ジャカルタのカプセルホテルの中。狭。テーブル広げてみた

「ジャカルタ、沈んじゃうんだってよ」

インドネシアの首都ジャカルタは人口1000万人超えの人口密度の高い大都市。近郊を含む都市圏の人口は3120万人を超え、東京都市圏に次いで世界第2位だ。

世界最悪とも言われる激しい交通渋滞、海面上昇や地盤沈下により、土地が消失し始めていて、2050年までには3分の1が水没する可能性があると専門家が警告している。

そのため首都はカリマンタン島に移転するという計画が発表されているが......。

ジャカルタの空港鉄道の車窓から見えた交通渋滞。奥には高層ビルが見える

「ジャカルタがなくなってしまう前に」

私はこの国の旅の最後の地にジャカルタを選んだ。実は私にはジャカルタに住むインドネシア人の友達がいる。昔オーストラリアにワーホリで滞在していた時のルームメイトたちだ。

当時ハタチくらいのカップルで、彼氏のほうは育ちの良さそうなおぼっちゃま。家には月8千円で雇っているお手伝いさんがいると言っていた。お母さんが国から遊びに来ると、手をつないでソファに座っていたのが印象的だった。

そして彼女のほうは情熱的なタイプで、時に怒ると少々ヒステリックになる女子っぽい女子。私が日本へ帰る時、小さなギフトと「シーユーアゲイン」と書いた手紙を持ってフェアウェルパーティー(送別会)に来てくれたのは懐かしい思い出だ。

私は彼女とFBでつながっていて、ここ7、8年くらいはどんどん色っぽい女性になっていく様子を見ていた。カップルだったふたりは別れていたが、今回せっかくだから彼女らの元を訪ねよう。

しかし、久々にFBで彼女のページを開くと、そこにはたくさんの「R.I.P.」という言葉が投稿されていた。(「Rest in peace(安らかに眠れ)」の意味)

ほんの1年くらい前、彼女は何らかの理由で亡くなっていたのだ。

「まだ若いのに、何で......」

その理由はわからないまま、私はFBで彼氏のほうを探した。ジャカルタへ行くことを連絡すると、すぐさまテレビ電話がかかってきて、スーツ姿で大人になっていた彼は元気そうであった。ぜひ会おうという話になったが、途中から音信不通になったまま、私はジャカルタに到着した。

2018年に開通したばかりの空港鉄道に乗る

「ジャカルタには何も観光するものないよ」

そう言われていた通り、本当に観光が何もなさそうなので、地味な旅をすることにした。

まずは空港から市内へ、2018年に開通したばかりの空港鉄道に乗る。できたばかりの駅や鉄道は近代的であったが、窓から見える線路スレスレのところで生活する人々の未開発な景色とのギャップは大きい。

できたてで、とてもキレイな鉄道車内

線路沿いには遊んでいる子供や生活する人々の姿があった

裸姿で線路沿いに座り込む人たちもいた

そして市内の玄関口となるBNIシティ駅を降りると、数台のワルン(屋台)が並び、コンビニがあるくらいで都会感は全くない。

中心地に行けば高層ビルや高級ホテルがあると聞いていたが、私には必要がなかったので、駅から徒歩1分のカプセルホテルに宿泊した。いや、ホテルという感じではなく、カプセルタイプの寝床のある安宿か。

BNIシティ駅すぐの宿の周りのワルン(屋台)

BNI駅から徒歩1分の安宿

宿の各寝床にはクローゼットのようなドアとロッカーが付いていて、開閉が電子カードキーなのがそこだけ近代的でアンバランス。まるで新旧が混沌とするジャカルタの街を象徴しているようだった。

引き戸をスライドさせるとベージュのシーツの敷かれた寝床に枕。体の小さい私ですら狭いと感じるスペースに、壁にはどこかの国の街並みだろうか、妙に派手なデザインの壁紙が貼られていて落ち着かない。

全く太陽の当たる様子などない閉鎖的な空間に少しベッドバグの不安があるが、小さなテーブルと鏡はありがたく、電源とUSB、換気扇も付いていた。

クローゼットみたいなカプセルホテル。私の部屋は右下

小さなテーブルと鏡はありがたい! 電源とUSB、換気扇も付いている

宿の共同キッチンではタンクトップ姿の日本人男子に会った。

「日本でやることがないからとりあえずインドネシアに来てみた。旅をしているわけではない。この先どうするか何も決めていない」

という、ちょっとヤバめの若者だった。20代半ばくらいに見えるが、何もせずに日本でぼんやりしているよりか幾分マシか......?

宿は1泊9万ルピア(約720円)と安いので暮らしてはいけるが、日々インドネシアのインスタント麺を食べてジムに通い2週間が過ぎたという彼の健康と若き日の貴重な時間を心配した。余計なお世話だが。

ランチタイムになると、10歳くらいのインドネシア人の少年がひとり自炊を始めた。親が仕事を探しに行っている間、この宿で暮らしているんだとか。

高度成長の著しいジャカルタへは、地方から仕事や教育機会を求めてやってくる人々も多く、それによる人口増加もあって街も人があふれかえったわけだが、おっと、もしこの土地が沈んでしまったら、どうなってしまうんだろう。

インドネシアの首都が移転すれば、人間も移動するのだろうか。

ところで、例えば東京が首都じゃなくなれば、いや、もし東京が沈みゆくとしたら......? ありえなくもない想像に、私は少し怖くなった。

キッチンで自炊を始めるインドネシア少年

続いて、キッチンに宿のスタッフたちが集まり、お菓子作りを始めた。

「インドネシアの伝統的スイーツで『パチャティナ』っていうんだよ」

香りを出すための葉っぱを茹でてココナッツミルクを足した液体に、ゼリーやタピオカ食感のものが入った甘いデザートだ(その後ネットで調べてみたが、その名前のものは出てこなかったので発音は定かではない)。

少年と宿スタッフのお菓子作りを見る

ゼリーやタピオカのようなものを茹でてココナツミルクと混ぜた菓子

みんなで試食しているところに、出張で1泊していたインドネシア人女子ティカが現れた。彼女は展示会だかの仕事でジョグジャカルタから来ていた勤勉な女性だった。

英語ができるので、私は彼女と近くのワルンに一緒に出かけ、ソト・ブタウィというスープを食べながらおしゃべり。

仕事でジャカルタに来た女子ティカと、親の都合で宿に暮らす少年

ソト・ブタウィ屋台。ブタウィとは植民地時代のジャカルタ労働者層のことを指すんだとか

ソト・ブタウィ。芋や肉や野菜が入ったまろやかなココナッツミルクのスープ

「それで、ワーホリ時代の友人とは連絡取れたの?」

いいえ。結局、懐かしい友人との連絡は途絶えたまま、感動的な再会は実現されなかった。

この街ではカプセルホテルで出会った人々と少し時間を共有し、ローカルフードを食べただけ。噂に聞いていた通りジャカルタでは何もすることがなかった。

しかし、私の中では亡くなった友人が住んでいたというこの地に足を踏み入れたことだけでも、葬いの意味があったような気がした。その人がいないのに、その人のいた場所でその人の存在を考えたり感じたりするというのはなんだか不思議な気分であったが、私にとってジャカルタは「友達がいる街」のひとつ。

沈みゆくと言われているけれど、地盤沈下対策には日本も技術協力をしているというし、なんとか食い止めることができればいい。ジャカルタ、どうか、なくなりませんように......。

鉄道の車窓から

【This week's BLUE】
大きなショッピングセンターとローカルワルンが共存している

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●旅人マリーシャ
平川真梨子。9月8日生まれ。東京出身。レースクイーンやダンサーなどの経験を経て、SサイズモデルとしてTVやwebなどで活動中。スカパーFOXテレビにてH.I.S.のCMに出演中! バックパックを背負う小さな世界旅行者。オフィシャルブログもチェック! http://ameblo.jp/marysha/ Twitter【marysha98】 instagram【marysha9898】

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