「セクハラが生まれる構造――男女の社会的地位が根本的に違うという構造を変える必要があるという共通認識が浸透しない」と指摘するモーリー氏 「セクハラが生まれる構造――男女の社会的地位が根本的に違うという構造を変える必要があるという共通認識が浸透しない」と指摘するモーリー氏

『週刊プレイボーイ』本誌で「モーリー・ロバートソンの挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、日本社会でセクハラが生まれる構造について言及する!

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昨年、"complicit(コンプリシット)"という言葉がアメリカで大流行し、オンライン辞典のアクセス数が約300%増加しました。直訳すると「共犯の、共謀した」といった意味ですが、最近の使われ方は「見て見ぬふり」というようなニュアンスです。

この言葉が注目を集めたきっかけは、昨年3月にアメリカを代表するコメディ番組『サタデー・ナイト・ライブ』で放映された、イヴァンカ・トランプ大統領補佐官を揶揄(やゆ)するパロディ作品でした。「complicit」という名の架空の香水のCMをイヴァンカになりきって演じたのは、女優のスカーレット・ヨハンソン。

そのメッセージは、イヴァンカも父であるトランプ米大統領の"共犯"だ――つまり、いくらセレブよろしく女性やマイノリティの権利向上を口にしても、それは単なるポーズにすぎず、結局は父による差別を事実上、追認しているんだというわけです。

作品が放映された翌月、イヴァンカはあるインタビューで反論を試みましたが、「complicitという言葉の意味を知らない」などと語ったことで、むしろ騒動はエスカレート。この言葉は日本でいう流行語のようになり、さまざまなニュースの見出しや比喩表現として使われるようになったのです。

実際の加害者ではなくとも、見て見ぬふりをするのは"共犯"ではないのか――こうした議論は国際問題でもしばしば持ち上がります。例えばチベットにおける中国当局、ロヒンギャに対するミャンマー軍、あるいはシリアにおけるアサド政権の暴虐ぶりを知りながら、何も行動を起こさずお茶を濁す態度は、complicitといわれても仕方ない。

自民党政権に対して「極右だ」「独裁だ」と厳しく非難する一方、海外の圧政にはほとんど言及しない日本メディアも、complicitの誹(そし)りを免れることはできないと僕は思います。

財務省のセクハラ事務次官の問題に関しても、その傾向は見られます。タブロイド的に火がついて連日報道合戦が行なわれましたが、特に大手メディアではなかなか本質的な議論に至らず、セクハラが生まれる構造――男女の社会的地位が根本的に違うという構造を変える必要があるという共通認識が浸透しない。このままでは、スケベ心をコントロールできなかった個人の問題ということで収束に向かっていきそうです。

この構造は日本社会のあちこちに深く根を張っています

この構造は日本社会のあちこちに深く根を張っています。例えばテレビの世界では、若くてかわいいことが求められ、年齢がいくと使い捨てにされる「女子アナ」は地位が低すぎる。

一方、男性のキャスターは年齢を重ねるにつれ重用され、50歳を超えてもバリバリやっている。このものさしの違いが「#MeToo」の根源なんだという現実を、果たしてどれほどの人が受け止めているのでしょうか。

「そうは言ってもセクハラするのは限られた人だ」とか、「海外にもセクシーなキャスターはいる」とか、そういった本質から逃げた議論こそがcomplicitです。

もちろんこれは女性の側にもいえることで、一般論として「男女格差をなくそう」と言いつつ、自分の属する組織や業界の話になると、現状に安住してお茶を濁してしまうケースは多々あるでしょう。この壁を乗り越えない限り、「#MeToo」は実現しないのです。

●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson) 国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)、『報道ランナー』(関西テレビ)、『けやきヒルズ・サタデー』(Abema TV)などレギュラー多数。

■2年半におよぶ本連載を大幅加筆・再構成した待望の新刊書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!

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