「あなたは今日から議員です」――202×年、憲法改正により日本の政治システムは一変、20歳以上からランダムに選出された「国民議員」がオンラインで議会に参集し、総理大臣も直接選挙で選出!? 突然、自らが政治に関わることになった女子大生の困惑、議員活動をフォロー・監視しつつ翻弄される官僚の苦悩、理想を掲げる現首相と旧体制への復活を目論む政治家たちの暗闘......。
人気作家・堂場瞬一氏が新作『デモクラシー』で描く、革新的ともいえる近未来は今、まさに政治不信が常態化し、政治参加への無関心と失望が問われるこの国に刺激的なカンフルとなる"実験小説"だ。意欲的にジャンルを超越し続ける著者が、あえてタブーともいえる"あり得ない?"新境地に挑んだ理由、その真意を直撃した。
──憲法改正で国会が消滅、20歳以上の国民から無作為に選ばれた1000人の「国民議員」が選ばれ、オンラインの形で議会を構成する......。既存の日本の政治の現状に対する鋭いアンチテーゼともいえる、大胆な設定が魅力的な作品です。
堂場 私たちは「民主主義は守らなきゃいけないものだ」と思っていますが、現実の政治を見ていると「民主主義って本当に機能しているの?」とか「そもそも議会制民主主義って正しいの?」という疑問を抱くことがありますよね。
実際に「政治不信」というものがほぼ常態化していて、今のような政治家の選び方を続ける限り、そうした問題が絶対に消えないということも薄々わかっているから「きっと、この先も何も変わらないだろうなぁ」という、ある種の諦めに近い感覚が社会全体を覆っている。
一方で、このコロナ禍の3年間で社会の在り方が大きく変化して、いろいろなことが「リモートで済むよね?」という考え方が、日本でもかなり共有されるようになってきた。いっそのこと国会だって「オンライン」でやればいいのに?と思った人もいるはずです。
──確かに、コロナ禍の感染対策で「人が大勢集まる場所は避けましょう」と言われている時に「重症化リスクの高い高齢者だらけ」の国会議員がオンラインではなく、リアルな国会に大勢集まって感染対策を議論している......という景色は皮肉な感じでした(笑)。
堂場 だったら、議会だってオンラインでいいし、議員の選び方は「くじ引き」でもいいんじゃないか?というのが今回の作品の出発点で、もちろんオンラインでやるなら国民全員が一斉投票で参加する、昔の「アテネの直接民主制」みたいな形も可能かもしれないなと。ただ、マイナンバー制度すらまともに導入できない今の日本が、そんなシステムをきちんと構築するのは絶対に無理だと思うので(笑)。「20歳以上の国民から抽選で無作為に選ばれた1000人が国民議会を構成する」......というシステムを思いつきました。
最近も統一地方選挙がありましたが、選挙があるたびに「これってなんのためにやっているの?」」みたいな感覚があるのに、毎回ものすごい額の税金が使われている。そこで、この小説では今の国会にあたる立法機関の「国民議会」だけ選挙ではなく無作為の抽選にして、首相に関しては「直接選挙」にしているのですが、それだって本当に必要なのかわからない。直接選挙による首長選挙っていうと、アメリカの大統領選が代表的ですけど、あれも相当おかしなコトになってますからね。
その意味でいうと、これは一種の「思考実験」なんです。もちろん、実際には既存の政治家が自ら権力を手放すなんてことは、まずあり得ないので(笑)。日本ではこんなシステムは絶対に実現できないけれど、それをこの小説では「直接民主主義の実現」を訴えて、いわゆる「ワンイシュー」で戦った政党が選挙に勝ち、憲法改正を実現したということにしました。
「ワンイシュー」で戦った政党が選挙に圧勝するという点に限れば、あり得ない話じゃない気もするけれど、政治家が「国会を廃止する」という形で憲法改正を訴える......つまり、「私の仕事をなくしましょう!」と訴えて選挙に出るなんて、普通はあり得ない(笑)。でも「それが実現した日本」というのが今回の舞台なわけで、読者には「現実にはあり得ない前提」をひとつの思考実験として楽しんで頂ければと思います。
──もちろん、堂場さんご自身も「日本の民主主義が機能していない」とか「代議制民主主義」というシステムへの疑念みたいなものを、ずっと感じられていたわけですよね?
堂場 そうですね。やっぱり「日本の民主主義」って「自分たちで頑張って勝ち取ったものじゃない」っていう感覚があるじゃないですか? 明治維新の後、ずーっと外国のマネをしながらやってきて、大正時代ぐらいになると、なんとなく整ってきたように見えたのが、その後の戦争で全部吹っ飛んじゃって、あとはアメリカから「はい、どうぞ」って渡されたみたいな「借り物っぽい」感じがしますよね。
「民主主義」って、本来は主権者である国民ひとりひとりが主役のはずなのに「自分たちが頑張って勝ち取ったものだ」という「当事者意識」が肝心の国民の中にないから、政治はなんとなく他人事で、政治家という「プロ」に任せておけばいいという雰囲気になり、結局、その政治家を選ぶための選挙にすら行かない......ということになる。
そこで、先ほど話した「コロナ禍」と共に、この小説のアイディアの元になったのが「裁判員制度」なんです。ほら、裁判員の役目もある日、突然、上から降ってくるじゃないですか? あれと同じように「突然、自分が選ばれるかもしれない」し「基本的には断れない」というシステムにすれば、その人にとって政治は「他人事」にはなり得ない。
正直言って、裁判員のほうが大変だと思いますよ。時には「人の命」がかかった厳しい判断を迫られることもあるし、それに比べたら「国民議会議員」に選ばれて国家予算を決めることがどれだけ大変かっていう話です。国家予算よりも人の命のほうが重いですからね。
それに、日本人って結構まじめなんで、突然上から降ってくると、意外にきちんとやるんですよ。だから、裁判員制度も導入された当初はいろいろ言われましたが、今まで特に大きな問題は起きてないですよね? そう考えると、今回のアイディアも「意外といけちゃうんじゃないの?」というのが、この小説のベースにはありました。
──登場人物のひとり「女子大生の田村さん」が、ある日突然、国民議員に選ばれ、戸惑ったり悩んだりしながら、それまで全く無縁だった政治の世界へと巻き込まれてゆく姿は、読者にとっても感情移入しやすいキャラクターだと感じました。冒頭に出てくる彼女と終盤での存在感の違いも非常に印象的です。
堂場 若い人の政治離れってよく言われるじゃないですか。でも、いきなりくじ引きで政治の世界にぶん投げられたら、やらざるを得ないっていうのが日本人の特徴なので、若い彼女に頑張ってもらって、とりあえず「みんな参加するんだよ」っていう雰囲気を出す象徴みたいな役割としてキャラクターを設定しました。
ですから、彼女は自分たちの代表として見てもらえればいいなと思いますし、よく「地方自治は民主主義の学校だ」みたいなことを言いますが、僕はこの作品に出てくる「国民議会」というのも一種の「学校」だと考えていて、田村さんはこの物語を通じて、その学校を「卒業」したと思うんです。
彼女のように多くの人が主体的に「政治」を経験し、民主主義とは何かという問いに向き合い、それを通じてこの国の将来をどうするかという理想について考えることで、初めて国が変わっていく。僕はそれが普通じゃないかと思うのですが、残念ながら日本人は変えたがらないんですよね。
ちょっと考え始めると、政治のシステムって「あれ、おかしいぞ」って感じることや「なんで誰も変えてないの?」って思うことはいっぱいあるじゃないですか? でも「10増10減」とか、小っちゃい枠での変更はしようとするけど、全面的に変えるようなことは誰もやってなくて、みんなとりあえず「現状維持」(苦笑)。
●このインタビューの後編、「ムダな選挙、議員報酬をなくせば政治が健全化...。そんな"ニッポンの未来"はあり得る!?」も配信中!
●堂場瞬一(どうば・しゅんいち)
1963年、茨城県生まれ。2000年、野球を題材とした「8年」で第13回小説すばる新人賞を受賞しデビュー。スポーツ小説のほか、警察小説を多く手がけ、「ラストライン」シリーズ、「警視庁追跡捜査係」シリーズなど、次々と人気シリーズを送り出している。ほかにメディア三部作『警察回りの夏』『蛮政の秋』『社長室の冬』、『宴の前』『弾丸メシ』『ホーム』『幻の旗の下に』など著書多数。