『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。
前回に続き、新作『ビューティフルドリーマー』が公開中の映画監督、本広克行さんにお話を伺いました。
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――思春期以降はどんな映画を?
本広 学生時代は名画座によく足を運んでいて、『ガープの世界』(1983年)と『カメレオンマン』(1984年)を見ましたね。田舎では絶対に見られなかった作品でしたし、ビデオレンタルも1泊900円みたいな時代だったので助かりました。
映画学校の授業でも、溝口健二監督の『赤線地帯』(1956年)や今村昌平監督の『赤い殺意』(1964年)などを見ましたね。映画学校ってめちゃくちゃな映画を見させられるんですよ。『愛のコリーダ』(1976年)のノーカット版を見た後はみんなムラムラしてた記憶があります(笑)。
あと、アメリカン・ニューシネマはがっつりハマりましたね。ほかには、『ミツバチのささやき』(1985年)や『ダウン・バイ・ロー』(1986年)みたいなアート系の映画を見て、「カッコいいなあ」って。
――監督の作品に影響与えてません? 何げないシーンがカッコいいんだけど、どこか照れがある。
本広 あります、あります。カッコいいかはわからないですけど、影響は受けていますね。
――カッコいいことを100パーセントやるのは恥ずかしい、みたいなのがにじみ出ているというか。
本広 そうそう。何やってるんだろうなあって。映画監督だからといって、カッコつけてるように見られるのが苦手なんですよ。みんな革ジャン着だすけど、そういうのが苦手で(笑)。「自分は違うぞ」って自意識が働くんですよ。
――本広監督の作品だと、『サマータイムマシン・ブルース』(2005年)って、そういうところありません?
本広 そうですね。SF研に集まるけど、SFはやらないで銭湯に行くとかね。学生時代ならではのそういう感じが、僕は「ぽいね~」って思っちゃうんですよ。公開のときにいろんな失敗をしていて、あんまりヒットしなかったんですけど。
でも、「やれることをやろう!」って言って、役者も裏方も総動員で動いたんです。宣伝も舞台挨拶も30ヵ所くらい手分けして。大学の映研みたいな雰囲気でしたね。
――新作『ビューティフルドリーマー』も映研が舞台の作品ですよね。いわくつきのフィルムを発見し、撮影を始めるんだけど、さまざまなトラブルが起こります。今回、押井守監督に「夢みる人」という原案を書き下ろしてもらったそうですが、そもそもこの企画を立ち上げたのは本広監督のアイデアですか?
本広 はい。僕がやりたいと言って、押井さんに書いてもらったんです。最初は「軽音楽部の女のコたちの前日譚(ぜんじつたん)をずーっとやる」という話だったんですけど、映研のほうがわかりやすいので今の形に収まりました。
その上で、意図的に押井さんの演出に寄せていこうというもくろみもありましたね。結果、撮影現場では「うるさいよ」って思うほど爆笑してる人と、「何やってるかわかんない」という人が半々くらいでしたね。
――わかります(笑)。押井監督のあの作品が大好きな僕にとっては、ツボを突かれまくって大爆笑でした。
本広 往年のファンも、若い世代も違う見方で楽しめるものにできたかなと。そういう作品があってもいいと思うんですよね。
●本広克行(もとひろ・かつゆき)
1965年生まれ、香川県出身。日本を代表する映画監督。代表作は『踊る大捜査線』シリーズのほかに、『サマータイムマシン・ブルース』『曲がれ!スプーン』『PSYCHO-PASS サイコパス』『幕が上がる』『亜人』『曇天に笑う』などがある
■映画『ビューティフルドリーマー』全国公開中