『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』が公開中の山崎貴監督の映画体験とは?

『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。

今週は『ALWAYS 三丁目の夕日』などで知られる映画監督の山崎貴さんが青春時代に見た映画を振り返る。

* * *

──青春時代に見て記憶に残っている作品はなんですか?

山崎 生まれて初めてお金を払って見たのが『ロッキー』(77年)でした。映画ってすごいなって思いましたね。あらゆるところから音が聞こえてくる臨場感がすごくて、家のテレビで見るのとは全然違った。

──『ロッキー』では泣きましたか?

山崎 それが、当時はまだ映画を見るということに慣れていなかったせいか、そこまで泣かなかったんです。でも、1週間くらいしてラジオから『ロッキー』のテーマが流れたときにどばどばと涙があふれてきたんです。消化するのに時間がかかったんでしょうね。

──VFX(CGやデジタル合成などによる特殊視覚効果)的なものとの出会いは?

山崎 一番最初に見たのは『未知との遭遇』(78年)なんです。UFOの映画ってことで正直ナメてたところもあったんです。

本命はあくまでも夏に公開される『STAR WARS』(78年)で、「UFOっていったって、どうせアダムスキー型のものだろ」って想像していたら、ラストシーンでマザーシップが出てきて、それが想像の数万倍も巨大なものだった。あれはもう完全に宗教体験でしたね。

──もうメロメロだったんですね。

山崎 そうです。それで監督になりたいっていうよりもVFXの仕事がしたいって思うようになったんです。

──『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)の東京タワーって、マザーシップのメタファーなんじゃないかと思うんですが。

山崎 どうなんでしょうね(笑)。

──象徴として存在しているというか。『未知との遭遇』でマザーシップがちょこちょこ出てくるように。

山崎 でも、デカイもんが出てこないと満足できないというのは、確かにありますね。最初に作った『ジュブナイル』(00年)でも、2作目の『リターナー』(02年)でも宇宙船が出てきますし。

ご本尊をどこかに配置しないと気が済まないってのは、マザーシップや『STAR WARS』のスター・デストロイヤーがそれだけ強く自分の中に残っているからかもしれませんね。

──僕は『三丁目の夕日』の原作マンガの読者だったんですが、実写化と聞いたときには朝ドラ的なものを想像したんですよ。ところが、実際には『未知との遭遇』感のほうが強かったという。

山崎 そこは完全にプロデューサーの阿部秀司さんが狙ったところみたいで、普通に作ったら、狭い世界の物語でやるところを「おまえなら昭和の街作れるじゃん」って言われて。だから、最初は「やりたくないんだけどなあ」って思っていたんです。

──そうなんですか!

山崎 というのも、そういう仕事はそれまでにもCMでよくやっていたんです。でも、僕はもっと宇宙人とか宇宙船が出てくるような、チャイルディッシュなものを作りたくて映画監督を目指した一面もあるし、1、2作目はそんなに悪くない成績を収めていた自負もあったので、「なんで3作目で昭和の街を作らんといけんのだ」って(笑)。

でも、阿部さんの念願の企画ということで、半ば押し切られる形で始まったんです。

★後編⇒角田陽一郎×山崎貴(映画監督)「『ドラクエ』でしかやれないアイデアを考えついた」

●山崎貴(やまざき・たかし)
1964年生まれ、長野県出身。2005年に『ALWAYS 三丁目の夕日』で日本アカデミー賞の監督賞を受賞。多くのヒット作を手がける。最新作『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』全国東宝系にて公開中

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