『君の名は。』(2016年)で邦画部門歴代2位(当時)となる250億円の興行収入を記録し、一躍、その名を全国区とした新海誠。
その後も『天気の子』(2019年)が大ヒットし、今や国民的アニメ作家となった印象だが、もともとは『秒速5センチメートル』(2007年)に代表されるように、クローズドな人間関係を描くことが得意な、コアなファンの多い監督だった。
新海誠はどう進化し、時代を代表する作家になっていったのか。それを論じたのが本書『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』である。筆者は海外のアニメを配給、映画祭をプロデュースする会社「ニューディアー」代表の土居伸彰(どい・のぶあき)氏。
最新作『すずめの戸締まり』が11月11日に公開されるこのタイミングで、新海誠の世界を深掘りする。
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――新海誠は、ほぼひとりで作った『ほしのこえ』(2002年)が話題となり、キャリアをスタートさせましたが、本書によると彼と同じように個人でアニメを制作する事例は、海外でも増えているんですね。
土居 そうなんです。これまでは宮崎駿に代表されるように、アニメーターからキャリアをスタートさせ、最終的に監督になっていたわけですが、パソコン一台で作れる今の時代では、個人で作品を作り、世界を変える状況が生まれています。
――「風景を美しく描く作家」というイメージがありますが、本書では、新海作品に登場する際立った特徴のない、匿名性の高いキャラクターを「棒人間性」という言葉で表現しています。
土居 きっかけは、私の会社で配給した『父を探して』(2016年)という、棒人間を使ったブラジルのアニメーション作品です。『ほしのこえ』同様、ほぼ監督ひとりで作られた長編で、時間や労力の観点から棒人間のデザインが採用されているのですが、極めて簡素なデザインなのに人間のこまやかな感情が伝わってくるんです。
このことは新海作品にも通ずる特徴ですが、そこには新海誠自身の素養も関係しています。これまでの国民的アニメ作家、例えば宮崎駿と比べるとわかりやすいですが、宮崎駿は絵がうまく、キャラクターの造形や動きで感情を表現します。
一方で新海誠は「絵を描くのは苦手」と公言していて、静止画に代表される背景や、言葉に注力してきました。今までにない方法論だったわけですが、これが成功したことで他作品にも影響を与え、日本アニメ業界の作り方を変えてしまったのです。
――『君の名は。』以降、確かに似たような作品が増えた印象です。
土居 宣伝の仕方も含め、表面上似ている劇場用長編が増えました。ただ、先ほども言ったとおり、新海誠はこれまでの日本アニメ業界の慣習の外からやって来た作家であり、業界内の叩き上げではない。作家自身のあり方までまねすることは構造的に難しい。
突然変異的に出てきた才能を業界で根気強く育成するというマネジメントの側面が重要です。その点、新海誠には二人三脚でやってきた川口典孝プロデューサーという大きな存在がいました。今回の本ではそういう存在の重要性についても語っています。
――新海作品を論じる上で、本書ではアニメーション自体の歴史についても書かれています。
土居 アニメーション黎明(れいめい)期の1910~20年代には、コマを連続的に撮ることができるアニメは、それゆえに「現実ではありえない動きを見せることこそが面白さだ」と考えられてきました。
だからこそ、スラップスティックが栄えたのですが、その後、ディズニーが動きをリアルにし、人間らしい感情を描き、映像に合わせて音楽を鳴らすことで感動を生み出すフォーマットを作り上げた。しかし、新海誠は音楽との調和については伝統を守る一方で、キャラの描写を匿名的にした。
――そこが革新的だったと。
土居 一方、『君の名は。』の大ヒットにより、新海誠は国民的作家になった。それまではアウトサイダーな個人作家出身という変わった立場だったものが、一気にメインストリームになった。「世界は壊れたままでいい」というテーマを押し出した『天気の子』は、「成功者の立場からの作品だ」という批判を浴びてもいます。
新海誠としては不安の時代に生きる若者に対する後押しのつもりだったわけですが、世界を壊した世代としての責任を果たさなくていいのか、と言う人たちもいました。
――そういう意味では、最新作『すずめの戸締まり』がどのような作品なのか気になります。すでに土居さんは小説版を読まれたそうですね。
土居 今の話の流れで言えば、『天気の子』の反省の後に、『君の名は。』をもう一度やり直した感じ、でしょうか。
隠さずに言うと、震災をテーマにした作品なんです。過去に繁栄したものが消えていく、生きていたものが死んでいく、その中で自分たちは生きていく必要があるのだ、といった自省的と言ってもいいようなメッセージが、震災に対する鎮魂を通じて描かれています。かなり意外な物語やテーマの選択だったので、驚きました。
――『君の名は。』もやり直しの物語ですが、その『君の名は。』をやり直していると。
土居 『君の名は。』は、傍観者たちが震災を忘却していく物語としても読める、と批判されました。その意味では、『君の名は。』が選ばなかったルートを選んでいるとも言える。
新海誠は時代をとらえることにたけた作家で、『君の名は。』以後は勝ち馬に乗っているようにも解釈できてしまう物語を語ってきましたが、今回は違うほうを向いたと言えるかもしれない。向き合わずにいたものに向き合う物語で、個人的にはかなり心を動かされました。
――小説版でも十分に感動できる仕上がりなんですね。
土居 普通に泣いちゃいましたから(笑)。今のまとめ方だと、なんだか非常に内省的で小さなスケールの物語に思えるかもしれませんが、映画化されたときの見どころは、新海作品史上最高スケールのアクションシーンだと思います。
日本各地で神道の要素を交えたバトルが繰り広げられていく。巨大なスクリーンで、良い音響で見る価値のある作品なのでは、と期待します。僕は子供が生まれたばかりなのですが、非常に優れたジュブナイルでもあって、大きくなったら見せたいな、と思える作品です。
●土居伸彰(どい・のぶあき)
1981年生まれ、東京都出身。アニメーション研究・評論家、株式会社ニューディアー代表、ひろしまアニメーションシーズン プロデューサー。非商業・インディペンデント作家の研究を行なうかたわら、作品の配給・製作、上映イベントなどを通じて、世界のアニメーション作品を紹介する活動に関わる。著書に『個人的なハーモニー ノルシュテインと現代アニメーション論』『21世紀のアニメーションがわかる本』(共にフィルムアート社)、『私たちにはわかってる。アニメーションが世界で最も重要だって』(青土社)
■『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』
集英社新書 990円(税込)
『君の名は。』と『天気の子』が大ヒットを記録し、日本を代表するアニメクリエイターになった新海誠。宮崎駿や庵野秀明とは異なり、大きなスタジオに所属したことがない異端児の彼がなぜ、「国民的作家」になりえたのか。評論家であり、海外アニメーション作品の紹介者として活躍する著者が、新海作品の魅力を世界のアニメーションの歴史や潮流と照らし合わせながら分析。新海作品のみならず、あらゆるアニメーションの見方が変わる一冊