山下メロやました・めろ
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある。
記憶の扉のドアボーイ・山下メロです。記憶の底に埋没した平成時代の遺産を掘り返していきましょう。
さて、昨年電話帳のハローページの発行が終了しましたが、続いて今年7月にタウンページの廃止が発表されたことはご存じでしょうか。平成を駆け抜けた電話帳は、令和8(2026)年に廃止となることが決定しました。
黄色い表紙でおなじみの電話帳であるタウンページは、電話が開通した明治23(1890)年の電話加入者人名表がスタート。そこから電話番号簿となり、人名別電話番号簿と職業別電話番号簿に分かれ、さらに電話番号簿から電話帳に改称。昭和59(1984)年に前者は青い表紙のハローページ、後者がタウンページとなりました。この愛称はその前年に一般公募して決定しています。
タウンページは、企業や店舗の電話番号を職業別で探せる電話帳。家の前にビニール袋入りで置かれるなど、加入者には無料配布されていました。
家の電話台や電話ボックス内に鎮座し、かつては広辞苑などと並んで分厚い書籍の代表格でしたが、平成を駆け抜ける中、とても薄くなってしまったことを知らない人もいるのではないでしょうか。
携帯電話の普及で固定電話の契約が減少。それもあって掲載数は減少しているようですが、それが薄くなった理由ではありません。大きく影響したのは掲載する範囲を見直したこと。つまり、広範囲をまとめて分厚い一冊とするのではなく、狭い範囲だけを掲載して薄くすることで、目的の番号が探しやすくなりました。
また、公衆電話の電話帳への連続放火事件が発生し、今では電話帳を置かない公衆電話も多いです。しかし、今なお電話帳が置かれている公衆電話でも、分厚いタウンページを想定して作られた大きな電話帳置き場に、薄くなったタウンページがちんまりと置かれ、過去をしのぶような空間が生まれていました。
もうすぐ発行を終了するタウンページ。なくなる前に駅の公衆電話などで見つけ出し、たわむれに手に取って、薄さとその軽きに泣きて、三歩あゆまず......をしましょう。
1981年生まれ、広島県出身、埼玉県加須市育ち。平成が終わる前に「平成レトロ」を提唱し、『マツコの知らない世界』ほかメディア出演多数。著書に『平成レトロの世界』『ファンシー絵みやげ大百科』がある。