ラッパーとしてはもとより、グラビアディガー、テレビのコメンテーターなど、多岐にわたって異彩を放っている呂布(りょふ)カルマ。『週刊プレイボーイ』の連載コラム「呂布カルマのフリースタイル人生論」では『台湾LIVE』について語った。
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★今週のひと言「感慨深い台湾LIVE。謎が謎を呼ぶ出来事が!」
8月の半ば、台湾へ行ってきたので、今回はそのときの話をしていこう。
俺が台湾へ行くのは2度目で、前回はとある番組のロケで1泊2日でルーロー飯という台湾の郷土料理的な丼を食って帰るロケだった。
当時はまだまだコロナが落ち着ききる前で、出国するにも帰国するにもコロナの陰性証明やら何やらが必要で、金と時間をかけていろいろ用意してたどりついた果てに、1泊2日でその間3食ルーロー飯。いい思い出だ。
そして今回は、京都のDJ YASの親族が台北でクラブを経営しているということで、そのYASとセットで現地のLIVEに呼んでもらったのだ。
台北の松山空港の入国ゲートをくぐってすぐ、サイン色紙を持った台湾人中年男性が「呂布カルマさんですか?」と待ち構えていた。
日本では断るのだが、外国ということもあって写真とサインに応じた。
しかし不思議だ。
なぜ俺がこの時間にこの空港に降り立つことを知っていたのだ??
そう考えていると、空港から出たところでもうふたりの台湾人からサインと写真を求められた。
まぁ、この日にLIVEすることは当然現地でも告知していたし、熱心なファンが日本から来るこの便にヤマをかけて張っていたのか......?? 羽田空港でさえ声はかけられなかったが。
さらに解せないのはリハーサル前に当日の宿にチェックインしに向かったところ、ホテルに入ってすぐまたふたり組の台湾人から写真を求められたのだ。
なぜこの時間に俺がここに来ることを知っていたのだろうか?
これにはさすがにドッキリを疑ったが、だとしたら女性でなければ成立しない。
声をかけてきたのは全員もれなく眼鏡をかけた中年男性だった。
結局一連の待ち伏せの種明かしはなかったのだが、俺のファン層って......と若干不安になりながらLIVEに出演すると、現地の女性ファンも大勢来てくれていてやっと安心できた。
LIVE後には慣れない日本語でのファンレターや、片言の日本語での会話もできた。去年オーストラリアのシドニーでLIVEしたときもそうだが、基本的には日本語の通じない海外にも、こんなに俺の音楽を聴いてくれている人がいたことに驚いた。
日本国内でもいわゆるアンダーグラウンド日本語ラップに分類される俺の音楽は、謙遜なしにテレビなどの露出で得た俺自身の知名度に見合った成功を収めているとはいえない。
俺のファンの大半はMCバトルのファンで、俺の音楽を純粋に追ってくれているマニアックな人たちはそのほんの一部だ。
同じように台湾人の中にもマニアックに日本語ラップを追ってる層が一定数いるようで、めったにない俺の台湾でのLIVEに足を運んでくれたのだろう。正直、日本でLIVEするのと大して変わらないぐらい盛り上がった。
近年、台湾は1人当たり名目GDPで日本に迫るくらい成長している。しかし、街にはまだまだ古い建物も残っていて、目を凝らすといろいろ汚い。歩きたばこをする人もそこら中にいて、俺が小学生の頃住んでいた大阪の下町のような風情を感じる。30年前の日本みたいな感じだろうか。
今回も1泊2日の弾丸旅行だったのだが、日本から近いし、また時間ができたらゆっくり観光も楽しみつつLIVEに行けたらいいな。