デビュー作で文学界を騒然とさせた永井みみ氏 デビュー作で文学界を騒然とさせた永井みみ氏
第45回すばる文学賞を受賞、川上未映子さんや金原ひとみさんなど選考委員全員が絶賛、各方面ですでに評価を高めている『ミシンと金魚』が2月4日に待望の刊行! 著者の永井みみ氏は1965年生まれと遅咲きながら、デビュー作にして傑作を上梓した恐るべき実力の源泉とは――。

幼少時からの貧困、挫折ばかりの人生、そこからデイケアの現場を長年経験し、結実したという作品の主人公・カケイさん。認知症で現実と過去を行き来しながら、生き生きと魅力的なひとり語りでその生き様と現代社会をユーモラスに活写する老女が生まれた背景までをご本人に直撃。

インタビュー前編では、応募前にご自身がコロナに感染し死線を彷徨(さまよ)った経験から生まれながらの貧しさや挫折まで、創作に至る執念を赤裸々に語っていただいたが......。

* * *

――その挫折だらけの経験がベースとしてあり、介護ケアの仕事に繋がって登場人物たちの様々な生き様に魂が吹き込まれていくことに......。

永井 生き様です。こうして書かれなければ、誰も知らないお話がたくさん......。

――それこそ"家政婦は見た"的に垣間見る生々しい現実、やりとりも?

永井 ありますね。おうちの中で会話がなされているから、結構びっくりするような。人間っていろんなものが絡むと、ここまでこういうことを言うんだとか。

作品にも書きましたが、年金か何かのために生かしておかなければと家族に延命措置を求められて、延々あのまま生かされ続けるようなことも。それを「もう、かわいそうだから」と言っていいのか悪いのかみたいなところで葛藤もあって。

――そういう暗部を遺産や相続とも絡んで描きつつ、カケイさんの語りゆえ重々しくなくユーモアで軽妙に刺さります。

永井 1行目の「あの女医は、外国で泣いたおんなだ」っていうのも、似たような言葉を言った方がいたんです。それを聞いた時に「ひゃー、カッコいいー」と思って。私とふたりだけの世界でこの言葉がきちゃうんだっていう。

毎回おんなじこと言って「えーっ、嘘でしょ!」ってエピソードにも嘘はないって感じたりして。申し訳ないんですけど、小説というものを発想する元に利用したのかなと。

――それこそ、声なき声を代弁し昇華させるというか。水俣病患者の聞き書きとして今に残る『苦海浄土』(石牟礼道子著)に通じるものを感じ、「私が書かねば誰が」という天命を授かったようにも......。

永井 いえ、そこまで大それた気持ちではなかったですが「書かせてもらっちゃうよ」くらいな感じで。後でイタコのような、何か超えたものがきたのは確かにありましたけど。

――では、そもそも緻密な構築やプロットも意図せず、最初に仰ったようにカケイさんの像を彫り続けただけ?

永井 構成を褒(ほ)めていただくとすごく心苦しいんですけど、実は考えたこともないんです。主人公ありきでずっと見ていると、その人の時間軸を辿れるような、元々あるストーリーが浮かび上がってくるというか。だから、イタコみたいな感じかもしれないです。

――それで伏線含め、過去と現在の縦軸横軸を一分の隙なく織りなすことが驚嘆です。

永井 ちょっと話が突飛かなというところは足したりもしますが、基本はずるずるずるずる書いてますね(笑)。

■自分にも救われたい思いがあった......

――ユーモラスで微笑ましく語られながら、突き付けられるのは貧困やネグレクトに虐待、様々な死の光景から痴呆、介護、相続問題まで......現代社会に至るありとあらゆる深刻な題材が詰まっています。

永井 そうですね。ただ、ユーモアのある人って、認知症を患ってもそれを忘れてないところがあって。それが本当に悲惨なお話でもどこかしら聞かせるというか「えっ、この話をそういう風に笑いながら話すんだ」みたいなことがあるんです。

――それがカケイさんを通して、救いともなっている?

永井 今思うと、自分も救われたかった。延命だとか、いろんなものに関して片棒を担いでるところもあるわけで、私自身に救われたい思いがあったのかなと。

――20年前には書こうとしても書けなかった、もがき苦しんだものが介護ケアでの出会いで自らも救われることに?

永井 もちろん、逆に元気をもらったりして。元々はうちの祖母が認知症で、最後の10年間は施設に入ったんですけど、会いに行ったのがたった3回だけだったんです。その時はほんといろんなことに忙しかったのはあるけど、それは言い訳でしかなくて。

一番かわいがられた人間だったのに、そういう姿を見たくないというのがあって、後々それがどんどんどんどん重くなっていき......どこかで償(つぐな)っておかねば、このままでは死ねないと思って、介護の仕事をやろうと。

――その衝動も導きというか、赦(ゆる)しを乞う日々の聖職のような......。

永井 償いですね。でもそこでいろんな優しい人を見たり、お看取りなどもさせていただいて、なんで祖母の時にはやらなかったのかと。償えば償うほど重くなっていくというか、たぶん一生落とせない罪なんだと。

――それを小説に昇華させることが浄化させる行為でもあるのかと。

永井 そうだといいですね。やはり、救いというのはそうそう与えられるものではないので......。

――作品ではカケイさんの言葉で「あたしには、しあわせな時間が、たしかに、あった」と語らせています。自分の人生を肯定することも創作のテーマでしょうか。

永井 その通りでございます。せめて、その作品の中では救いを用意できるものであればと思います。

■受賞のことばは遺書のようなものーー

――受賞後、掲載された「すばる」11月号では受賞のことばも今作とともに記憶に残るものでした。「ほんとうは、作家になりたかった」「死にかけたときは、作家として死にたかった」と韻(いん)を踏むように繰り返し、そして「これからは、ほんとうの、作家になりたい」とーー。

永井 これも申し訳ないんですけど、あのリフレイン、繰り返しの高まっていく感じは円谷幸吉(つぶらやこうきち)さんの遺書を真似させていただいたというか。あの方の言葉はほんとに自分の中でかけがいのないすごい作品だと思ってまして。

――1964年の東京五輪にマラソンで銅メダルを獲得、国民的英雄となりながら27歳の若さで衝撃的な自死......父上様母上様に始まり「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と綴(つづ)った有名なものですね。

永井 その中で、あの何々が「美味(おい)しゅうございました」と続くことで、読んでいる人にどんどんどんどん、ゆっくり刺さっていく感じ。もしそういう機会が与えられれば、私の中でのMAXでありベストのものを自分の言葉でも書かせていただきたいと。初めてご依頼いただいた文章で形にさせてもらいました。

――詩はまったく書けなかったと仰っていますが、これも谷川俊太郎さんレベルの秀逸な詩作だと衝撃を受けました。

永井 ありがとうございます。滅相もないですが、ほぼほぼ私の遺書みたいなものでしょうか。

――受賞のことばが遺書とは、それも創作への覚悟のような......。死を目の前に生還されて、ではこれからが"ほんとうの、作家になる"道のりですね。

永井 なりたいですね。ほんとうの作家になれるでしょうか?

――まだデビューしただけで、天職といえるのはこれからですか。

永井 そうですね。この先の作品で皆さんが判断してくださるんだと思います。

――もう雰囲気は大作家のオーラを纏(まと)っているようにすら感じますが。では次回作を楽しみに、という以上にまたすばらしい作品となることを信じております。

永井 ありがとうございます。ご期待に沿えるよう、裏切らぬように頑張ります。頑張るしかないです。


●永井みみ

1965年、神奈川県生まれ。


■『ミシンと金魚』〈集英社〉