『かなしきデブ猫ちゃん』の作者、早見和真氏(左)とソウル・フラワー・ユニオンの中川 敬氏『かなしきデブ猫ちゃん』の作者、早見和真氏(左)とソウル・フラワー・ユニオンの中川 敬氏

愛媛新聞、神戸新聞での連載が絵本として出版され、西日本を中心に話題となっている創作童話『かなしきデブ猫ちゃん』

前編に続き、ソウル・フワラー・ユニオンのフロントマン中川 敬(なかがわ・たかし)氏と小説家・早見和真(はやみ・かずまさ)氏の対談の後編では、ソウル・フワラー・ユニオンの「満月の夕」誕生秘話、1995年に起きた阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件という時代に大きな爪痕を残した災害、事件をふたりはどう見てきたのか、そこから考える「語り継ぐこと」の意味について語り合う。

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■書いた日にちをはっきり言えるのは「満月の夕」だけ

早見和真(以下、早見) もうひとつお聞きしたかったのが、中川さんが神戸の被災地で慰問ライヴを続ける中で作られた「満月の夕」という曲のタイトルについてです。阪神・淡路大震災のあった95年1月17日は満月だったといわれています。この曲が誕生した経緯を、あらためて教えてください。

中川敬(以下、中川) 2月14日に神戸市長田区の南駒栄公園にあった避難所から呼ばれて演奏することになった。神戸の避難所でのライヴはこの日が3回目で、ちょうど1月17日から一巡目の満月の夜やったんよね。19時から演奏する予定やったのが、大阪神戸間の大渋滞で、避難所に着いたのが21時ごろになった。オッちゃん、オバちゃんらが毛布にくるまりながら「あんたら、遅いで!」って。

俺は「ごめん、ごめん、すぐ演奏するわー」とか言いながら用意をして......、演奏が終わったのが23時頃とかでね。終わった後にドラム缶のたき火を囲みながら、被災者の人たちと酒を飲んでたら、ひとりが空を見上げて「満月見るの、怖いわー」って言い始めた。その後、みんなが口々に空を見上げながら「うわー、満月、怖いなあー」って。俺ら、演奏中には満月に気づいてなくて、そこで初めてその日が満月ってわかったんじゃないかな、確か。ちょうど震災から1ヵ月の頃で「大きな余震が来るぞ」っていう噂が飛び交っていたんよ。

早見 リアルですね。「満月、怖い」って。

中川 それで次の日に一気に書いたのが「満月の夕」やった。だから、実は震災後の「神戸」を知り抜いたあとに書いた曲ではないんよね。今まで200曲以上、曲を書いてきてるけど、書いた日にちをはっきりと言えるのはこの曲だけやね。

早見 でも、その95年2月15日に書き上げた歌詞とメロディーが、28年後の小説家にまでちゃんと届いた。

中川 早見さんのセンスがいいんじゃないの?(笑)。「満月の夕」はほんとに無数にエピソードがあってそれこそ5時間ぐらいしゃべれるねんけど(笑)、震災から2、3年後に仲良くなったNHKのディレクターから聞いたエピソードがあって......、彼があるとき、仮設住宅の取材をしてたら、有線で「満月の夕」がかかってた。

そのとき、子どもが近づいてきて「オッちゃん、この曲、何の曲か知ってる?」っ聞かれた。そしたら、その子が「これな、僕らの曲やねん」って言ったと。97年くらいかな。それを聞いて「よっしゃあー」と思ったね。これこそ、俺にとっての大ヒットやと。

早見 わかります。ほんと、そうですよね。

■「語り継ぐ」ということ

早見 震災があった95年は、高校2年から3年に上がる年でした。僕は、神奈川県の高校の野球部にいて、春のセンバツに出ているんですね。

中川 マジかいな(笑)。

早見 補欠だったんですけど、監督の指示を選手に伝える伝令とかをやってました。阪神・淡路大震災が起きた数週間後に「春の甲子園が中止になる」っていう噂が駆け巡ったんですよ。そのとき今思えば自分勝手だった僕は、本当に腹が立ったんですよね。

中川 なるほど。でも、俺もそのとき、中止になるのは仕方ないと思ってたよ。

早見 そうですよね。でも、僕は当時取材に来ていた新聞記者に「皆さんにとっては毎年ある甲子園かもしれないけれど、僕らには人生で唯一の甲子園なので奪わないでください」みたいなことを話したんです。それが記事にはいっさい使われなかったことを、すごく覚えている。

でも結局、甲子園は開催されることになって3月に兵庫に行ったとき、なんて自分の発言は傲慢だったんだろうって心底思わされました。あのとき目にした兵庫の街並みに、17歳の僕はショックを受けたし、いまだに鮮烈に残っています。

中川 俺も最初に兵庫県に入った日のことは覚えてる。武庫川を越えたら、車窓の景色が全壊の家だらけになっていってね。車を停めてコンビニに行こうとしたら、目の前のがれきの中に、壊れたピアノと、阪神タイガースのメガホンが転がってて。

人々の営みが破壊されたということを、テレビを通じて頭だけでわかってたんやけど、体全体で理解した瞬間やった。あの光景は忘れられへんね。

神戸の夜景を見下ろす猫たち。『かなしきデブ猫ちゃん マルのはじまりの鐘』より神戸の夜景を見下ろす猫たち。『かなしきデブ猫ちゃん マルのはじまりの鐘』より

早見 同じ95年の3月20日、東京では地下鉄サリン事件がありました。僕は高校の終業式だったんですが、「地下鉄でテロがあった」「誰々が巻き込まれた」っていう噂が広まって、生まれて初めて同世代の人間が死ぬんだっていうことを直視した瞬間でした。

大阪に住んでいた中川さんの目に、この事件はどれぐらいリアリティをもって感じられましたか?

中川 その頃は、頻繁に神戸の被災地に入ってる時期で、当然、事件のことはテレビで見てるという感じやったよね。

早見 やっぱり、遠い出来事でしたか?

中川 正直、そうやったと思う。95年に東京には取材やライヴ、レコーディングで何度も行ってるけど、東京で会う人たちは俺らの被災地での活動も知ってたから、「神戸はどう?」って聞いてくれる。でも、だんだん話題の中心は地下鉄サリン事件になっていくんよね。

もちろん、事件のことを軽いことだとはぜんぜん思ってなかったけど、「もっと神戸のこともやってほしい」って、マスコミに対しては思ってたね。

早見 それでいうと、僕が愛媛に住んでいたときに西日本豪雨(平成30年7月豪雨)がありました。愛媛県南部が壊滅的な被害を受けて、僕はそれこそデブ猫ちゃんに書かなきゃいけないと思って被災地の現場に入ったんです。そのとき町の人たちが「東京の人たちは被災地のことを見てくれない」と、しきりにおっしゃっていたのが印象に残っています。

その気持ちはすごく理解できたんですが、一方で愛媛に引っ越して僕が驚いたのは、町全体で東日本大震災のあった3月11日の14時46分に黙祷の時間が取られていなかったことでした。

誤解を恐れずにいえば、遠くで起きた自分たちとは関係がないものと見ている人たちが、いざ自分が当事者になったときばかり世間が冷たい、と言っているように僕には見えてしまったんです。自分が被害を受けて、初めて想像力が働くというか。

中川 そうやね。もちろんすべてではないけど、人間ってそれをずっとやってる部分があるから。それこそ過去の戦争の話でも、当事者の「忘れたい」という気持ちに乗じて、どんどんみんなで忘れていく。そして、誤情報を真に受けたり、陰謀論にハマったり。

早見 どうして同じことを繰り返すんですかね。

中川 凡庸な答えやけど、やっぱり「語り継ぐ」っていうことが大事やねんな。みんなが同じ問題、ひとつのイシューに同じ温度でかかわれるとは限らない。だから、それを知っている人間が徹底して語り継いでいくことなんよね。しつこく。

早見 まさにそこが僕が一番テーマにしたかった、聞きたかったことでした。今回の絵本に収録している「震災編 祈りの朝」の中では、30年近く前の震災について、主人公のデブ猫・マルに「つらい記憶なら忘れた方がいいじゃないか」っていうセリフを言わせているんですね。

つらい歴史を語り継いでいくべきだという気持ちは、僕にも当然あるんです。でも、それって誰かに与えられた、それが善だ、正義だっていうルールな気もしているんです。なんで語り継いでいかなきゃいけないかというのを言葉にするには、わりと言葉をかみ砕いていかないと、たどり着かないなと思っているんです。

中川 人間はこうあるべきだ、なんていうのは、俺は基本的に信じてない。だから、語り継ぎたいという熱情がある人間が語り継ぐねん。災害のことであれ、戦争のことであれ、なんであれ、語り継ぐ人が常にいたから、俺らはそれを知ることができる。熱情がある人間がそれをやる。で、それを聞く。

■デブ猫ちゃん、次の旅先は?

中川 俺らは被災地で演奏するときは「ソウル・フラワー・モノノケ・サミット」っていうバンド名でやるんよ。「モノノケ」って何かというとね、鬼っていうのはもともと山の民じゃないかとか、河童っていうのはやっぱり水の民じゃないかとか、各地にいろんな伝承があるでしょ。ほかにも、アイヌにはコロポックルがいて、沖縄にはキジムナーがいて、みたいな。

そこに引っかけてて、「モノノケが集まってサミットを開いたほうが、ホモサピエンスよりいいんとちゃう?」っていうギャグみたいな話から、このバンド名が決まったんよね。だから、早見さんのデブ猫ちゃんの世界、俺の中ではモノノケ・サミットとちょっと被ってる。

早見 ありがとうございます。光栄です。

「地方紙と手を組んでいきたい」と話す早見氏(左)。「沖縄編、北海道編、広島編、長崎編も読みたい」と語る中川氏「地方紙と手を組んでいきたい」と話す早見氏(左)。「沖縄編、北海道編、広島編、長崎編も読みたい」と語る中川氏

中川 ホモサピエンスより猫のほうがちゃんとしてるんじゃないの、みたいな(笑)。そんなデブ猫ちゃんが今後も続いていってくれたらなあと願ってます。

デブ猫ちゃんが旅を続けるなら、沖縄編とか北海道編はどう? 沖縄戦やアイヌのおじいちゃん猫、おばあちゃん猫の幽霊が出てきてほしい。もちろん広島編や長崎編も読みたい。それを子どもたちに読ませたい。

早見 僕は、デブ猫ちゃんでその町のことを語るなら、地方紙と手を組んでいきたいんです。例えば、兵庫のことを語るなら神戸新聞と手を組む。それで週1日でいいから、子どもたちに新聞を自分の手で取ってもらいたい。それは美しいことだと本気で思っているんです。

中川 いいと思うよ。たくさんの人に届いたほうがいいしね。今は早く、神戸編の物語を紙の本で手に取って読みたいです。今日は楽しかった、ありがとう。

早見 こちらこそ、本当にありがとうございました。

中川 敬(なかがわ・たかし) 
1966年生まれ、兵庫県西宮市出身。ニューエスト・モデルなどのバンド活動を経て、93年にソウル・フラワー・ユニオンを結成。ロック、アイリッシュ、ソウル、ジャズ、パンク、レゲエ、民謡など、さまざまな要素を取り込み、日本の土着的グルーヴとロックンロールの、ソウル・フラワー流ミクスチャー・スタイルを確立。95年にはソウル・フラワー・モノノケ・サミットを結成し、被災地での出前慰問ライヴを開始。2011年にソロ・デビュー。ソロ、バンドともに精力的に活動を続け、今年、ソウル・フワラー・ユニオン「結成30年周年記念ツアー」を行なった。活動の詳細は公式ホームページにて。
【公式ツイッター】@soulflowerunion

早見和真(はやみ・かずまさ) 
1977年生まれ、神奈川県横浜市出身。2008年、高校野球部時代の自らの経験を基に描いた青春小説『ひゃくはち』(集英社)でデビュー。15年『イノセント・デイズ』(新潮社)で第68回日本推理作家協会賞受賞。20年『ザ・ロイヤルファミリー』(新潮社)で第33回山本周五郎賞受賞。『かなしきデブ猫ちゃん』シリーズは、18年に愛媛新聞でファーストシリーズの連載が始まり、セカンドシリーズ『マルの秘密の泉』、サードシリーズ『マルのラストダンス』と続き、いずれも絵本として出版。ファーストシリーズは集英社文庫から発売されている。22年から神戸新聞で兵庫編『マルのはじまりの鐘』の連載が始まり、今年4月からセカンドシーズンが開始。4月20日には集英社文庫から『かなしきデブ猫ちゃん マルの秘密の泉』が発売。
【公式ツイッター】@joeulittletokyo

『かなしきデブ猫ちゃん兵庫県 マルのはじまりの鐘』 
早見和真/文 かのうかりん/絵 
京阪神エルマガジン社 1980円(税込) 
吾輩(わがはい)もネコである。名前は、マル。四国の愛媛県を3度も旅したクールなハチワレ猫として有名だ。最初の記憶は松山市の捨てネコカフェ。そこでアンナという人間の女の子と会い、道後の家で一緒に暮らすようになる。アンナはオレの大親友。人間たちがオレを「かわいくない」と言ってきても、アンナは一人「マルはクールなの!」と守ってくれた。でも、ある晩、窓の外から黒いメスネコがオレに告げた。「気高き者よ。その目で広い世界を見るのです──」 ニャーーーーーン! 体の奥底に震えを感じ、オレはアンナの家を飛び出した。ある時はあの日の黒ネコを探すため、ある時は病を治す秘密の泉を探すため、そしてある時は最高のダンスを踊るため。旅の途中、オレはいろんなものを見た。大切な仲間たちとの出会いと別れ、そして恋。冒険はいつだってオレに大切なものを教えてくれる。「もっと広い世界を見てみたい」。乗り込んだ船が向かった先は兵庫県。そこには5つの国があるという。きっと胸躍る体験が待っているに違いない──。 愛媛新聞と神戸新聞をまたにかけた、地方紙史上かつてない壮大なプロジェクトがここに始動。デブ猫マルの愛と哀しみの物語、ついに開幕! 
【公式ツイッター】@debunekocyan