『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ 『週刊プレイボーイ』でコラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」を連載している呂布カルマ
ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『晴れ男』について語った。

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★今週のひと言「明らかに俺のはレベルが違う。真の"晴れ男"の条件」

今年はかなり早い時期から夏が来ていたのでなんとなく梅雨を忘れていたけど、やっとというか、別に待ってもいなかったんだけど、今年も律義にやって来ました梅雨。

一部のひねくれ者や砂漠国出身者以外はだいたい雨天よりは晴天を好むと思っているのだが、"晴れ男(女)"についてはどうか。

てか、自らを晴れ男だと宣言している男をどう思うか。

どことなくバカっぽく映るんではないだろうか。

何を隠そう俺は晴れ男だ。それも歴史に名を残すほどの晴れ男であると胸を張っている。

いつから晴れ男だと自認し、それを隠しもせず、吹聴するようになったのかは覚えていないが、俺がそう思うに至ったエピソードは数え切れない。

雨の日に自分が家を出るタイミングでぴたっと雨が上がる、なんてベタはザラだし、たとえ天気予報が雨だったとしても、俺が晴れると言えばその日は晴れる。実際晴れてきた。

例えば、野外の神社で予定されていた嫁の兄の結婚式。予定日の天気予報は雨で親族一同心配していたのだが、「俺も式に出席するので必ず晴れる。安心してくれ」と伝えていざ当日、俺の予言どおり蒼天(そうてん)の中、無事に執り行なわれた結婚式。

そうなるとこの晴れは俺の手柄になる。

逆にそこで黙っていて晴れたとしても、それはただ天気予報が外れただけだ。

テレビのロケでもそう。車での移動中や屋内にいるときに雨が降り出したとしても、「ロケが始まるまでに必ずやみます。俺は晴れ男なので」と伝える。半笑いで受け流していたスタッフもそれで実際に晴れるのだから認めるしかない。

こうやって言えば言うほどバカっぽいし、実は俺もそんじょそこらの晴れ男のことはただのポジティブだろうとバカにしてしまっている部分がある。しかし、俺のはレベルが違う。

よく勘違いされるのだが、晴れ男にだって雨の日はある。

晴れ男にも逆の雨男にも、同じ街に暮らしていれば当たり前に同じ量の雨が降っている。要はタイミングの話だ。俺にとって降られては困るタイミングで雨が降らないということ、そしてそれを宣言する勇気だ。

実際俺にも、本当に晴れさせているのか、今降っている雨が都合よくやんでくれているのか、そんなことはわからない。なんの確証もない。

黙っていれば天気予報のせいにできる。それでも自分の「晴れ男」の名にかけて宣言をする。外れてしまえば、その雨は俺のせいにされてしまう。逆に晴れれば俺の手柄だ。つまりその賭けに勝ち続けてきた勇気ある男だけが晴れ男だと名乗れるのだ。

それと、もうひとつテクニックがある。雨の判定だ。

俺は小雨ぐらいでは傘は差さない。

それを雨だと認めないのだ。心地よい大粒ミストの中を晴れ男然として堂々と歩く。金玉の裏や財布の中の札まで濡れてしまうような雨や、携帯が水没する恐れがあれば傘を差すが、そこまでではない場合は傘は差さないし、そもそも傘を持っても出ない。

そうした豪胆さと小雨に濡れたぐらいで風邪をひかない肉体の強さも、晴れ男の条件だ。

世間が今までバカにしてきただろう晴れ男が、いかに勝負強く、運の女神からも愛され、そして強靱(きょうじん)な心身に恵まれた男かが伝わっていれば幸いだ。

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