『週刊プレイボーイ』で「挑発的ニッポン革命計画」を連載中の国際ジャーナリスト、モーリー・ロバートソンが指摘する、アメリカの「トランプとトランプが戦っている」状態とは――?
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多様なバックグラウンド――ルーツや人種、宗教や思想――を持つ人々が、議論によって互いをつなぎ、ある程度の妥協を重ねながら少しずつ社会を前進させてきたのがここ数十年のアメリカでした。
ところが近年は、積み上げてきた議論をちゃぶ台返しで無効化するトランプというデマゴーグの登場もあり(彼は米社会の病巣の「症状」であると同時に、さらなる悪化の「原因」でもあります)、アメリカという超大国の"社会契約"が破綻しつつあります。
新型コロナ対策では科学を軽んじて被害を拡大させ、今回の大統領選挙でも敗北を受け入れず、ひたすら「不正があった」とわめき散らす。論理も法律も自分の都合に合わせてねじ曲げるトランプの手法は、もはやカルトに近いものがあります。
ただ、あまりにも多くの人々がトランプとその支持者を批判することばかりにエネルギーを注いでいることも、社会のゆがみを悪化させる原因のひとつであるように思えます。
トランプを信奉する白人層の特徴は「自分たちはリベラルなエリートによるグローバリズムの被害者である」と自己規定している点ですが、コインの表と裏のように、反トランプ派もまた「アメリカをトランプから取り戻せ」と叫び、自分たちは被害者であるという立ち位置を崩さない。
その意味で、最近のアメリカは「トランプとトランプが戦っている」状態だったということも可能でしょう。
多くの反トランプ派は、「なぜトランプ(現象)が生まれたのか」という問いに本質的に向き合おうとはせず、間違った差別主義者や排外主義者がアメリカをむしばんでいる、という"上から目線"の批判を続けています。
しかし、実はこれこそトランプの思うつぼ。怒りと憎悪で社会が分断されている限り、トランプは力を持ち続けられるわけですから。
ここまでお互いの正義が熱を帯びてしまうと、いくらぶつかり合っても交わることはありません。お互いが「論破」を目指し続ける限り、永遠に納得のいく決着はない。
そんな社会状況では、「どちらの正義が正しいか」を決める4年に一度の大統領選というお祭りで、デモクラシーを維持することは非常に難しくなっているのかもしれません。
アメリカは社会の体質を1、2世代かけて改善し、人々が新たな社会契約を結ぶ必要がありそうです。それこそ、日本が得意な「GAMAN(我慢)」をインストールして、すっかり下がり切ってしまった沸点を少しでも上げたほうがいい。
もう少し我慢ができさえすれば、新型コロナの感染状況も、政治的スタンスをめぐる分断も、ここまでひどくはならなかったかもしれません。
ただし、逆に日本では、我慢を美徳とする空気が新型コロナに対してはそれなりに有効に作用したように見える一方、我慢を強いる同調圧力が不幸の再生産やイノベーションの阻害につながっていることも明らかです。
むしろ日本の場合は、もう少しアメリカ的ないいかげんさをインストールできれば幸福度は上がるような気がしてなりません。
そういう意味では、アメリカがジャパナイズして、日本がアメリカナイズすればもう少しバランスがとれるように思いますが......やはり「ほどほど」が一番難しいということなのでしょうか。
●モーリー・ロバートソン(Morley ROBERTSON)
国際ジャーナリスト。1963年生まれ、米ニューヨーク出身。『スッキリ』(日テレ系)、『報道ランナー』(関テレ)、『所さん!大変ですよ』(NHK総合)、『Morley Robertson Show』(Block.FM)などレギュラー出演多数。2年半に及ぶ本連載を大幅加筆・再構成した書籍『挑発的ニッポン革命論 煽動の時代を生き抜け』(集英社)が発売中。