保険によりあまり意識することなく受けられている日本の医療。しかし、その幸福は安泰ではないかもしれない

アメリカの国民に危機が迫っている。昨年導入された“オバマケア”に追い詰められているのだ。

オバマケアはアメリカ初の国民皆保険制度。医師・作家の鎌田實氏は「オバマも当初は日本のような国民皆保険制度を目指していたと思う」と推測するが、現実は大手製薬企業と保険会社による寡占化に飲み込まれ、「医療」が「商品」化してしまっている。

自由競争が起こり、保険価格も下がる目論見だったが、むしろ、ほとんどの州で保険料は下がるどころか保険会社が利益を優先して保険料を上げたり、保障内容を狭めたりというケースが急増、多くの保険者がオバマケア前より苦しむことになった。(詳しくは【前編】参照 http://wpb.shueisha.co.jp/2015/01/31/42694/

そんな悲惨な状況に陥っているアメリカだが、実は他人事ではない。『沈みゆく大国アメリカ』でオバマケアの欠陥を浮き彫りにしたジャーナリストの堤未果氏も、日本に飛び火する可能性があると指摘する。

その堤氏と鎌田氏が問題点を語る、第2回。

■日本の皆保険制度はこうして崩壊させられる

―アメリカは大変なコトになっているようですが、日本には世界に誇る「国民皆保険制度」がある。日本はアメリカのようにはならないと思うのですが。

鎌田 いや、安心はできないでしょう。今年の春頃にはTPPが合意しそうだけど、アメリカの保険会社はもう何年も前から日本の保険の自由化を言ってきている。

それと、これは僕も堤さんの本で知ったんだけど、安倍政権は去年、これまで禁じられていた「非営利の持ち株会社」による医療法人設立を認める閣議決定をしているんだね。

 はい。去年の6月、国会が終わった直後で、マスコミも国会の話題を報じなくなったときにササッと閣議決定で。

すでに日本でも始まった医療の商品化

―「集団的自衛権」のときと同じ手法ですね。でも、持ち株会社の参入が認められると何が問題なんですか?

 これはアメリカでも急激に進んでいる寡占化の流れのひとつで、「大型ショッピングモールの医療版」とイメージしてもらうとわかりやすいと思います。

つまり、持ち株会社が医療法人チェーンを設立し、地域の介護施設や老人ホーム、診療所や中小病院をまとめて買収して傘下に入れてショッピングモールのように統合する。そうなると1ヵ所ですべて事足りるようになり、利用者は便利になる一方、周辺の小さな医療機関はいわゆる「シャッター通り商店街」と同じ運命をたどります。アメリカでは、大型スーパーのウォルマートが参入した地域でよくある現象です。

経営主体である持ち株会社には株主がいますから、最大の目的は株主利益を上げること。これをスーパーでやるのと病院でやるのとでは、地域に与える影響の大きさが違います。アメリカで何が起こったかというと、利益率が低くて医療事故のリスクが高い小児科や産婦人科、救急部門が次々に廃止されていきました。

鎌田 なるほど、それで人工透析とか、緩和ケアとか、儲(もう)かるところを逆に充実させると。

 そうです。地域から産婦人科や小児科、救急病院が消えても、決定権は株主にあるので住民はなすすべがありません。大型チェーン店には土地が必要なため、今この不動産を投資信託にした医療リート(REIT)という金融商品が投資家に大人気です。実はこれも「持ち株会社参入」とセットで、2014年11月から日本に入っています。

―アメリカと同じように、日本の医療を「商品」にしていく動きが始まっていると。

鎌田 一方、保険業界が日本の皆保険制度を切り崩すためのポイントは、アメリカがTPP交渉で日本に求めている「混合診療」の拡大だろうね。

今の日本の健康保険制度というのは、基本的な治療項目をほぼすべてカバーしていて、例外的にごく一部、例えばがんの重粒子線治療みたいなのを保険外にする「混合診療」を認めているんだけど、アメリカはこの「混合診療」の幅をもっと広げろって強く要求し続けている。

アベノミクスに隠された罠

―混合診療の幅が広がると、何が問題なのですか?

鎌田 今は日本で受けられる医療行為の99%は皆保険制度で守られていて、1%ほどが特別に保険外の自費診療として認められているんです。しかし、この先、混合診療の幅を広げていくとどうなるか?

将来、例えば保険外の自費診療の割合が3割に増えたら、国民皆保険制度が命を守れるのは7割になる。そうすると「皆保険だけではもう命は守れません」という宣伝の下、アメリカの医療保険会社が一気に入り込み、気がつけば日本の皆保険制度が「最低限の診療メニュー」を補うだけの位置づけになる危険性があるわけです。

新薬にしても、「良い薬ほどお金持ちが使ってくれればいい」と保険適用外にすれば、製薬会社が自由に価格を決められる。そうなれば保険診療では新薬を使えず、どうしても使いたければ自己負担となり、アメリカ同様、医療費がどんどん高くなる。今の日本のように医療費が安くて健康長寿な社会を守ることができなくなるんです。

 本当にそうですね。実はもう何年も前から、日本の薬価を決める仕組みにアメリカの製薬会社を入れろという圧力があり、これを厚労省が拒んできた。そこで新たな突破口として出てきたのが、アベノミクスの「第3の矢」、国家戦略特区のひとつとして注目されている「医療特区」での混合診療枠拡大です。

よく「特区の中だけの規制緩和なら別に問題ないのでは?」と聞かれるのですが、政府は特区だけで終わらせるつもりはありません。政府は、特区でうまくいったら全国展開しますと言っています。

さらに、一度、特区内での混合診療を許してしまうと、特区内での医療費は上がり、製薬会社は新薬を、公的な健康保険適用外の特区内で集中して売るようになるでしょう。その結果、公的な健康保険でカバーされる安い薬はどんどん減ってゆく。財務省は医療費が減って喜ぶでしょうが、公的な健康保険は形骸化し、患者は民間保険にも入らないと治療できなくなる。ここが外資系医療保険会社にとってのビジネスチャンス、今まさに参入準備を整えているところでしょう。

ある投資家は、「特区による医療費高騰が全国に広がれば、日本は100兆円規模の市場になる」と目を輝かせて言いました。私たちは憲法25条をベースにした国民皆保険制度という宝物を、彼らに売り渡してしまって本当にいいのか、今こそよく考えるべきです。

―皆保険制度に守られている日本人の命と健康を、新たな「市場」として狙っている連中がいる。安倍政権はそのお先棒を担いでいるわけですね。そしてその先に待っているのは、アメリカみたいに医療格差が広がった「命の沙汰も金次第」の世界。

鎌田 だからこそ、われわれ日本人が国民皆保険制度の大切さを理解し、この仕組みを守っていこうという意識を持つことが大事だと思いますね。医療や福祉、介護というのは金食い虫だと思っている政治家も多いけど、本当は国の経済を回す上で一番大切なのがこの領域。どんな社会でも、人の命や健康に勝る価値なんてあるはずないんだから。

(取材・文/川喜田 研 撮影/五十嵐和博)