『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、ドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』の世界観と人間社会の共通性について語る。
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現在、スターチャンネルやAmazon Primeなどでシリーズ最終章が放映中のテレビドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』(製作:米放送局HBO)をご存じでしょうか?
中世ヨーロッパ風の架空の世界を舞台に7つの名家が血みどろの覇権争いを繰り広げるファンタジーで、11年の第1シーズン(日本では13年放映開始)から最終章の第8シーズンまで、世界中のファンを魅了しています。
この作品のすごいところは、ファンタジー設定の中に人間社会のあらゆる問題――権力の腐敗、裏切り、差別、そういったものが極めて露骨に出てくることです。
男尊女卑も、低身長症のような人物に対する差別も遠慮なく描かれるし、それをはね返す人々のパワーもすさまじい。俳優たちも美男美女ばかりではなく、演技で見せるドラマなので、本当に没入してしまうんですよ。
Nation State(国民国家)という概念が生まれる前の本作の世界では、王国内で玉座争いをする「名家」の権力の源泉は忠誠心だけです。
これはまさにトランプ米大統領やプーチン露大統領のような手法で、実際、海外のジャーナリストやメディアが現実の政治を『ゲーム・オブ・スローンズ』にたとえるのはもはや定番化しています。
しかし、その忠誠心は決して絶対的ではなく、裏切り、寝返りは日常茶飯事。正義などなんの意味もなく、ただ人が殺し合う。そんな世界観を見続けるうちに、今の時代に多くの人がよりどころにしている忠誠心=「ナショナル・アイデンティティ」というものが相当に空虚であると実感させられます。
これはトランプやプーチンに限った話ではありません。例えば日本という国の歴史も、必然の連続でつながったものではなく、偶然の産物なのではないか。
教科書では「国家泰平」だったとされる時代でさえ、あるいは"万世一系"とされる天皇制度でさえ、実際にはたびたび裏切りや権力闘争が渦巻き、その結果としてたまたま今の形が残っただけではないか。こうした俯瞰(ふかん)の視点を持つことは決してムダではないでしょう。
今、世界中で国家主義が吹き荒れていますが、これも線香花火が落ちる直前に燃え上がるようなもので、実際にはグローバリゼーションで国民国家やナショナル・アイデンティティが無効化する前段階なのかもしれない。
その"城"の中で生きてきた人たちは、外からの入植者に違和感や不安感を覚え、「新しく建て替える!」とうそぶく裸の王様に熱狂したり、「うちの城は歴史がある」と砂上の楼閣(ろうかく)にプライドを投影するような言説を支持したりする。
もちろん国や民族に誇りを持つことを否定する気はありませんが、"城"の耐用年数がそろそろ限界に来ているというのも偽らざる事実です。
日本にもこれからますます多くの外国人がやって来ます。好むと好まざるとにかかわらず、それは避けられない。ならば、その未来におびえて暮らすよりも、「そもそも侵食される"城"などなかったんだ」と考えたほうがいいと思いませんか?
人類史上、国民国家という概念が支持され、機能していたのはほんの一瞬。その"幻"が崩壊し、新たな時代が来ることへの期待と、それがもたらす社会的カオスへの危惧......僕の中には両方が入り混じっています。皆さんはいかがでしょうか?
●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。日テレ系情報番組『スッキリ』の木曜コメンテーター。ほかに『教えて!ニュースライブ 正義のミカタ』(朝日放送)、『報道ランナー』(関西テレビ)などレギュラー多数。本連載を大幅に加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!