10月22日に投開票される衆院選の公約として、安倍晋三首相は突如、「消費税増税分の使途を、国の借金返済から教育無償化に変更する」と表明した。
しかし、消費税増税による所得再分配は元々、民進党の看板政策だ。同党の前原誠司代表は「トンビが油揚げをかっさらう争点隠し」と批判しながらも、「ようやく我々の考え方に自民党も理解を示したか、と歓迎したい」と臨戦態勢を示している。
民進党のこの政策のブレーンを務める、慶応義塾大学経済学部教授の井手英策(いで・えいさく)氏も同じ思いだ。選挙では議席予測ばかりが注目を集めがちだが、本来、真摯に議論されるべきは政策であるはず。そこで、井手氏に話を聞いた。彼が思い描く「日本の未来のグランドデザイン」とは――。
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─「格差の拡大」や「社会の分断」という言葉をここ数年、頻繁(ひんぱん)に耳にするようになりました。井手さんは財政学者としてこれらの問題に取り組まれ、民進党・前原代表の政策ブレーンとしても注目されていますが、そもそも「民進党はどのような社会を目指しているのか」が、有権者の多くに伝わっていないような気もします。井手さんは、日本社会をどのように変えてゆく必要があるとお考えですか?
井手 以前、自民党の小泉進次郎議員とお話しする機会があったのですが、その際、小泉議員から「あなたは革命を語らない革命家だ」と言われました。でも、僕はその意見には賛成していません。「革命家」というのは「自分の好きなように世の中を変えようとする人」ですが、僕には「僕が社会をこういう風に変えたい」という欲望はない。なぜなら、それは民主主義が決めることだからです。つまり、社会をどう変えるのかは国民が決めることであって、僕が決めることではありません。
僕にとって大事なのは、「社会に選択肢を作る」ということです。国民にA、B、Cという選択肢があるとする。しかし、このA、B、Cでは世の中はよくならないとみんなが思っているならば、僕は新たなDという選択肢を作りたい。
もちろん、民主主義ですから国民はDではなくA、B、Cを選んでもいいんです。僕は国民自らが多くの選択肢の中から自分たちにとってよいものを選べる状況をこの国に作りたい。それはこれから5年後、10年後、20年後の未来を考えた時、この社会の運命を決めることだと思っているんです。
─確かに、「選択肢がない」というのは今の日本の政治状況を端的に表現していると思います。そのために「政治に対する無関心」が広がっているのも事実ですね。
井手 例えば、愛国心がいいか悪いかという思想的なものは置いておいて、「愛国心ある?」って聞かれて、「あります」と答えるのは普通のことですよね。同じように、「格差はいいの?」って聞かれて「格差はないほうがいい」というのも普通の感覚。だったら、「国を愛すると同時に格差を憎む」ことはごく普通の考えといえる。しかし、現実にはそういう選択肢を示している政党なんかひとつもない。
結局、すべてが「ポジショントーク」になってしまっているんです。左派あるいはリベラルだったら反原発と言わなければいけない、反改憲と言わなければいけない、反共謀罪と言わなければいけない。右派なら日の丸、君が代を賞賛し、靖国に行かなければならない…というように。でも、そういう固定観念じゃなく「何をやりたいか?」ということをひとつひとつ寄せ集めて、それを人間目線で考えていけば、誰もが支持する選択肢はできるはず。僕はそんな当たり前のことをやりたいんです。
突飛なことをやりたいんじゃなくて「普通に考えればこうだよね」ということ。それは言ってみれば、「センター」なのかもしれません。でも、この当たり前の声を反映する政党がないことが、今の日本社会が抱える根本的な問題なのだと思います。
自分を「中の下」と信じたい人たちのメンタリティ
─その「選択肢」を考える上で、もうひとつの問題として、有権者の多くが「そもそも政治とは何か?」をよく理解できていないことが挙げられると思います。政治って、実はかなりの部分が「税として集めたお金を、どのように割り振って使うのか」という「富の再配分」で占められていて、それをどうするかで社会のあり方や未来を変えることができる。そうした基本的な「理解」を多くの人が持つことが重要だと思うのですが、財政論がご専門の井手さんはこうした「富の再配分」の見地から、今の日本がどんな状態だと考えておられますか?
井手 日本社会には、近世からずっと続いている「勤労の美徳」と「倹約の美徳」というものがあります。みんな汗水垂らして働いてお金を貯めて、自分自身の生活をなんとかしていく。要するに「自己責任」で働いて、お金を貯めて生きていく社会です。
だから、老後の備え、病気の備え、子育て…全部、貯金でやってきた。これが戦前から続く日本の大前提なわけです。ところが、高度経済成長期に平均9.3%もあった実質経済成長率が、オイルショック以降、バブルまでで4.3%に下がる。そして、バブルが弾けて今や0.9%です。9.3%の経済成長を前提に安定して所得が増えていたからこそ、なんとか貯金して様々な不安に備えられた社会だったのに、その前提が崩壊して、もはや貯金をする余裕もなくなっている。それなのに「自己責任でやっていけ」と言われて、国民はみんな狼狽(ろうばい)しているわけです。
何しろ、マクロで見ると家計貯蓄率は0.8%、つまりほぼゼロですから。しかも、1997年をピークに20年にわたって所得が落ち続け、共働き世帯が増えているにもかかわらず、世帯収入で300万円未満が約3割、400万円未満が約5割。そうすると、例えば世帯収入400万円で子供を2、3人産んで、大学まで行かせる余裕なんて絶対にありませんよね。しかも400万円から税金が引かれるわけです。無理ですよ。ところが、今やこれが日本人の暮らしの「よくある姿」になっている。
日本はかつて社会的弱者、つまり困っている人を助けようという考え方で比較的格差の小さな社会を実現してきました。でも、今や「困っている人」の定義が変わってしまった。貧困率は15.6%ですが、今申し上げたように300万円未満は3割を超え、400万円未満なら約5割。それだけ多くの人々が生活に不安を抱えている状況で「困っている一部の人を助けよう」なんていうメッセージが人々に響くかといえば、響くわけがない。
その結果、困った人を助けようと言えば言うほど社会的な分断を生み、弱者バッシングを生んでいく。だから、リベラルや左派は選挙で勝てない。弱者救済なんてのんきなことを言っているから、国政で4連敗してしまうわけです。
─つまり、現実には「困っている人たち」が既に日本社会のマジョリティになりつつある。ところが、その当人たちにも自覚がない。そうした現実を前提に「格差」を論じないから議論のステージがズレて、「本当は困っているはずの人たち」が自分たちの不満のはけ口として「さらに困っている人たち」を叩くという、おかしなことになっている…と。
井手 そうです。「あなたの暮らしぶりはどうですか?」って聞くと、下流、つまり低所得層並みと答える人は4.8%しかいない。日本人の92.1%は、自分は中流だって言うんです。実際の貧困率は15.6%ですから、既にこの時点で自分は下流だと自覚している人の率と現実の間に10%以上もズレがある。さらに、先ほど話したように、貯蓄をする余裕がなく暮らしが大変だから子供は諦めざるを得ない、世帯収入400万円未満の人たちが社会全体の5割近くいるわけです。
つまり、この5割の中の大部分の人たちは「暮らしはシンドイけれど、自分はまだ『中の下』だからいいほうだ…」と思い、歯を食いしばって頑張っている人たちなんです。この人たちに対して「一緒に困った人を助けてあげよう」なんて言ってみてください。火に油を注ぐようなものですよ。それが今、様々な社会の分断を生み出している。
例えば、世間を騒がせた「貧困女子高生」の問題。あれは要するに、自分を「中の下」と信じたい、中間層と信じたい人たちが「あんなものは貧困ではない。もっと大変なヤツはいるから我慢しろ」って抗議したわけですよね。小田原市で起きた「ジャンパー事件」も同じです。
「保護なめんな」「不正受給は人間のクズだ」などと書かれたジャンパーを着て、市の職員が生活保護利用者の家を10年間にわたって訪問していた。これに対し、市に寄せられた意見は「市の職員はなんて残酷なことをするんだ」というような声が55%で、残り45%は「よくやった」「不正受給はもっといるはずだ」「不正受給を摘発しろ」などと言っていた。困っている人たちに救いの手を差し伸べようとするのではなくて、「受給者は嘘をついている」っていう人たちが45%いたわけですよ。これがまさに、自分を「中の下」と信じたい人たちのメンタリティなんです。
─現実には格差拡大の結果、日本人の5割近くが「困っている」はずなのに、その人たちが互いに助け合うのではなく、逆に分断され、不寛容が広がっているのはなぜなのでしょう?
井手 やはり、先ほど言った「勤労と倹約の美徳」が大きいと思います。要するに、自己責任なんですね。日本人は江戸時代からずっと「政府のご厄介になって、政府に助けてもらう」なんてことを期待しなかったし、受け入れてこなかった。自己責任で、自助努力で、慎ましくやっていくことを大事にしてきた国民なんです。そうすると、社会的弱者は自己責任を果たしていない道徳的な失敗者とみなされてしまう。
そうやって、みんなが辛くても辛いと言わない社会になっていった。しかし、自分を中間層だと思っている人たちも本音ではシンドイから、生活保護を使っていたり、様々な支援を政府や自治体から受けている人に対して、すごく厳しくなるのだと思います。
●後編⇒もう「自己責任」ではやっていけない! 民進党ブレーンが示す、生きづらい日本に残された「選択肢」とは?
(取材・文/川喜田 研)
●井手英策(いで・えいさく) 1972年生まれ。2000年、東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。著書に『経済の時代の終焉』、『日本財政 転換の指針』、『18歳からの格差論』、『分断社会を終わらせる』、『財政から読みとく日本社会――君たちの未来のために』、『大人のための社会科――未来を語るために』など多数。
●『財政から読みとく日本社会――君たちの未来のために』 岩波ジュニア新書 880円+税