『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが、コロナ後の国際社会における"正義"について語る。

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コロナ危機後の国際社会はどこへ向かうのか。まだ収束への道筋が見えない現段階で結論が出せるようなテーマではありませんが、強いて言えば、近年しばしば使われる「無極化」という言葉が当てはまるかもしれません(先日も日本経済新聞がこの言葉を用いて論説していました)。

世界の民主主義を牽引(けんいん)してきたアメリカが自らその座から降りようとし、一方で中国が一党独裁体制のまま台頭しつつある――そんななかで起きたウイルス禍は、米中両国の信頼をより失わせた。

ただ、空白を埋める可能性のある"第三の大国"は存在せず、欧州も一枚岩になれない。つまり、われわれは覇権国が存在しない「無極化した世界」に生きることになる――というわけです。

無極化とは、言い換えれば"正義"のない世界です。

東西冷戦時代に資本主義陣営を率いたアメリカは、共産主義の拡大を防ぐために堂々と"正義"を振りかざすことができた。

今にして振り返れば、それは押しつけがましく、また一部には狂気すらはらんでいましたが、その"正義"はプロテスタント由来の道徳観という美しい包み紙で覆われ、みんなが支持できる虚像として機能していました。それがバランスを失って暴走を始めたのは、冷戦終盤の1980年代からでしょう。

それでも90年代あたりまでは、辛うじて世界的な秩序が存在していました。例えば、湾岸戦争時の多国籍軍の派兵は国際社会の総意とまではいえずとも、「サダム・フセインを止める」という目的にはそれなりに説得力があった。

しかし2000年代以降は、アメリカでさえそういった国際的なコンセンサスを得ることは難しくなりました。そして近年では、国際社会で合意を得ようという意思自体さえも、どの国からも失われつつあります。現在のWHO(世界保健機関)をめぐる米中の対立は、まさにそれを表しています。

コロナ危機の後、世界が再び脈打つためには、新たな"正義"が必要になると思います。今回の感染拡大は、経済格差、衛生格差、医療格差、情報格差が存在するグローバル社会がいかにもろいかを可視化しました。言い換えれば、現在の世界は"正義"がないまま、いびつな形で依存し合っているということです。

しかし、無極化した国際社会では、コンセンサスが存在せず、正義というものを定義することさえ難しくなっています。既存のリベラル勢力に期待しようにも、その主張の多くは「一国内だけの正義」に閉じこもっていて、しばしば他国のリベラルの主張と対立してしまうような状態ですから、なかなか難しいと言わざるをえません。

今必要なのは、政治的な部分正義ではなく、世界的視野で正義を語ること。ただ、世界の格差を本気で是正するなら、先進国の人々には強い負荷がかかる。それでもその"正義"を訴え続けることができる政治家が、果たしてどこにいるでしょうか。

僕にもその道筋は見えません。しかし、地球上のどこかにエアポケットのような不幸がある限り、このグローバルな社会ではそれがいつ世界中に"逆流"してきてもおかしくないという現実を、新型コロナはわれわれに見せつけました。汝(なんじ)、隣人を愛せよ――その隣人は世界中にいることを忘れてはいけません。

●モーリー・ロバートソン(Morley Robertson)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『水曜日のニュース・ロバートソン』(BSスカパー!)、『Morley Robertson Show』(Block.FM)などレギュラー出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が好評発売中!

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