「拉致問題が解決すれば日本も経済支援を通じて北朝鮮の開発利権にアクセスすることも可能なはず」と語る金惠京氏 「拉致問題が解決すれば日本も経済支援を通じて北朝鮮の開発利権にアクセスすることも可能なはず」と語る金惠京氏 6月12日にシンガポールで行なわれた史上初の米朝首脳会談は、北朝鮮の非核化の具体策が示されなかったことなどで評価が割れ、「金正恩(キム・ジョンウン)委員長の勝利」と見る向きも多かった。

では、北朝鮮問題最大の当事者国、韓国ではどう受け取められたのか? そして今後の展開は? 「週プレ外国人記者クラブ」第120回は、ソウル出身の国際法学者で、様々なメディアで活躍する金惠京(キム・ヘギョン)氏に聞いた──。

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─米朝首脳会談の共同声明を読むと「米国と北朝鮮は、朝鮮半島において持続的で安定した平和体制を築くため共に努力する」という部分からは北朝鮮の現体制を米国が保証したと受け取ることが可能です。

一方でCVID(完全かつ検証可能で不可逆的な非核化)については「検証」「不可逆」という点に触れておらず、米国が譲歩した形です。この首脳会談を韓国メディアはどのように報道しましたか?

 韓国では、保守系メディアとリベラル系メディアで報道のスタンスが対称的に色分けされていました。保守系の『朝鮮日報』は6月13日のコラムで「『奇跡はやはり起こらなかった』という程度ではなく、大韓民国全体が完全に騙(だま)された」と憤り、リベラル系の『ハンギョレ』は同日の社説で「共同声明を両首脳の名前で発表しただけでも、今回の会談は成功したと記録されるに値する」と述べています。

北朝鮮の現体制に対する保証という点についても、保守系は「北朝鮮に丸め込まれた。米国が交渉で失敗」という論調で、リベラル系は「今後の平和条約や軍縮への布石」と評価しています。

韓国における保守/リベラルの対立構造の特色については以前にもお話ししましたが、他国には見られない論点として「北朝鮮への対応」という問題が存在していて保守は強硬路線、リベラルは「太陽政策」に代表されるような融和路線が基調です。こういった対立構造は簡単に変えられるものではありませんが、米朝首脳会談では南北首脳会談に引き続き、特にリベラル派の人たちの間で金正恩委員長に対する「好感度」が上がったのは注目すべき現象です。

会談の場で金委員長の肉声やトランプ大統領との生のやり取りを見聞きしたわけですが、これは韓国人にとって新鮮な経験でした。これまでの金委員長のイメージといえば、北朝鮮のニュースキャスターが大仰な口調で語るものでしかなかったのですが、トランプ大統領と言葉を交わす場面では相手の発言に対する理解度の高さを示し、自分が発言する際もネイティブであればわかる言葉の微妙なニュアンスの違いから真摯な姿勢が伝わるなど好感度を上げる要素が多く見られたのです。

韓国では、金委員長の祖父である金日成(キム・イルソン)元主席に対して、朝鮮戦争を戦った敵国の元首であっても、日本による植民地支配の時代を経て独立を勝ち得た点でそのリーダーシップを評価する人が高齢世代には少なからず存在しています。彼らの話を以前から聞いてきた韓国人にとって、今回の首脳会談で見えた金委員長の人物像は肯定的に受け止められるものだったのです。

─しかし、南北統一が民族の悲願であるとすれば、北朝鮮の現体制に対する保証は、韓国のリベラル派にとっても悲願の達成を遠ざけるものではありませんか?

 確かに南北統一は最終的な目標ではありますが、今すぐに北朝鮮の現体制を否定して統一を実現しようと考えている人は極めて少数です。その最大の要因は、韓国にとって経済的負担が大き過ぎる点です。1990年の東西ドイツ統一の場合も西ドイツの負担は大きかったのですが、南北朝鮮の格差はそれを遥かに超えています。

現時点では南北が融和し、韓国の経済界が活発に投資できるような環境をまず実現すべきでしょう。「一国二制度」のようなイメージです。北朝鮮に対する経済協力・投資の準備を韓国の経済界はすでに概ね整えています。

今回の米朝首脳会談の結果に対して韓国のリベラル派も不満足と感じる点は、まず朝鮮戦争の終結が宣言されなかったことです。戦争の終結が宣言されれば、その先には平和条約の締結も見えてきますが、この流れを作ることが一国二制度の前提でもあります。当初、文在寅(ムン・ジェイン)大統領のシンガポール入りの可能性も報道されており、期待された分、失望も大きいといった状況があります。

もうひとつ、米朝首脳会談でCVIDについて具体的なロードマップが示されなかった点も、保守/リベラルの壁を越えて韓国の全国民にとって満足のいくものではありませんでした。米国の北朝鮮分析サイト『38 North』が昨年発表した予測では、北朝鮮が2017年に行なった水爆実験と同規模の核爆発がソウル中心部で起これば78万人の死者が出るとされています。北朝鮮の非核化は、隣国であり、停戦中の関係である韓国にとって喫緊の課題なのです。また、非核化が達成されなければ将来的な統一が国際的に認められることもないでしょう。

─米朝首脳会談は、韓国の外交面での働きによって実現したといってもいいでしょう。文政権の外交は過去の政権と何か大きな違いがあるのですか?

 大統領制の国では珍しいことではありませんが、文政権が誕生して外交スタッフが総入れ替えされました。過去の政権と大きく異なっている点は、現在の外交スタッフが大統領自身によるヘッドハンティングで集められた人材だということです。

過去の政権で大統領を支えた外交スタッフも能力的には優秀な人たちが少なくなかったと思いますが、現政権の外交スタッフは大統領と同じヴィジョンを共有し、その目標に向かって仕事をしています。米朝首脳会談の実現に向けた働きも、こうした外交スタッフの主体的で積極的な仕事の結果だといえるでしょう。

朝鮮戦争を終結させ、北朝鮮との敵対構造を解消することは韓国にとって安全保障面だけの問題ではありません。朝鮮半島の北側を北朝鮮に塞がれた恰好の韓国は、実質的には"島国"なのです。ユーラシア大陸に位置していながら、貿易でも陸路を利用することができません。

しかし、北朝鮮と平和条約が結ばれ、自由な往来が可能になれば、中国やロシアの鉄道網と韓国を結ぶことができます。朴槿恵(パク・クネ)大統領時代に発表された「ユーラシア・イニシアティブ」という構想では、釜山からシベリア鉄道を通じてヨーロッパまで経済的に繋がることが想定されています。また、ロシアから韓国へ天然ガスのパイプラインを引くことも可能になるでしょう。そうした経済的メリットは計り知れません。現政権の外交スタッフはこういった韓国の将来的な可能性も理解しているのです。

─逆に日本の外交は、北朝鮮を巡る国際舞台で大きく遅れを取り、拉致被害者の問題も解決に向けた糸口すら見出せない状況です。

 日本政府が北朝鮮に対して拉致被害者の返還を訴え続ける姿勢に対しても、韓国では保守系メディア、リベラル系メディアで論調に大きな違いがあります。リベラル系メディアは、その話題には敢えて距離を置き静観しています。そこには日本の姿勢に対する違和感があります。なぜなら、北朝鮮による拉致の韓国人被害者が約10万人も存在しているからです。

一方で、この事実を踏まえ、保守系メディアは「10万人を見捨てた韓国、17人を諦めない日本」という論調で、北朝鮮に対して融和政策をとる文政権を「非情」と非難しています。では、なぜ文政権は10万人もの韓国人拉致被害者の問題を脇に置いてでも、北朝鮮との融和、非核化を急ぐのでしょうか。それは前出の『38 North』が、東京とソウルが北朝鮮の核攻撃を受ければ両国で130~380万人の死者が出ると予測する程の現実が目の前にあるためです。

文大統領は10万人の拉致被害者と、最大380万人という核戦争が起きた際の被害を天秤にかけたのです。確かに非情かもしれませんが、同時に極めて現実的な判断といえるのではないでしょうか。いずれにしても、日本が求める拉致被害者の返還を北朝鮮に実行させるためにはタフな交渉が必要になるでしょう。

また、従来から言われている通り、北朝鮮も日本からの経済支援を求めています。北朝鮮にはレアメタルなど貴重な地下資源が眠っているので、拉致問題が解決すれば日本も経済支援を通じてこうした利権にアクセスすることも可能なはずです。それらの状況を踏まえた今後の日朝交渉は、先の米朝の事前交渉と同程度のシビアなものになるはずです。

─トランプ大統領は「非核化の費用は韓国と日本が負担するだろう」と述べています。これについてはどう考えますか?

 トランプ大統領にとっては、米国本土を狙えるICBM(大陸間弾道ミサイル)の除去が最大の課題で、逆にいえば、それ以外のことはあまり深く考えていないと思います。首脳会談後の記者会見で約20万人もの在韓アメリカ人の存在について訳知り顔で話していましたが、彼らも北朝鮮の核の脅威に曝(さら)されているということにようやく気づき始めたのが実情ではないでしょうか。そもそもトランプ大統領にとって、朝鮮半島や日本の安全保障に対する比重は大変低く、負担は極力負いたくないのです。

確かに、非核化の費用を米国は負担せず、韓国と日本に任せるというのは少しムシのいい話であり、日本は資金を提供するだけに終わる危険もあります。しかし、今回のトランプ大統領の発言で日韓両国は未来の東アジアの平和に対する大きな裁量を得たとも言えます。現時点で、北朝鮮の非核化に向けたプロセスに日本は十分に関与できていませんが、「今後、そのチャンスが広がる契機を得た」と考え方を変えてもいいのではないでしょうか。

●金惠京(キム・ヘギョン)
国際法学者。韓国・ソウル出身。高校卒業後、日本に留学。明治大学卒業後、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科で博士号を取得。ジョージ・ワシントン大学総合科学部専任講師、ハワイ大学韓国研究センター客員教授、明治大学法学部助教、日本大学総合科学研究所准教授を経て、2016年から日本大学危機管理学部准教授。著書に『涙と花札-韓流と日流のあいだで』(新潮社)『柔らかな海峡 日本・韓国 和解への道』(集英社インターナショナル)、『無差別テロ 国際社会はどう対処すればよいか』(岩波現代全書)などがある