50歳の芸人・錦鯉が『M-1グランプリ』の頂点に立った! お笑いに年齢は関係ないのだ。だからこそ、あえて50代の芸人を特集する。
前回のコラアゲンはいごうまんに続き、ドタバタコントの大御所・プリンプリンが登場!
■ショーパブで出会ったふたり
――錦鯉の『M-1』優勝を見て、どう思いました?
田中章(以下、田中) 俺はすごく感動しましたね。いろんな苦労があったんだろうなってジーンときちゃいました。
うな加藤(以下、うな) 実は、お笑いコンビBOOMERの伊勢浩二と急造コンビを組んで、『M-1』に何回か挑戦したことがあるんです。そのときは2、3回戦で落ちていました。だから、錦鯉の優勝は正直、うらやましいです。
――錦鯉のネタについては?
うな 俺らのネタを見て「こんなの芸じゃない」って言う人がいるんです。それは俗に言う"客いじり"なんですけど、お客さんをいじるのは芸ではないと思っている人が多い。
でも、ラーメンだって「俺は醤油が好き」「俺は豚骨が好き」って好みがあるじゃないですか。だから、どんなネタをやるからいいとか、こんなネタをやったから悪いとか思ったことがないんですよ。俺は最終的にお客さんを笑わせた人が勝ちだと思っています。
田中 そうなんです。ここ(浅草フランス座演芸場東洋館)でスベったときに言い訳をする人がいるんです。「年齢層が高かったからな」とか。そうじゃなくて、目の前にいる人を笑わせるのが基本じゃないですか。だから、俺らはこの年になって、最初に組んだときの原点に戻っている気がするんです。
――原点とは?
うな 俺らが出会ったのは、六本木のショーパブです。お酒を飲んでいるお客さんが相手なので、客いじりでもなんでもして「とにかく笑わせろ」「なんでもいいから盛り上げろ」と言われていました。そのためには手段は選ばなかったんです。
そのうちにふたりでネタを作って、コント赤信号の渡辺正行さんが主催する新人コント大会で「ラ・ママ」に出るようになったんですが、毎回、自ら進んでトップバッターをやらせてもらいました。
トップバッターって、実はやりにくいんですよね。でも、俺らはその後にショーパブの仕事があったので、自分たちのネタが終わったらすぐ「お先に失礼します」って店に行ってました。
――そんな経験を経て、30歳前後で『タモリのボキャブラ天国』や『笑っていいとも!』に出るようになりましたよね。
田中 ただ、あのときはつらかったですね。
うな 正直「もうテレビに出たくない」って思うこともありました。そんなときにタモリさんからアドバイスをいただいたんです。
「おまえらはバンドでいえば、ギターの音だけがバーンと出ているようなものなんだよ。バンドはギターもベースもドラムもボーカルもいて、その全部がバランスが取れてなくてはきれいな音楽にならない。テレビの笑いもバンドと同じセッションなんだから、ひとりだけウケを取ろうとしてガツガツいっても面白くならないんだよ」みたいなことを言われました。
田中 そして「お客さんをいじってもいいんだよ。お客さんもその場に一緒にいるバンドのメンバーのようなものなんだから」とも言われたんです。ただ、そのアドバイスをうまく生かせなかった。
うな だから、『笑っていいとも!』のレギュラーにもなれなかったし、そのうちにテレビからも声がかからなくなりました。それが30歳過ぎですかね。でも、『ボキャブラ』に出ていたときもショーパブで働いていたので、テレビに出られなくなってもショーパブに戻って、お笑いはずっと続けていたんですよ。
田中 俺はショーパブには出てませんでした。それで、35歳のときにお笑いはもうやめようと思ったんです。「金もない」「離婚もした」「事務所も辞めた」で、もうやる気がなくなったんですね。
うな 酔っぱらって電話してきて「解散しよう」って言うんですよ。でも「解散しようも何も今、活動してないだろ。それに、またテレビに出る機会が来るかもしれないから、このままでいいんじゃない」って説得したんです。そうしたら、翌日、「昨日はごめん」ってメールが来ました。
田中 お酒を飲むと気がめいるんですよね。
■「もったいない」「必要だ」と言われて
――その頃、プリンプリンとしての活動は?
田中 ほとんど何もやってないです。2ヵ月に一度、BOOMERと4人でタイタンライブに出るくらいですかね。しかも、その頃の俺は腐ってたので、タイタンライブに出ないときもありました。
うな だから、3人で出てたんです。
田中 そんな生活をずっとしてましたね。
うな 俺はずっとショーパブに出てました。
田中 それが、4年くらい前に漫才協会から「ゲスト枠があるからふたりで出てみませんか」って誘われたんです。でも、最初は断ったんですよ。「もうふたりでやってないんで」って。それでも、またお誘いが来たので、「ずっとやってないけど簡単なネタくらいできるだろう」って面白半分で出てみたんです。
うな そうしたら、ものすごくウケた。
田中 その出番の後に青空球児・好児の好児師匠とおぼん・こぼんのおぼん師匠が「時間あるか。飲みに行こう」って誘ってくれて「あれだけできるんだったら、もったいないから、1ヵ月に一度でもいいから舞台に立ちなさい。それに漫才協会には、君たちみたいな人が必要だから」って言われたんです。
「必要だから」って言われたのがうれしくて、そのときから、がぜん、やる気が出たんですよ。
うな 周りから「出番はたった10分でしょ。なんのために行ってるの?」って言われるんです。そんなの、お客さんを笑わせるために決まってるじゃないですか。それも、その場所に来ている人のために。だから、客いじりでもなんでもするんですよ、俺らは。
田中 今、すごく楽しいんですよね。
うな そして、タモリさんの言ってた"お笑いはセッション"の意味が、やっとわかったような気がします。
田中 ただ、相変わらずお金はないですけどね。
●田中章(たなか・あきら)
プリンプリンのボケ担当。1967年生まれ、大阪府出身。NSCを卒業後、東京でうな加藤とコンビを結成。漫才協会所属。父は漫才コンビ、横山ノック・アウトの横山アウト
●うな加藤(かとう)
プリンプリンのツッコミ担当。1968年生まれ、福岡県出身。高校卒業後、東京で田中とコンビを結成。漫才協会所属。プリンプリンとして1994年にNHK新人演芸大賞を受賞