山下メロやました・めろ
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある。
記憶の扉のドアボーイ・山下メロです。
今回、掘り起こす平成遺産は、令和にも続くプリクラ。いわゆるプリントシール機。その始まりは1995年。平成7年のことでした。『女神転生』シリーズで有名なゲームメーカーであるアトラスが記念すべき最初の機種「プリント倶楽部」を稼働させたところから歴史が始まります。
CCDカメラやビデオプリンターとセガのゲーム用基板を組み合わせて誕生したプリクラは、既存技術の新しい活用法。まさに発明でした。
プリクラはテレビ番組『愛ラブSMAP!』での紹介から人気に火がつき、その機運と戦略により、若者に波及していったのです。撮ったその場で写真を手軽に共有できることも時代にマッチしました。
当時はガラケーにカメラ機能がつく前......どころかポケベル全盛期。デジタルカメラも存在しましたが、まだまだ高価で、印刷するには一般家庭に普及していなかったパソコンとプリンターも必要です。
若者は「写ルンです」などフィルム付きレンズで写真を撮影していましたが、本体代と現像代がかかる上、プリントに時間がかかり、おまけに複数人で写っていたらわざわざ焼き増しという手間がかかっていました。
なんの機材も持ち歩かずに、ゲームセンターなどの設置場所へ行けば安価で写真がプリントでき、さらに共有が可能で大ヒットとなりました。画質が悪く、プリントサイズが小さくても、安くシェアできるなら、思い出としては十分だったのです。
むしろ小さいシールだからこそ化粧品や文房具などの小物に貼りやすく、貼るための商品もいろいろと発売されました。プリクラを集めて作る手帳〝プリ帳〟は、小さい写真が密集することで、普通のフォトアルバムとは違う体験をもたらしたのです。
ほかにもガラケーの後ろに貼ったりしましたが、本命のプリはバッテリーのフタを外してバッテリーの後ろ側にコッソリ貼る......というのもはやりました。使っていたガラケーを処分するときは、バッテリー裏までチェックを忘れずに!
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある。