欧米メディアが「日本最大の右翼組織」と報じ、安倍政権の閣僚の半数以上が「日本会議国会議員懇談会」に所属していることが明らかになるなど、にわかに注目を集め始めている保守系政治団体「日本会議」。
その実態を「肉体」(人脈・組織)と「精神」(戦前戦中を手本とする価値観)、教育や靖国問題を巡る「運動」という3つの側面から検証、日本を戦争に導いた、国家神道や国体論を拠り所とする戦前回帰への動きとして読み解くのが、山崎雅弘氏の『日本会議 戦前回帰への情念』(集英社新書刊)だ。
「日本会議」とは一体、どんな組織なのか? 前編記事(「山崎雅弘氏が解説する安倍政権とのつながり」)に続き、戦史・紛争史の研究家である山崎氏の視点から、その答えを探る。
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―1999年のいわゆる「国旗・国歌法」制定や教育基本法の改正などでも、全国的な草の根的市民運動を展開し、その成立に影響を与えたといわれる日本会議ですが、第二次安倍政権が成立するまで、新聞やTVなどの大手メディアはその存在についてほとんど触れてきませんでした。その理由はなんだったのでしょう?
山崎 率直に言って「甘く見ていた」のでしょう。確かに、「大東亜戦争は間違いではなかった」などと主張する本は昔からありましたし、そうした言説を繰り返している人たちもいましたが、それらはあくまで「傍流」であって、そうした本が大きな書店で平積みになるような状況は誰も予想していなかった。大手メディアもごく一部の「変わった人たち」だとタカをくくっていたのではないでしょうか。
ところが、日本人が自信を喪失し、将来への不安を埋めてくれる心の拠(よ)り所としての「アイデンティティ」を求め始めた時に、「戦前の時代は良かった」という復古主義的なイメージが人々を惹きつけ、それが次第に大きな影響力を持つようになってしまった…。そうした流れと自民党の変質、第二次安倍政権の成立が重なったことで、今日のような状況を招いているのだと思います。
―もうひとつ、なかなか判断が難しいのは、日本会議の存在が現政権にどれほど直接的な影響を与えているのか、という点です。確かに安倍政権の閣僚の多くが「日本会議議連」に所属しており、それ以外の国会議員にも日本会議議連のメンバーが大勢いますが、全員が「コア」な日本会議メンバーとは限らない。思想的な理由ではなく、単に「選挙で有利だから」「組織票を期待できるから」ということだけで名を連ねている人も多いのでは?
山崎 そうですね。ただ、ここでもう一点、注意すべきなのは「日本会議の影響力」というものは、例えば「日本会議の誰かが言ったことを政治家が政策に反映する」といった直接的な形よりも、むしろ彼らが共有する価値観を反映した「空気」のようなものを社会に広めていく、一種の「空気ジェネレータ」として作用しているということです。
そうした影響は気がつかないうちにジワジワと社会に広まりつつあり、公的機関なども追従して「戦争の悲惨さを伝える講演」が公的施設に拒絶されて中止になった…といったことが起きたりしている。日本会議の影響で最も警戒しなければならないのは、そうやってこの国の「空気」や「価値観」を変えていこうとしている点だと思います。
日本会議の影響で警戒しなければならないのは、国の「空気」や「価値観」を変えていこうとしている点
―山崎さんは元々、戦史や紛争史を専門に研究されていた方ですが、日本会議のような人たちが生まれた背景には、日本が先の戦争を自分たちの手で徹底的に検証し、総括できていないという面もあるのでしょうか?
山崎 軍事的な側面については、あの戦争についての具体的な検証もある程度行なわれていて、例えば日本軍の「情報軽視」や「兵站の軽視」あるいは楽観的な見通しに基づく作戦計画の策定など、敗戦に至った具体的な理由も指摘されています。しかし、そこから一歩掘り下げて、彼らはなぜ「情報」や「兵站」を軽視したのか? なぜ、楽観的な見通しに基づく作戦を実行してしまったのか…という根本的な部分については、きちんと検証されておらず、単に当時の指導部が場当たり的で愚かだったという結論になってしまう。
僕自身、ずっと、そのことにモヤモヤした気持ちを抱いていました。なぜなら、当時の司令官や将校たちは皆、それなりに優秀な人たちであったはずだからです。しかし、戦前の国家神道や「国体思想」について知り、それらが彼らの判断や意志決定の根底にあったのだと考えると理解できる。軍事的にどう見ても合理的ではない判断も、国家神道や国体思想に照らせば、その枠の中では「一定の合理性」があったのでしょう…。
―確かに、現実的には既に敗戦が避けられないとわかっていた状況でも、当時の軍や指導部は最後まで「国体の護持」にこだわって本土決戦を主張し、戦争の終了を引き延ばした。その結果、多くの日本兵のみならず、沖縄の地上戦や本土空襲、原爆の投下によって数多くの一般市民が命を失いました…。
山崎 全くその通りです。ところが、日本会議の人たちは、そうして「日本を破滅に導いた価値観」を、これが日本の伝統であると主張して、今の日本に取り戻そうとしている。それに対して、戦前への回帰に反対する側が有効なカウンターを打てていないのは、戦後の日本が積み重ねてきたポジティブな面を、ひとつの「価値観」としてまだ完成させていないからだと思います。
―7月の参院選の前には、山崎さんの本も含めて様々な本が出版され、その反響を新聞も報じたことで「日本会議」の存在や安倍政権との関係にも注目が集まりました。しかし、選挙結果を見る限り、今回も自民党の圧勝で、安倍政権は憲法改正への意欲をあらわにしています。こうした状況をどのように見ていますか?
山崎 私はそれほど悲観してはいません。今回の参院選に関していえば、個人的にはもっと圧倒的な形で自民党が勝つと予想していたので、他の改憲勢力を合わせてギリギリ参院の3分の2というのは少し意外でもあり、光も見えました。日本会議に関する出版物や報道の影響が目に見える形で現れるまでには一定のタイムラグがありますし、今すぐ悲観する必要は全くない。これからも様々な形で、この問題に関する本や報道があると思いますし、そうした事を地道に粘り強く続けていくことで、少しずつ「現実」にも変化も出てくるだろうと思っています。
その意味でも、大いに注目したいのが、先日、今上天皇が「生前退位」の御意向がにじむ発言をされたことです。天皇の「お言葉」では「個人」や「象徴」と言う言葉が繰り返し使われています。これはあくまでも私の個人的な印象ですが、そうした天皇のお言葉は「戦前的な価値観」の否定だと思います。さらに印象的だったのは、自分が去ったあとにご家族や国民の負担を軽くしたいという主旨のお話をされた点で、これらはすべて日本会議と安倍政権が回帰を望む「戦前の価値観」への決別、そうした価値観に日本が戻ることを望んでいないという強いメッセージだと感じました。
今の憲法では「天皇は政治的な発言をしてはならない」ということになっていますが、ご自身や皇室のご家族について「こうした制度上の問題が生じているので、国民に考えてもらいたい」と述べられた発言を「政治的な発言」として扱い、禁じるというのはあまりに非人道的だと思います。天皇やそのご家族も生身の人間なのであり、御自身が国民に迷惑をかけるのを避けたいとして、皇室の制度に関わる問題を提起されているのですから、それは内政や外交への口出しという意味の政治的発言とは分けて考える必要があるはずです。
そうしたメッセージに対して、「日本会議」とその周辺にいる人たちは慌てふためいているという印象を受けますね。日本会議副会長の小堀桂一郎氏は生前退位について「事実上の国体の破壊に繋がるのではないかとの危惧は深刻」と発言していますが、これは天皇のお言葉の深い意味を理解していない証拠でしょう。彼らが本当に大切にしたいのは、ひとりの人間としての天皇ではなく、自分たちが絶対視している「天皇中心の物語」に過ぎないのです。
●山崎雅弘(やまざき・まさひろ) 1967年、大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。雑誌『歴史群像』『歴史人』等に戦史の分析研究記事の寄稿多数。2015年9月に刊行された著書 『戦前回帰 「大日本病」の再発』が各界より高い評価を受ける。膨大な資料をもとに、俯瞰的な視点から現代日本を鋭く分析する論客である。著書に『侵略か、解放か!? 世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』ほか多数。詳しくは「集英社 コミック・書籍 検索サイト BOOKNAVI」から
(取材・構成/川喜田研)