モルドバの首都キシナウの安宿で出会ったニック。ハンバーガーとコーラが似合いそうな典型的なアメリカ人といった感じだ。
彼のインスタを覗くと、顔にヌーブラを貼っていたり、お腹にケチャップで絵を描いたりと、とにかくふざけていて陽気なヤツ。そんな彼と一杯飲むことになり、私たちは宿近くのビアバーのカウンターに並んで座った。
「モルドバは良いところさ! なんせ物価がめちゃめちゃ安い。タダみたいなもんさ!」
ニックはまるで自分が大金持ちになったような態度でビールをあおり始めた。
「タダではないけどね......」
ご機嫌なニックにまんまのツッコミを入れつつ、すでにワインを2杯飲んできた私もついつい4種を飲み比べできるなかなかの量のビールを注文した。
私もこの国では経済的プレッシャーがなく、余裕を感じて過ごしやすい。モルドバはヨーロッパ最貧国のひとつと言われ、確かに物価はとても安い。
外務省の情報によると、この国の1人当たりGDPは約2000ドル(2016年)。街中の様子からはあまり貧困は感じなかったけれど、平均月給は日本円にして2~3万円程度だ。
モルドバ人の若いバー店員の男女2人はニックとは顔見知りでニコニコと笑っていたが、心の中でこの格差をどう感じているのだろうか。
ニックは酒が進むにつれてさらに調子に乗った。
「ここは天国さ。金が尽きたらアメリカに帰って数ヵ月働いて、またこっちに戻ってくればいい。ここはビールもタバコも1米ドル程度だ。タバコ吸うか? ほら、好きなだけ吸えよ! タダみたいなもんさ!」
先進国に住み価値の高い貨幣を持った人々が、物価の安い国で優雅に暮らすというカタチはよくあることだ。私もウクライナに行った時にそう思ったし、日本人もタイやマレーシアなどでそうやって過ごしている。
ところで、ここに来てから私が出会ったモルドバ人はみな、この若い店員ふたりも含め、皆愛想が良かったのだが、「モルドバ人は笑わないで仏頂面な人が多い! "グランピーキャット"って知ってるか? ほら、あんな表情をしている。そうだろ?」
ニックのそのセリフに店員ふたりも頷き、笑ってこう言った。「昔の人は特にそうだねぇ。そういうおじいちゃんとかいるよなぁ~」
グランピーキャットとは、なんとも言えない不機嫌そうな表情をした猫。2012年頃、その画像が世界的大人気のアメリカ発の掲示板サイト『Reddit(レディット)』でバズり、一世風靡したインターネット・ミームだ。
一体どんな表情なのかと、私が顔マネを頼むと、ニックは苦虫を潰したような顔をしてセリフ付きでモノマネしてくれた。
「ニエット! アメリカンスキー(NO! このアメリカ野郎め!)」
何かアメリカ人差別でも受けたことがあるのだろうか。言葉もロシア語であるため、モルドバ人というよりもアメリカ人に対してアンチテーゼを持つロシア人や旧ソ連系の老人という印象である(モルドバは旧ソ連の構成国のひとつ)。
そういえば、私が初めてロシアのモスクワに行った時、人々が愛想笑いをしないことに衝撃を受けたが、それと同じで作り笑いを良しとしない文化なのだろう。ニックのモノマネはいまいちであったが、私がロシアで感じたあれをニックも同じように感じたんだと思うと、なんだかしっくりきた。
そんな会話を、バーテンのふたりはグランピーな顔ひとつもせずに笑って聞いていた。
うん、モルドバ人は温厚だと思う。
アメリカやロシア、モルドバの話で盛り上がっていると、日本人の私に気を使ったのかバーテンの男の子が突然こう言った。
「アリガトウゴザイマス!」
「おお、日本語知ってるんだね! この国ではアジア人すら見かけなかったけど、どこで覚えたの?」
「日本のアニメだよ。『カウボーイビバップ』とか『ゴースト・イン・ザ・シェル』が好きなんだ。クールだよね!」
全然知らないアニメだ。調べてみると『ゴースト・イン・ザ・シェル』は『攻殻機動隊』のことらしい。海外で流行っているアニメといえば、ここ数年一番聞いたのは『NARUTO』で、あとはやっぱり『ドラゴンボール』が鉄板だろうと私の考えは凝り固まっていたが、
「イケてるアニメだぜ! 日本人のくせになんで知らないんだよ」
ニックも知っていたようで、3人の外国人に責められた。まさかモルドバで外国人に日本のアニメを教わるとは。それにしてもこんな遠くの小国で日本語や日本のアニメが流行っているのはなんだかうれしい。
私は彼らにこの国の言葉でお礼を言った。「ムルツメスク!」
そんなこんなで結構な量のビールを飲んだ我々はすっかり酔っ払い。会計になると、ニックは私の分もご馳走してくれた。
「もちろんさ。だって安いんだぜ! タバコいるかい? いくらでも吸えよ! タダみたいなもんさ!」
酔っぱらって同じことを何度も言いながら、"世界最強紙幣"米ドルをヒラヒラとさせるニック。私にとっては笑えたけれど、こりゃ、この国で「ニエット、アメリカンスキー」とか言われてもしかたない気がする。
宿に帰った私はそのまま寝落ちしたが、ニックは宿仲間と深夜まで騒いでいたようだ。
翌朝、宿の誰もが二日酔いのようで起きてこない。私は次の地へ行くため、静かに荷造りをして忘れ物がないか確認。
「そうだ、冷蔵庫に桃を入れてたな......」
この国へ来る道中で、桃売りのおばちゃんにもらったフレッシュな桃。私は食べるのを楽しみにしていた。
「そうだ、ニックには世話になったから(?)、置き土産にひとつ分けてあげよう」
しかし冷蔵庫の扉を開けると、アレ......? 私の桃がない......。どうやらしっかり誰かに盗まれていたようだ。
そこに寝ぼけ眼のニックが起きてきてこう言った。
「それがホステルさ......」
私は思わずグランピーフェイス。桃泥棒はニックなのではないかと疑いを持ちつつ、モルドバを去った。
【This week's BLUE】
キシナウの街中の鮮やかな青い屋根
●旅人マリーシャ
平川真梨子。9月8日生まれ。東京出身。レースクイーンやダンサーなどの経験を経て、SサイズモデルとしてTVやwebなどで活動中。スカパーFOXテレビにてH.I.S.のCMに出演中! バックパックを背負う小さな世界旅行者。オフィシャルブログもチェック! http://ameblo.jp/marysha/ Twitter【marysha98】 instagram【marysha9898】