『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では「子育て」について語った。

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★今週のひと言「かつての子供嫌いが一転、僕の趣味になった子育て」

今回は僕の一番の趣味というか、関心事というか、興味について。それは子育てです。こう見えて8歳の娘と3歳の息子を持つ2児の父親です。仕事で家を空けることも多く、ほぼすべての育児を嫁さんに任せっきりにしている自分が子育てについて語る資格はあるかと問われると若干苦しいのだが、いわゆるイクメンではなくとも、子を持って気づいた男の、一個人の感想として受け取ってほしい。

初めて酒で酔っぱらったときや、免許を取って車でどこへでも行けるようになったとき、そして童貞を卒業したとき......。これまで人生観が変わる体験がいくつかありましたが、中でも親になったときは別格でした。

僕はもともと子供嫌いでした。理屈は通じないし、やかましく、疎ましく感じていました。しかし、妻からの妊娠報告を受けた途端に百八十度逆転しました。すべての子供が尊く、まぶしく見えるのだから不思議です。こんなにも面倒くさく、時間と犠牲を払う子育てなんてものは、自分の遺伝子を残したり子孫繁栄のために仕方なくやっているのだと思っていましたが、実は単純に楽しみとして幸せを感じながら子育てしていたんだと理解したのです。

これまで『たまごっち』こそやらなかったものの、いくつもプレイしてきた育成系ゲームの数々。そうした体験の究極が子育てなのだと感じられるのです。

しかも面白いのが、ある意味、子育てはわれわれにとって初めての体験ではないということ。何しろ自分自身が育てられる側として過去に一度経験しているのです。わが子に童話を読み聞かせたり、一緒に童謡を聴くとき、それはとっくによく知った物語であっても、大人になった今、改めて触れると、その中に隠された教訓やメッセージに気がつく。僕は娘に『シンデレラ』を読み聞かせながら、自宅のダンスパーティに街の若い女を招待し、嫁選びをするような男に憧れてはいけないよ、とくぎを刺すのです。

息子に『仮面ライダー』や『機動戦士ガンダム』の食玩を買い与えるときも、親が絵に描いてやることさえ困難なデザインの令和、平成の仮面ライダーや、ごちゃごちゃとパーツばかり増えてすぐ故障しそうな現代のガンダムより、僕が幼少期に触れた昭和のシンプルで、力強い仮面ライダーやモビルスーツのデザインがいかに優れていたのかを思い知るのです。

自分が子を持って思うのは、自分が親にしてもらったことは最低限してやりたいな、ということ。

僕自身は特に不自由のない子供時代を過ごしたので、わが子にも不自由な思いはさせないようにしたいのだが、もし僕が両親からろくに愛情を注がれず、不遇な少年時代を送っていたとしたら、どう思うのだろうか? 例えば大金持ちの家に生まれ、僕よりも手厚いサポートを受けて育った人は、僕がわが子にしてやりたいと思っている程度のことでは足りないと感じるのだろうか? 

つまり僕が両親から受けたサポートと、わが子にしてやりたいと思っていることのレベルがたまたま合致しているだけの可能性もあるということだ。

それか自分が不遇だったならわが子には同じ思いをさせまいと思うだろうか。逆に贅沢(ぜいたく)ざんまいで育てられていたら自分の子供は甘やかさずに育てたいと思うだろうか。

あと数年もすれば、上の子は親の手を離れ、自分で選択した人生を歩む。そのとき過保護に、過干渉にならないよう、今のうちから子離れする覚悟を決めておかねばならない。断腸の思いで。