、1日もサボらず毎日続けた。
「体もかなり引き締まって。周りの同級生なんかも当然みんないいおじさんですから、『おまえ、病気なんじゃないか』って心配されました(笑)。冗談のつもりで『いや、SASUKEに出ようと思うんだ』とか言っているうちにその気になっちゃって、本当に応募してみたんです」
とはいえSASUKEには毎回、全国......いや全世界から数千を超える応募が集まる。40近い普通のおじさんである松田では、書類審査すら通らなかった。
「その後、2014年の夏かな......豊洲でSASUKEのイベントがあって、行ってみたんですよ。本物の『そり立つ壁』があって、初めて触って衝撃を受けました。『とんでもない世界だ』って。
挑戦してみましたけど、案の定全然できない。それが悔しくてね。『同じものをやらなきゃできっこないじゃん』って、そのとき真横から撮った写真とか、番組のオンエアのビデオから抽出した静止画を元にして、図面を作ってみたんです」
そり立つ壁に始まり、松田がこの4年間で造ったエリアは20にものぼる。簡単に言うが、普通の人間には不可能な、水道屋という設備系の仕事をしている松田ならではの離れ業である。
「だいたい、目で測れるんですよ。日本の建築って『決まっている』ので、見ればなんとなく寸法はわかるんです。(取材で利用したレストランで、横の窓を指しながら)例えばここも柱から柱までで1820とか、もう決まっているものなので、だから、ひとつの基準がわかればそれを図面に起こして、写真と合成できちゃうんです」
本職の職人が手掛けたSASUKEセット。その正確さは折り紙付きで、トレーニングのために全国各地(にあるセット)を転戦する現チャンピオン・森本裕介をして、「松田さんのところのセットが(やっていて)一番本番(の感覚)に近いと思います」と言わしめる。
「最も時間をかけるのが『構想』の段階。いかに安く、耐久性のある適切な部材を当てはめられるかという部材探しのことです。仕事上、いろいろな部材を見る機会が多いので、考えている時間は楽しいですよ。『あ、この部材ならいける!』とか閃くと、そこからは早いです」
例えば、第33回大会、第34回大会(ともに2017年開催)で松田が失敗した「フィッシュボーン」は、構想に2、3ヵ月。「描きだすと止まらなくなる」という図面引きは、仕事が終わったあとに夜な夜なやって1週間ほどで仕上げ、施工からおよそ1ヵ月で完成を見た。
ちなみに、番組制作者の誰もが「再現不可能」と考えていたフィッシュボーンの練習セットを造った松田は、その甲斐あって今年3月に放送された前回(第35回)大会で見事にこれを突破した。
「SASUKEのセットも、回を追うごとにどんどん大掛かりなものになっていますからね。プレーヤーとしてとは別のベクトルでも、毎回SASUKEに試されているような気持ちになるんですよ」
そんな松田家の新たな名物エリアが「ドラゴングライダー」。前回大会で初登場し松田自身も苦杯を舐めた、トランポリンと二本のバー、そしてレールを駆使した凶悪な新エリアである。
「これはなかなか手強かったです。あの高さを限られた空間で再現するためには、地面を掘るしかなかった」
重機を使って地面を掘り、グライドするレール部分には曲げることが可能な上水管を利用した。強いGを生みだすレールの傾斜も忠実に再現。松田の長年の経験と執念を詰め込んだ傑作である。
「ここまでくると練習するのもちょっとした命懸けというか、ケガ回避のために脱線防止レールもつけてありますけど、(SASUKE仲間たちとの)合同トレーニングのときなんかは『頼むから誰もケガしないでくれよ~』って、ドキドキしながら見守っています(笑)」
近年では、番組の収録が近づいてくると毎週末のように熱心なSASUKEプレーヤーたちが「松田家詣で」を行なう。この取材の日にも、松田を除いて5人ものSASUKEプレーヤーが終日汗を流した。
「番組の常連メンバーで来たことないのは......(地理的に遠い)北九州の竹田(敏浩)さん(前回大会はゼッケン91番で登場)くらいですかね」
松田家での合同トレーニングの様子はさまざまなプレーヤーたちがSNS上にアップしているが、それがいかにも合宿のような雰囲気で実に楽しそうなのだ(練習後、連れ立って地元の自慢の温泉に行くことももっぱらだとか)。SASUKE本戦への出場はまだ4回という松田だが、プレーヤー以外の面でも番組を盛り上げるのに欠かせない存在となっている。今の仕事に就くまでの経緯は、こんなふうに語ってくれた。
「家業を継いだのは、まあ長男の宿命みたいなところもあるんですが(笑)、子供の頃からプラモデルを作るのとか工作とかが大好きで。それで設備の専門学校に行く道を選んで、建築系から何から、設備の勉強を全部やって、卒業したあとは前橋にある会社に入って設計や現場の管理なんかをやって。
職人を使ってあらかじめ定めた工程に沿って進めていくんですけど、今思えば、そういうのが全部(今に)生きています」
現在、松田は社長自ら現場にも出るし、管理の仕事もこなす。地元には松田と同じように修業を終えてUターンし、家業を継いだ同級生も多いという。
「旅館の跡取りもいますし、建築業もいますし、そういう連中とは今でも交流がありますよ。あ、もしプライベートで猿ヶ京温泉に来ることがあれば、旅館、紹介しますよ(笑)。だいたいは知り合いなので」
東京駅から上越新幹線を使って、最寄りの上毛高原駅までおよそ1時間半。そこからバスで30分。この取材の時期にはちょうど、山々は紅葉で色づいており、それ目当てと思しき観光客も多く見受けられた。空気は澄み渡り、晴れていれば夜には、都心では決して見ることの叶わない嘘のように美しい星空を拝むこともできる。
そんな猿ヶ京温泉の大自然を味わいながら始まった松田家での合同トレーニングは、とにかく「実戦」を想定して行われた。近くの神社の階段などを走ってウォーミングアップをしたあとは、各々、それこそ日が暮れるまでセットを使っての試行錯誤を繰り返す。
この日も来ていた常連プレーヤーのひとりである川口朋広(前回大会はゼッケン99番で登場)には、「通し練」なるものを勧められた。
「松田さんちは、(エリアが)ひと通り揃ってますから」
つまり、スタートから始まり1stステージ最後のエリアであるそり立つ壁までを、本番を想定して繋げてやってみるのだ。
現行の1stステージのうち、現在の松田家で練習できるエリアは「ローリングヒル」「タイファイター」「フィッシュボーン」「ドラゴングライダー」そして「そり立つ壁」。
そり立つ壁の前の「タックル」はダンベルを持ってスクワットをすることで同様の脚の疲労感を再現し、ローリングヒルの回転筒やフィッシュボーンの足場には、まさに水道の排水管が使われている。そこには、ありとあらゆる工夫で限りなく本物に近い「SASUKE」が築かれているのだ。
「SASUKEのエリアは、ただ体力任せに挑むだけではクリアできないんです。それぞれのエリアにちょっとしたコツがあって、それは実際にやってみなければわからない。でも本番は一発勝負だし、だからみんな『自分で造っちゃえ』という発想になるわけです」
ローリングヒルには「筒が回りにくい足の置き方」が、タイファイターには「自分が一番しっくりくる手足の突っ張り方」が、フィッシュボーンには「オーソドックスなタイミング」が存在する。この日、プレーヤーたちが最も時間をかけたのはもちろん、新エリアのドラゴングライダー対策だった。
「いろいろ試しましたけど、結局一本目のバーの掴み方で8割がた勝負は決まります。ここでの体勢が不十分だと、(レールを)下ったときに二本目を掴みにいけないということがわかりました」
共にトレーニングをし、互いのパフォーマンスを確認しながら意見を出し合い、分析を深め精度を高めていく。松田家での合同トレーニングはいつも、「部活」のようなストイックな雰囲気になるという。
本番を想定したトレーニングということで、松田はこんなものも見せてくれた。
「クリアしているイメージをより鮮明にするために、ゴールボタンも作ってみたんですよ」
そり立つ壁の頂上には、ちゃんとこのゴールボタンを設置するためのパイプも立っている。ちなみに電池式で、夜になると光るらしい。
このほかにも、
「ドラゴングライダーのトランポリンを跳ぶときは、絶対に上や横を見ない。見るのは下だけ。そうしないとあの高さに(メンタルが)やられます」や、「制限時間残り10秒を告げる警告音は、全部で6回鳴るんです。で、計算したところ、4回目のブザーが鳴る前にスタートを切ればそり立つ壁を攻略してぎりぎり時間内にボタンを押せる。つまり、脚の疲労度次第では3回目までは慌てずに(警告音を)聞いて、回復に努めるという作戦も有効です」
など、実戦に役立つさまざまな金言を賜った。常に本物さながらのセットを造るために苦心してきた松田は、もしかしたら出場者の誰よりも綿密なシミュレーションを日頃から行なえるのかもしれない。
「次で5回目の挑戦。そろそろ結果を残したいですね」
過去4大会はすべて1stステージでリタイア。だが実は松田は、自作のセットで練習するうちにあの3rdステージの難所、まだ世界で3人しかクリアしたことのない「ウルトラクレイジークリフハンガー」を、練習とはいえ成功させられるレベルに達している。今の松田には、SASUKEに初めて応募した頃の「普通のおじさん」の面影は皆無だ。
「大きな意味での『家』です。同じ目標に向かってやっていると......なんて言うのかな......うちで練習している仲間だけじゃなくて、今回だったら第36回大会に出る選手全員が、家族みたいに感じることがあるんですよ。SASUKEという大きな家の屋根の下でそれぞれが努力して、それぞれにうれしいことや悲しいことがあって、そういうものを共有できるのって、僕はもう『家族』って言えるんじゃないかなってときどき思うんです」
自宅がセットになっていて、そこに同じ思いを抱く仲間がひっきりなしに出入りしていて、なおかつ家業である水道屋は「家」を構成する「水回り」を司る。それは、SASUKEが文字通り生活の一部になっている松田だからこそ辿り着いた境地なのだろう。
最後に松田は、少し照れながらこう付け加えた。
「ふたりの娘とも、SASUKEがつなげてくれたようなものなんですよ。上は高校生、下は中学生ですけど、以前は仕事だ、付き合いの飲み会だって、午前様が当たり前で、『母子家庭なの?』っていうくらい子育てはかみさんに任せきりだった。
でもSASUKEをやるようになってから、生活は規則正しくなるし、休みの日もセット造ったり練習したりで家にいるので、娘たちとの仲は間違いなく今のほうが親密になっている。そういう意味でもやっぱり、僕にとってSASUKEは『家』なんですよね」
来る第36回大会は43歳の"遅れてきたルーキー"、松田大介の躍動に注目である。
●松田大介 Matsuda Daisuke
1975年8月20日生まれ、群馬県出身。身長175㎝、体重63㎏。40歳でSASUKE初出場。有限会社松田水道の三代目社長。「家業を継ぐとき、社名を横文字に改名することも考えたんですけど、今となってはそのままにして良かった。なんの職種か、一発でわかるじゃないですか(笑)。SASUKEでは大事なことですから」
『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会の情報はこちらから!
【https://www.tbs.co.jp/sasuke_rising/】