「あのとき、もうひとつ病院に行けばよかった。あのとき、信じなければよかった。あのとき、、、」
小林麻央さんが亡くなって約3ヵ月。彼女が残したブログの中で、最も後悔のにじんでいたこの文章に、無念さを共有した人も多いはず。
どうすれば後悔のない、納得できる医療を選択することができたのか--それは彼女が私たちに残してくれた課題のひとつに思えてならない。
『迷走患者 〈正しい治し方〉はどこにある』著者の岩瀬幸代(さちよ)がレポートする。
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某週刊誌は亡くなって間もなくこの後悔のコメントを捉え、彼女が海老蔵さんとともにがんが発見された当初、放射線や抗がん剤を組み合わせる「標準治療」を拒否して代替医療を信じたことを、“忌まわしい”という表現でバッシングした。気功を行なっていたと報じたが、真実はわからない。
批判することは簡単だ。だが世間には代替医療に対する批判だけではなく、これで治った!という称賛の情報もまた溢(あふ)れ、かと思えば西洋医療に対しても、この治療はダメだ、この薬は危ないと叩く記事や書籍が次々話題になる。そんな賛否両論渦巻く中で、患者が医療選択に迷っても、ある意味仕方ないのではないか。
もちろん西洋医療ですべてが治り、副作用もないのなら迷うこともないだろう。だがそうではない場合、別の医療に希望を見出そうとすることを否定はできない。どこかに自分を治してくれる方法があるはずだとさまよった経験のある患者は、麻央さんだけではない。
患者はどうすれば迷走から抜け出し、納得できる医療にたどり着けるのか。一体、何が迷走させる原因になっているのか。まずは経験者に話を聞いてみよう。
■病院を転々としながら代替医療。迷走を続けた8年間の末に
神奈川県に住む40代の女性、愛子さん(仮名)は8年間、迷走を続けた。ある日突然、左目の周囲を中心に左顔面全体がひどく引きつる痙攣(けいれん)を起こした。人と会うのも苦痛なほどひどい症状だった。何科へかかっていいのかも判然としないまま神経内科、脳外科、整形外科、眼科と病院を転々と訪ね、行きついたのは心療内科だった。だがすぐに納得できる医療を受けられたわけではない。
1軒目の心療内科の医師は「話は聞いてくれるけれど優しいだけで、明確な治療方針を示してはくれない。フィーリングが合わないと感じて行くのをやめた」。そして次に会った医師は、ひとり目とは真逆なタイプだった。「今度は、治療法は示してくれるけれど、こちらの話を聞いてくれない。医師が勝手に決めて、診断も下さないし、説明もせずに、これが一番効くからと抗うつ薬を渡された。目の痙攣なのに、なぜ抗うつ薬を飲まなければいけないのかも教えてくれない」。
ならば聞いてみればと思うが、「威圧的な態度だったので、反抗的になっちゃいけないと自分を抑えた」という。処方された薬剤の副作用で、服用から3週間後には6kgも体重が増えていた。
この間、愛子さんは1年かけて鍼(はり)も試した。だが痙攣はもとより、不眠にも肩凝りにも効果なし。そんな折、インド・スリランカに伝わる伝統医療のアーユルヴェーダを試してみることを思い立つ。すぐに予約を入れると現地に飛んだ。不思議なことに、治療を始める前から症状はピタリとやんだ。「転地療法は医師からも勧められていた。おそらくその効果だったのかな」と振り返る。
10日間の滞在中は止まっていた痙攣だが、帰国すると症状はぶり返した。アーユルヴェーダを日本で受けることも考えたが、医療として認められていない日本においては、サロンのマッサージに過ぎないと感じて断念。代わりに日本の伝統医療である漢方を試したが、全身に出た発疹と、高すぎる生薬の支払いに無理を感じて止めた。
自分に合う医師に出会うまで探すしかない
次に訪ねた3軒目の心療医療内科の医師も、漢方の煎じ薬は強すぎるので、処方する薬とけんかをする可能性があるから勧めないと、止めたことを賛成してくれた。この3軒目の医師の話には、愛子さんはことごとく納得させられた。
「話も聞いてくれるし適切なアドバイスもくれる。薬の説明もして、太らない薬に変えてくれた。痙攣とうつとの関係はないときっぱり言い、なぜ痙攣を起こしているのかはわからないと正直に話してくれることも好感が持てた。痙攣も自分の一部としてまずは認めてあげなさいと言われ、今まで、なんでなんで?と重荷になっていた気持ちが軽くなり、曇り空が晴れる思いだった。しかも著名な医師なのに同じ目線で話してくれる」
今はむしろ医師に会いに行くのが楽しみだとも言う。痙攣は、仕事関係で出会ったカイロプラクティックと灸の療法家による治療が成功した。「心療内科の先生に伝えると『すごい先生に会ったねー』と一緒に喜んでくれたことで、さらに信頼が深くなった」
最終的に、信頼のおける医師との気の合う関係性が彼女の迷走を止め、ようやく治療に納得することができた。愛子さんは言う。
「納得できる医療を受けるには、自分に合う医師に出会うまで探すしかない」
■費やした労力とお金は、一体なんだったのか
変形性股関節症を患い、代替医療で治療しようと迷走を続けたのは57歳の珠代さん(仮名)だ。ある日、鏡に写った自分の歩く姿を見て、おかしいと感じた彼女は近くの市民病院へ。すると変形性股関節症の初期と言われ、しばらくは経過観察をすることになった。湿布や電気治療、金の粒をツボに貼る整体などを受け「外科医は切りたがるからね」という施術者たちの声に頷(うなづ)き、切らずに済むと信じて治療を続けた。
だが5年が経過した頃、「いよいよ手術しかない」と、担当医は珠代さんに大学病院への紹介状を渡した。書状を手に出向いたものの「術後は股関節が90度以上曲げられなくなる」と説明を受けた彼女は、一家を支えるために働いている給食センターでの職を失うことになる…と急に不安になった。だが「手術しか方法はありません!」と医師はきっぱり告げた。患者が意見を言うことさえ拒否しているような態度が、逆に手術を遠ざけたという。
それから3年間、珠代さんは杖をつきながら「股関節痛は手術なしで治る!」と唱える代替医療を訪ね歩くことになる。整体、温熱、トリガーポイント療法、マイオセラピー、その他いろいろ…。
「インターネットで“股関節 切らない”とキーワードを入れると、様々な療法が出てくる。見ていると自分に都合のいい情報しか目に入らないし、施術を受けると一時的に良くなる。このまま治るかもと期待を抱かせる。誰かがなんとかしてくれると信じていた」
元々、彼女には西洋医療に頼りたくない気持ちが潜在的にあった。息子のアトピーと喘息がきっかけだ。病院から処方されたステロイドを多用する気にはなれず、ルイボスティーがいいと聞いて試すなど自己治癒力に頼った方法を実践しているうちに、なぜか症状は出なくなった。その経験が、切らなくても治ると信じる気持ちをどこかで支えていた。
同じ人なの?と疑うほど、先生の顔が違って見えた
だが職場に提出する診断書が必要になり、再び市民病院を訪ねると、左足は5cmほど踵(かかと)を足さなければ釣り合わないほど変形が進んでいた。そして医師が放った「あなたの変形性股関節症が手術しないで治ることは絶対にありませんよ!」のひと言で珠代さんはハッとし、手術を決めるのである。
「一体、今までの労力と費やしたお金はなんだったのかと愕(がく)然とした」
3年ぶりに大学病院に行くと、医師は放ったらかしていた期間を咎(とが)めるでもなく「決心したんですね」と優しく受け止めてくれた。珠代さんは言う。「手術しかないと言いきった3年前と同じ人なの?と疑うほど、先生の顔が違って見えた。たぶん、どちらも自分の気持ちがそう見せていたのだと思う」。
人工股関節にするなら、どの材質を使うかまで調べ上げていた珠代さんだったが、余裕のある医師の対応を感じて「何も言わず、すべてお任せしよう」という気持ちになった。手術は大成功し、給食の現場にも復帰できた。今も定期的に通っているが、会えば会うほどいい医師に見えてくるという。
代替医療を使い始めるきっかけや、使い続けるかどうかの判断はそれぞれ違っても、最終的には方向性を一緒に見定めてくれる“医師との信頼関係”が治療法に悩む迷走を終わらせてくれる。だが、珠代さんや愛子さんも一時期そうであったように、医師のかたくなな態度を見て言いたいことを言えなくなる患者は多い。
もし医師とのコミュニケーションがもっとスムースで、過度な遠慮をせずに済むなら、迷走を早めに終わらせ、納得できる治療にたどり着く近道になるはずだ。「お医者様には従うものだ」という前時代的意識からくる“遠慮”が、スムースな関係を阻害している現実はいまだ少なくない。
●第2回では、阻害要因を取り除くにはどうすればいいのかをリポート!
(取材・文/岩瀬幸代)
●岩瀬幸代(いわせさちよ) スリランカの伝統医療、アーユルヴェーダを取材し続けるライター。関連書5作を出版。『迷走患者――<正しい治し方>はどこにある』(春秋社)は、本人が難病にかかり、西洋医療と代替医療のはざまで悩みつつ理想の医療を見出していく、笑って泣ける社会派ノンフィクション