ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』にて連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」がスタートした! 第2回は「ラッパーとしての過去と未来」。
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★今週のひと言「好きなことがそのまま仕事に。ラッパーとしての過去と未来」
2回となる今回は、僕の好きなものについて語らせてもらいましょう。
恵まれていることに、好きなことが仕事になっているタイプなので、僕に対して抱いている世間的なイメージが割とそのまま僕の趣味だったりします。
ヒップホップ、グラビアアイドル、マンガ、昆虫、柄シャツ、子育てなど。
いつの頃からか、自分の趣味や興味がそのまま仕事に直結することを自覚してからは、そのとき抱いた興味やハマっているものなど、出し惜しみせずむしろ積極的に発信してきました。
現在、多岐にわたる活動の中でも肩書としているプロラッパー、ヒップホップに関しては、90年代後期、Dragon Ashを筆頭としたミクスチャーバンドが隆盛を極めていた頃、当時高校生だった僕はそれらにどっぷり傾倒し、より純度の高い音を求めて日本語ラップにハマっていくことになります。
ラップを聴きあさるうち、自身でもやってみたくなり、大学卒業後、フリーターになったタイミングでラッパーになりました。ただ、当初は純粋にラップがしたかっただけなので、その道のプロになって、ラップで生活していこうだなんて大それたことは考えてもいませんでした。
ラップしたい→人前でやってみたい→あわよくばオリジナルの曲を作れたらいいな。
ぐらいで、その後CDを出したり、地元・名古屋以外でLIVEをしたりなんてのは、成り行きでそうなったに過ぎません。
多くのアーティストが目指し、目標に掲げているような大舞台での単独LIVEや、いかにもヒップホップらしい成功などは、最初から、そして依然として興味がなく、ラッパーとしての自分の欲はすでにかなり早く、低い段階で満たされているのです。
そこから先、つまり現状はボーナスステージみたいなものなので、ラッパーとしての活動で悩んだり、無理したりした記憶はほとんどありません。そもそも自分が最も深くラップに傾倒していた20代前半は、ヒップホップ的にはいわゆる冬の時代と呼ばれていました。自分が活動していた名古屋はおろか、東京にすらラップだけで生活できていたアーティストなんか両手で数えられるぐらいしかいなかったんじゃないでしょうか。
そんな背景もあり、本業の傍ら、お小遣いになる趣味程度にラップは続けていくんだろうなと覚悟していました。その一方で、心のどこかでは、自分は必ずいつか遅かれ早かれ誰かの目に留まり、発見され、脚光を浴びることになると予感していたのです。
一見矛盾していますが、その予感があったからこそ、悩まず焦らず、名古屋でじっくりとその時を待ちながら活動できたのだと思います。
そしてその予感は30歳を過ぎる頃に現実となり、それ以降は音楽一本で家族を養えるようにはなったのですが、ここ1、2年は予期せぬテレビ露出などで飛躍的に認知度は上がり、とうとう週プレで連載を持つまでになりました。
しかし、現状はその認知に見合うヒット曲があるわけでもなく、テレビ番組でラップを披露するような場面もほとんどありません。
皮肉にもかつて自分がひそかに憧れ、周囲にもうそぶいていた「なんだかわからないけどちょこちょこメディアで目にする助平(スケベ)な文化人」になれた、と言うべきか、なってしまったのです。
いつかは国民的なヒット曲をぶちかまして「ラッパー呂布カルマ」として認知されることを虎視眈々(たんたん)と狙いつつ、次回以降ラップの話なんかしませんので、緩くお付き合いいただけたら幸いです。
●呂布カルマ(Ryoff Karma)
1983年1月7日生まれ、兵庫県出身。名古屋市在住。JET CITY PEOPLE代表。ラッパーとして活躍する一方、グラビアディガー、コメンテーターとしても異彩を放つ。
公式X(旧Twitter)【@Yakamashiwa】