『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
今回は、最新作『ビューティフルドリーマー』が11月6日に公開される映画監督、本広克行さんにお話を伺いました。
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──幼少期に見て記憶に残っている映画はなんですか?
本広 やっぱり『男はつらいよ』シリーズですかねえ。初めて映画館で見たのは小4の頃で、『男はつらいよ 葛飾立志篇』とザ・ドリフターズの『正義だ! 味方だ! 全員集合!!』(共に1975年)の同時上映でした。
当時、親父がやたらと松竹のタダ券をもらってきてたので、しょっちゅう家族で見に行きました。幼心に「この主人公、イライラするな」と思った記憶があります(笑)。
テレビで放送される映画を見るようになったのはその頃からですね。角川映画にハマった後、『2001年宇宙の旅』(1968年)を『日曜洋画劇場』で見て、「訳わかんないけど面白い」と思ったりしました。『機動戦士ガンダム』(1981年)とか、宇宙モノを見るようになったのもその頃です。
──当時から映画監督志望でした?
本広 いえ、高3まで工業大学に進学しようと思ってましたから。でも、大学受験を控えながら工事現場のバイトをしていたとき、車にドーンとハネられてむち打ちになり、1ヵ月以上入院することになったんです。
ハネられて空中を飛んでるときに「あ、これ死ぬな」って思って、結果生き残ったので、「どうせいつか死ぬなら好きなことやりたいな」って。ちなみに、保険に入っていたので、入院費が1日1万円くらい出たんです。バイトするよりも良かった(笑)
──結果、バイトになってたと。
本広 入院中に本や雑誌をたくさん差し入れてもらったんですけど、そのなかに『キネマ旬報』があって、そこに載っていた映画学校の広告を見て、「ここに行こう」と。なんにも知らないまま部屋もテキトーに決めて、VHSを何本かだけ持って、東京の町田に引っ越してきました。
その当時見た映画が『すかんぴんウォーク』(1984年)なんですけど、主演の吉川晃司さんは僕と同い年で。広島から東京を目指す姿に自分をかぶせてました。鈴木清順監督の『けんかえれじい』(1966年)も、終盤に主人公が「東京に行くぞ!」と叫ぶシーンがありますけど、なぜかそういう作品ばっかり見ていたんですよね。
──あの事故がなければ......。
本広 九州の工業大学に行って、今頃は配管整備とか構造計算の仕事をしていたと思います。映画を見るのは好きだけど、職業にできるとは思ってなかったですからね。
──ちなみにですが、『すかんぴんウォーク』って同時上映が押井守監督の『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』だったんですよ。くしくも、本広監督の最新作も押井さん原案ですが(笑)。
僕は中2で見たこの作品が自分のMoving Movieなんですが、同じ1984年公開作品には『マクロス』と『風の谷のナウシカ』もあって。中2で強烈な3作品を見ちゃったから、僕は一生中2病なんだなって(笑)。
本広 あの年は異常ですよ。ちなみに、僕は『マクロス』の実写化を狙ってます。
──え! ぜひ見てみたい!(笑)
本広 戦争をアイドルの歌で止めるという発想が素晴らしすぎますよね。どうやってリン・ミンメイをつくるか、ということをずっと考えてます。
★後編⇒角田陽一郎×本広克行(映画監督)「映画監督はみんな革ジャン着だすけど、それが苦手で(笑)」
●本広克行(もとひろ・かつゆき)
1965年生まれ、香川県出身。日本を代表する映画監督。代表作は『踊る大捜査線』シリーズのほかに、『サマータイムマシン・ブルース』『曲がれ!スプーン』『PSYCHO-PASS サイコパス』『幕が上がる』『亜人』『曇天に笑う』などがある
■映画『ビューティフルドリーマー』11月6日(金)より全国順次公開予定