ハワイのお気に入りのビーチでの立川談志師匠 ハワイのお気に入りのビーチでの立川談志師匠
天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

前回の「立川談志師匠がハワイを好きになった話」からの続きの回。結局、何度も訪れることになった、そんなハワイでの数々の思い出たち。

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ハワイのリピーターになった私達の過ごし方は、年々変わっていった。元々外食嫌いな父はキッチン付きの『パシフィック・ビーチホテル』を常宿にして、スーパーで安い肉を買ってきてはニンニクと一緒にステーキにして「うめーうめー」と嬉しそうに食べていた。確かにレストランで食べるより美味しかった。ポチギソーセージも好物で、日本に持ち帰ろうとして税関でバレると、その度にけんかになっていた。

動物園が好きな父は、ホノルルZOOにいた珍しいコビトカバをよく見に行き、水族館にも行っていた。どこに行くにもバスか歩きだった。お金を使わない父の目を盗んで、母と私はショッピングを楽しんだ。私は16歳のころからボーイフレンドとハワイに行くようになり、サーフボードを買ってサーフィンをしたり、合間で父と合流したりするようになった。

こんな事もあった。『立川談志とハワイに行こう!』というツアーを旅行会社が企画した。ハワイ好きの父はすぐに食いつき、私も一緒について行くことになった。ツアーの詳細を把握していなかった私達は、ホノルルから今まで見たこともない景色と共にどんどん内陸へと移動する車の中で顔を見合わせた。そこはゴルフをしない者にとっては、まったく興味のないエリアだった。ホテルに到着すると、「ここは本当にハワイ?」と思うほど海は全く見えず、山のログハウスの様だった。

しばらく2人でキョトンとしていたが、だんだん腹が立ってきた。ツアーのスケジュールを確認すると、談志の落語を聞き、夜はキャンプファイアーを囲んで豚の丸焼きが振る舞われるとか。とにかくワイキキには行かないスケジュールで、ビーチと往復するには何時間もかかる場所だった。父はどんどん機嫌が悪くなり「ゆみこ、逃げよう! ワイキキに行っちゃおう!」と言った。「パパとの旅行を楽しみに来たお客さんは置き去りで?」とも思ったが、私もそこにはいたくなかった。

2人でワイキキに出来たばかりのハイアットリージェンシーまでタクシーで逃げた。タクシーの中で「何が豚の丸焼きだ! あんな所に連れていきやがって!」と2人で毒を吐きまくった。

ハイアットリージェンシーの部屋からワイキキビーチを眺めて「これがワイハだよなー」と2人で何度も頷いていた。その後、その旅行会社とは揉めたに決まっているがあまり覚えていない。いつも通り海で2人で泳ぎ、飲茶に行き、夜は私1人でホテルの地下のディスコに行った。ディスコで「how much?」と男の人に声をかけられて、売春婦と間違われた。

父は私とだけでなく、いろんな人とハワイに行っていた。毒蝮三太夫さんを初めてハワイに連れて行った時にずっと天気が悪く「お前、ここはハワイじゃないだろう? 騙したな!」と蝮さんに言われた話は、父から何度も聞かされた。

父方のおばあちゃんや叔父叔母とも一緒に行ったし、母の両親が初めて叔父の招待で豪華なハワイツアーに行った時も、なぜか父がハワイにいた。親切な父はおばあちゃんに無理矢理ビキニを着せ、ハナウマベイに連れて行った。そこでおばあちゃんの手を引いて海に入り、綺麗な海と魚達を見せてあげた。

父のお弟子さんの談春さんと志らくさんは、ふたり共、父との海外はハワイだけだったそうで、志らくさんは父と石原裕次郎さんの別荘にも行っている。父が亡くなった直後に、志らくさんは奥様とのハワイ旅行で赤ちゃんができた。私達は「談志ベイビー」と呼んでいて、志らくさんは生まれてきた女の子に、父が私に付けたかった名前「小弓(さゆみ)」とつけた。

私の最初の新婚旅行もハワイで、そこに父と母も来ていた。カウアイ島からホノルルに着くと、父の仕事についてきた母も一緒にアラモアナホテルにいた。スイートの3つの部屋からは素晴らしい景色が見えた。割と美味しいホテルの中華レストランで一緒に飲茶を食べた。

時差ボケの母が朝、バルコニーにいて「ノンくん何してるの?」と父が聞くと「日の出を見るの」とサンセットの方向を見ていた。「ノンくん、日の出はこっちだよ」と父が言うと、母はおどろいて、「昨日沈んだ所から出るんでしょう?」と言ったらしい。父はこういう話が大好きだった。

父の好きな海はビーチよりも岩場で、シュノーケリングが大好きな父は、珊瑚と魚がいる海で長い時間泳いでいた。仙台の金華山、沖縄の渡嘉敷島など、父のお気に入りの海には魚が沢山いた。ダイビングよりシュノーケリングを好んだ父は、ハワイだとやはりハナウマベイが一番好きだった。

父と海水浴に行くと、「ついてこい!」といわれ、私も弟も水中メガネとシユノールをつけてひたすら父の後を泳ぐ。今は禁止されているが、父は自分の食べ残しを海水パンツに隠し持っていて、それを少しずつ撒きながら泳いで行く。後に続く私達はまるで竜宮城のような魚の群の中を泳ぐことになる。この上なく綺麗で楽しかった。ただし、途中で帰る事は許されず、父が飽きるまで何時でも泳がされた。

数え切れない父とのハワイは、タンタラスの夜景、年に1度満月の夜にしか咲かない月火美人の花、ジュッと音が聞こえるようなサンセット、ロイヤルハワイアンのバーのチチ......。ハワイの美しさを満喫した。不思議な事にケンカをしたり、嫌な思い出がない。やっぱりハワイマジックだ。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。