山下メロやました・めろ
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある。
記憶の扉のドアボーイ・山下メロです。今週も記憶の底に埋没しがちな平成時代の遺産を掘り返していきましょう。
1995年のアトラス「プリント倶楽部」誕生から今も人気が続くプリントシール機。今回はそのシールのシェア方法を紹介します。最初期のプリクラは、親指の爪くらいのシールが4×4の計16枚がシートで出てくるものでした。それを筐体の近くにあるハサミで切ってシェアしたものです。
同じものが16枚ゆえに4人で撮って均等にシェアした場合1人あたり4枚。2枚貼っても2枚余りますので、それを他人と交換して手帳に貼ってコレクションするプリ帳の文化につながっていきます。
当時、システム手帳用のリフィルにはプリクラの枠を印刷した商品もありましたが、実際は無地のリフィルに自由にシールを貼る〝プリ帳〟が主流。そんなリフィルにはマグネットシートになっている商品もありました。
これはプリクラの枠でカットされており、外してカンペンや学校の机の金属部、冷蔵庫などに気軽に貼れるアイテムとして活用されました。
プリクラはシールが小さいことで文具や手鏡、ポケベルなどに貼りやすいのも利点で、以前も当連載にてシールが貼れるキーチェーン、ストラップ、ピンズなど「プリクラを貼って完成する商品」を紹介しました。「プリクラサイズの枠さえ作れば便乗商品が作れる」という気軽さで、いろいろなアイテムが誕生したのです。
消しゴムやクリップなどの文具に始まり、特に驚きだったのはマクセルが発売したカセットテープのMyシリーズです。こちらには、なぜか表面にプリクラを貼る枠がありました。なぜプリクラを貼る必要があるのかよくわからないのですが、パッケージには「プリントシールが貼れる」と、ほかのカセットにはない優位性のように明記されていました。
当時の商品にプリクラっぽい枠があった場合、それはプリクラを貼る場所だと思ってもらって間違いありません。皆さんも平成のプリクラ便乗商品を探してみましょう。
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある。